さらばmora qualitas

 mora qualitasを解約することにした

 1か月もたたずに我慢できなくなってしまった。

 

 理由は,前に書いたとおりだが,一番はやはり曲が少なすぎること

 聴きたい曲がないのでは,加入している意味がない。ストレスばかりたまってきて,どうにもならなくなってしまったのだ。

 ほかのサブスクも同じならしょうがないが,ほか(Spotifyとか)なら普通に聴けるのに聴けないのでは,我慢する理由がない。

 検索しにくさなどは我慢したり工夫したりすれば対応可能だが,曲の少なさだけはどうにもならない。

 

 立ち読みした雑誌にも書いてあったが,音質は断然mora qualitasがいいのだそう。とはいえ,そんなに違いが分かるほどの環境で聴いている訳ではない。

 

 ということで,来月からはAmazon Music HDにすることにした

 ギラギラしたUIや,いかにも曲を商品としか考えてないような雰囲気は気に入らないが,やむを得ない。

 

 解約を申し込んだら,mora qualitasからは,またいつでも戻ってきてくださいといったメッセージがあった。

 曲数が他のサービス並になり,指摘した弱点がいくらかでも改善されたが,また戻ってきたいと思う。

 

 

 今日の日経新聞に「ソニー,コンテンツ覇者狙う エンタメ軸への転換鮮明」という記事が出ていた。

 mora qualitasは置いて行かれたのか。それともこれから本腰を入れるのか。

 いつでも戻れるように注目はしていたいと思う。

 あわせて,Music Center for PCの改良も急いでほしい

 

「池上彰が緊急取材!どうなる!?リニア新幹線」を見た

 テレビ朝日系列で放送された「池上彰が緊急取材!どうなる!?リニア新幹線」を見た。

 冒頭からモヤモヤしっぱなしで,キレのないつまらない番組だった。

 普段,池上氏の番組は見ないので,「池上無双」とか言われているのを聞くと,よっぽどすごいのだろうと思って見たが,期待は裏切られっぱなしだった。

 

 始めのリニアの試乗は鉄道好きからしたら分かりきった話ばかりで,せっかく乗せてもらうんだからもっと突っ込んだ話を聞いてほしかった。

 一緒に取材していた女性とは隣り合わせで座っており,マスクをしているとはいえ,近すぎるのではと思わずにはいられなかった。

 

 スタジオでは,土屋礼央相手に簡単すぎるクイズを出してあっさりと正解を言われ,何の面白みもなし。

 街頭インタビューは,はっきり言って無駄。札幌や福岡の人に聞いてどうするのか。どうでもいいインタビューだけ。

 

 そして,核心は静岡県の川勝知事の問題なわけだが,ここでも突っ込みの甘さ,緩さだけが目立った。

 山梨でリニアの工事により桃畑の水がなくなったという取材は目新しいところだったが,やはり突っ込みは甘い。

 そして,今話題になっている東京電力の田代ダムの問題については,ダムの名前も出さずにさらっと触れただけ。

 川勝知事とJR東海や国との会談については,川勝知事がいちいち静岡茶を出して蘊蓄を語るところを何度もしつこく流し,時間の無駄。

 何となく,川勝知事がというより静岡県民の総意としてリニアに反対しているかのような印象を与える演出に感じた。

 

 最後は品川駅付近のトンネル工事の取材だったが,ただの野次馬のような取材。そして外環道での陥没事故を引き合いに出すも,何が言いたいのかはっきりしない結論で終わっていた。

 

 最後のまとめも,池上氏としての結論はなく,「よくみんなで考えましょう」的な誰でも言えるつまらないまとめで終わってしまった。

 

 どうも,中立を装いつつ,川勝知事に忖度したようなつくりで,それがモヤモヤの原因だったように思う。

 川勝知事に直接インタビューして無双ぶりを発揮すればよかったわけで,池上氏ならできたであろうことがなされていないから中途半端な印象になってしまったのだと思う。視聴者もそれを期待していたはずた。

 その理由は最後に分かった。製作が静岡朝日テレビだったのだ。これがテレビ朝日の製作だったら,もっと違ったのではと思った。

 

 池上氏は偉い人に忖度しないことで有名だが,そんなことはないように思った。

 

 

mora qualitas再び

 以前,お試しで利用してみたソニー音楽配信サービスmora qualitasだが,有料契約はしなかった。

 その後,Amazon Music HDとSpotifyも使ってみて,サブスクの便利さが分かり,どうせなら音質のいいサービスをと思い,mora qualitasに加入することにした。

  ハイレゾが聴けるというのならAmazonの方が曲数が圧倒的に多いし,値段も安いのだが,Amazonはどうも使い勝手が気に入らず,ソニーを応援したいということもあってmora qualitasにしたのだが,だんだん不満がたまってきている。

 何とか改善していいサービスになってほしいと思い,今感じている弱点をまとめておく。

 

1 曲数が圧倒的に少ない

 これは,多くの人が指摘しているが,一番の弱点だろう。

 ほかのサブスクが5,000万曲とか6,000万曲とか言っているところ,公式には発表されていないが500万曲くらいじゃないかと言われている。

 実際,AmazonSpotifyと比べると,明らかに少ない。聴きたい曲がない

 クラシックについて言うと,ユニバーサル,ワーナー,ソニー以外のレーベルはほとんどないんじゃないかと感じるくらいである。中堅,マイナーなレーベルの曲はほとんどない。古いものだけでなく,最新のリリースもない。

 2020年度のレコード・アカデミー賞の金賞・銀賞・銅賞すらない。金賞と銅賞はエラス=カサド指揮のハルモニア・ムンディのもの,銀賞はガーディナー指揮のSDGのもの(日本ではどれもキング・レコードから発売)であるが,これらのレーベル自体がない。もちろん,AmazonSpotifyでは聴くことができる。ほかにも,シャンドスやBISといったレーベルは聴けない。

 

 サービス開始直後は「後発だから仕方ない」と言われもしたが,既に1年以上たっており,言い訳のできる期間は過ぎている。そもそも,後発だからこそほかよりも多くの曲を揃えなければいけないのである。ほかのサービスと同じかそれ以下だったら誰も利用してくれるわけはないではないか。ほかと同じかそれ以上の曲を揃えた上で,mora qualitasでしか聴けないレーベルがある,ということでないとダメだ。

 また,クラシックではないが,例えばYMOの曲など,ソニーからCDが出ているアーティストの曲がないのもある。moraやSpotifyなどにはあるのに,だ。

 また例によってソニー内部の縦割りの弊害のせいで配信されないのではないかと勘ぐってしまう。何を考えているのかさっぱり分からない。

 とにかく,今の曲数は致命的だ。何と言っても値段が高いのだから,音がいいんだからというのは全く理由にならない。

 

2 検索しづらい

 これもいろんな人が指摘しているが,検索が非常に弱い。聴きたい曲がなかなか見つからない。ないからではなく,あるのに,だ。

 これはクラシック音楽特有の問題でもあるので,詳しく書かない(ものすごく詳細な分析をしないと無理だ)が,日本語(カナ)かアルファベットか,作曲家か演奏家か,演奏家でも指揮者だと全然引っかからなかったり(オペラなど)など,気が遠くなる思いをして曲を探している。

 

3 曲名・演奏者名が不十分

 検索しづらいこととも関係するのだが,曲に関する情報が全く不十分で,何の曲で誰が演奏しているのか全く分からないものもある。特に,全集ものやコンピレーションアルバムでそうだ。

 同じアルバムならどのサブスクでも同じなのかと思ったらそうではなかった。

 例として,グラモフォンから出ている「THE ART OF SERGIU CELIBIDACHE」のmora qualitasとSpotifyの画面を上げておく。

 mora qualitasの方は,何の曲なのか,どこのオーケストラなのかさっぱり分からない。Spotifyは,不十分だが何とか分かる。

 

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mora qualitas

 

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Spotify

 

 こうなると,もはやmora qualitasは「聴くな!」と言われているかのようだ。せめて,曲の詳細なプロパティでも見られるならいいが,そういう機能はないようだ。

 

 また,オペラなどでは,指揮者で検索しても全然引っかからないのでなぜかと思ったら,次のようになっているからだった。

 

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mora qualitas

 

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Spotify

 

 見て分かるとおり,mora qualitasはその曲を歌っている歌手の名前しかないのだ。しかもカナとアルファベットがごちゃまぜ。メチャクチャである。

 これでは検索しても引っかかるわけがない。Spotifyと比べれば明らかだが,曲名と演奏者名は手抜きをしているとしか言いようがない

 

4 歌詞表示がほとんどできない

 多くのサブスクサービスは歌詞表示に対応しているようだ。Spotifyはほとんどの曲で当たり前のように歌詞表示が可能である。

 mora qualitasもホームページでは「もちろん,歌詞表示にも対応します。(順次対応)」と書いてあるのだが,歌詞表示できる曲はまだ見たことがない

 「順次対応」しているのかどうかも分からないが,対応が遅すぎる。

 

 

【結論】

 この記事を書きながら,契約してまだそんなにたっていないが,もうやめようかと思い始めている

 サブスクのいいところは,簡単に乗り換えができるところだと思っている。とにかく,自分が聴きたい曲がたくさんある方かどうかが一番だ。

 Amazon Music HDは気に入らないところがあるが,そうも言っていられなさそうだ。とにかく,聴きたい曲がないのでは話にならないのだから。音質はmora qualitasの方が上(最大サンプリング周波数はAmazonの方が上だが)との評判も聞くが,素人が分かるほどの違いはないだろう。

 

 ソニーにはこれまでも散々やられてきた。ベータこそ使っていないが,ATRACSonicStagex-アプリMedia Go,MD,Hi-MDDVD+R/RWなどなど,枚挙にいとまがない。

 最近では,余りにも不安定で全く使い物にならないMusic Center for PCに困っている。これもそのうちなくなるのではないか。このところアップデートもしていないし。

 まずは曲数を何とかし,さらに,DSDでも配信するとか,ほかにないサービスを導入しないとかなり厳しいだろう。

 このままだと1年ともたないのではないか。ネットで情報を検索しても,最近の情報はほとんど何も出てこない。利用者が少ないのだろう。

 3か月くらいは黙って使ってみたいが,そこまで我慢できるだろうか。

 

 

菅首相の恐怖政治が始まった

 もしかしたら,この日が始まりだったのだ,という歴史に残る日になるかもしれないので,備忘録的に書いておく。

 

 菅首相が一部の学術会議委員の任命を拒否したという「事件」だ。

 

 おそらく,大多数の国民には,どうでもいい話だと思われているだろう。ごく一部の政府に反抗的な学者が騒いでいるだけだ,と思っているだろう。

 マスコミも,今日明日は記事にするかもしれないが,すぐ忘れるだろう。

 

 だが,歴史の転換点となるような大事件は,こういうふうに静かに,大多数の国民の関心のないところから始まる。

 気が付いたときは遅い。それは歴史が証明している。

 

 おそらく,菅首相は,国民には見えづらいところから徐々に始めて,恐怖政治・独裁政治に走るだろう。今日がその始まりの日になる。そうならないことを祈るが。

 本性を現したということだが,大多数の国民は気付いていない。

 

 令和おじさんに騙されてはいけない。

 

 今日はこれ以上は書かない。特高に監視されるのは嫌だから。「エール」第79回が今日だったのも,何かの因縁だろうか。見てない人は見てほしい。

 

 

悪いのはハンコではない

 河野行革大臣が行政手続にハンコを押すのをやめさせろと騒いで話題になっている。

 意味のないハンコはやめたほうがいいに決まっているのだが,この人,ハンコを押すのをやめてそれで済むと思っているのならただのアホだ。

 と思っていたら,次は書面とファックスだと言い出した。さすがにただのアホではなかったようだ。一番の問題は書類だからだ。ファックスを言い出したのには笑うしかないが。やはり半分はアホだ。

 

 書類に押印しなければならないこと自体で困ることは,実はさほど多くないと思う。実印を求められることは稀なので,三文判認印で足りるのだから,「家に忘れてきちゃった」というのでなければ,本当に困ることはそれほど多くない。

 

 問題は書類で,申請にしてもテレワークをやるにしても,紙がないとできないから困っているのだ。大臣レベルだとレクの資料はワンペーパーだったりするだろうから,PDFの資料でも電子決裁でも全然問題ないだろうが,大臣に上がることが決してないような書類が書類でないと成り立たないから困っているのだ。下っ端のやっていることの分からないお坊ちゃま大臣らしい発想だ。

 申請書の表紙だけなら,電子申請だろうが電子決裁だろうが,ハンコがあろうがなかろうが大したことはないのであって,それに添付する膨大な書類(が必要な場合)は,紙じゃないとどうしようもないことが多いことが問題なのだ。

 全部PDFにしていたら,それだけでものすごい時間がかかる(手書きの書類だってあるのだから)。見るのもパソコンの画面だけで見るのは非常に効率が悪い。でかいディスプレイを全職員に配るくらいじゃないと仕事にならないだろう。ノートパソコンでは無理だ。大臣の広い机なら置けるかもしれないが,末端の職員の狭い机には置けないだろう。

 

 稟議書等に決裁をもらうのだって,実はハンコを押すのが一番速くて便利なのだ。今だって,別にサインでだめという職場はほとんどないんじゃないかと思う。ハンコだって,シャチハタではダメなんていう職場はまずないはずだ。シャチハタじゃない認印だって,印鑑ホルダーを使えばシャチハタと同じように早く押印できる。

 「見ましたよ」というのが分かるようにするためには,サインするよりも,ハンコを押す方がはるかに速いのだ。

 

 もう一つ,契約書などの押印をどうするかという問題もある。書類の真正性をどうやって担保できるか,担保する方法があれば,ハンコはいらないわけで,担保する方法がないからハンコを押しているだけだ。

 

 河野大臣には,ただやめろではなく,何のために押印が必要だったのかを考えた上で,書類(というか証拠)の真正性が担保できる方法をきちんと示し,それを広く国民に行き渡らせてもらいたい。言い出しっぺとして最後まで責任をもってやってほしい。また,人気取りのために,性急に事を進めようとして,かえって国民生活を混乱させるようなことは絶対にやめてもらいたい。ま,期待はしていないが。

 

 

新型レヴォーグプロトタイプ内覧会

 スバルのディーラーで新型レヴォーグのプロトタイプの内覧会をやっていたので,覗いてみた。

 

 発売はまだ先(10月)だが,8月20日から先行予約が始まったという。既に巷では盛り上がっていて,内覧会もお客さんがたくさん来ていた。お店の方もとても力が入っているようだった。

 

 1組4分ずつの入れ替えで,エンジンはかかっていないが,電気関係は動いていて,エンジンルームを見ることもできた。

 

 今回の一番の話題はアイサイトXが搭載されること。6つのグレードうち,EXと付くのがアイサイトX搭載車となる(つまり,Eyesight Xそのまま)。まず,GT,GT-H,STI Sportの3つのグレードがあって,それぞれにEXが設定されるというシンプルな構成になっている。

 新型はエンジンが1種類だけなので,これまでのパターンだと,GTとGT-Hの違いはビルシュタインのダンパーが付くか付かないかというのが一番大きな違いになるところだが,今回はビルシュタインダンパーの設定はないので,走りの部分での違いはタイヤサイズの違いだけとなった。つまり,GTにない装備は不要で,タイヤが18インチである必要がなければ(18インチは17インチよりかなり高いので,交換するとき大変になる),GTを選択するというのも十分にありだ。

 しかし,コストパフォーマンスを考えると,GT-H EXが一番お得で,人気が集中するだろうと思う。

 

 という前提で,実際に買うとしたらどうかと思って展示車を見てみた。展示されていたのは,やはりGT-H EXだった。11.6インチのセンターインフォメーションディスプレイと,12.3インチのフル液晶液晶メーターが目立つ。非常に未来的だ。

 で,センターインフォメーションディスプレイをナビの画面にしてみて,あれっと思った。やたら画面がぼんやりしているのだ。今どきのフルHDのカーナビの画面とはだいぶ感じが違う。

 セールスの方にナビとオーディオはどこの製品か聞くと,微妙に言いにくそうに「デンソー製だと聞いてます」と。つまり,ECLIPSEだ。セールスの方も,性能がいいものだとは思ってないのだろう。EXにしてしまうと,後からナビやオーディオを替えることはできないので,これは非常に悩ましいと思った。買うならGT-H EX一択だろうと思っていたところが,そう簡単にはいかないことが分かった。

 ECLIPSEのカーナビというと,社用車なんかに付いている最低限の機能しかないナビ,というイメージしかなかった。実際,カタログを見てみると,現行機種にフルHDのディスプレイを搭載したモデルはない(WVGA:800×480ドット)のだ。新型レヴォーグのナビも同様の可能性がある。これから詳細は明らかになると思うが,要注目だ。

 

 実際,EXはベースグレードにプラス35万円(税抜)とバーゲンプライスなのだが,ナビの性能でコストダウンを図っているのではないかと思ってしまった。しかも,CD/DVDドライブがなく,別売りだという。USBコネクタはあるようだが,SDカードが差せるかどうかは分からない(カタログには書いていない)。Bluetoothハイレゾに対応しているかも不明だ。

 これらはいずれ明らかになるが,もし自分が買うとして,ナビ/オーディオ性能があまりにもひどいようだったら,アイサイトXは諦めるしかないだろうと思った。

 

 

クラシック音楽における表記の問題

 『レコード芸術』2020年7月号を読んでいて,書いておかないといけないと思った。レコ芸の誤字・脱字の問題は前にも何度も書いたと思うが,改めて書かざるを得ない。何せ天下のレコ芸音楽之友社である。

 

 クラシック音楽の表記の問題は難しい。ほかのジャンルは,よくは知らないが,いまだにこんなに混乱しているということはないのではないだろうか。

 元々外国の文化なので,仕方がないところはあるが,さすがにMozartを「モーツァルト」と書くのは定着していて,小林秀雄風に「モオツアルト」と書く人はまずいないが,Ludwig van Beethovenだと,「ベートーヴェン」か「ベートーベン」か「ベートーフェン」か,「ファン」か「ヴァン」「バン」か,「ルートヴィヒ」か「ルートビッヒ」か「ルードウィッヒ」か,は決着が着いていない。最近だと,「ドヴォルザーク」を「ドヴォルジャーク」と書くのも目にするようになった。

 

 クラシック音楽における表記の問題というと,大きく2つに分けられると思う。

 1つは,人名や地名の「音」の表記の問題。もう1つは,曲名,団体名,音楽用語などの訳語の問題である。

 これらについて,一般の人に大きな影響力のあるものとしては,NHK,レコード会社,そして音楽之友社が挙げられると思う。このうち,特に音楽之友社がヤバいことになっている。

 

 さらに,交響曲などにおける番号の問題もある。一番有名でいまだに混乱しているのはシューベルト交響曲だろう。「未完成」は第7番か第8番か,「グレイト」は第8番か第9番か。最近のレコ芸では,「未完成だと」「第8(7)番」と書くようだ。何とも意味不明で無責任にも見える。世間一般には「第8番」の方が多数はではないか。グラモフォン(ユニバーサルミュージック)は「第8番」と表記している。第7番が欠番になるとしても,「第8番《未完成》」と割り切ってしまった方が潔いと思う。

 ほかの例だと,モーツァルトの「プラハ」を「第38番」じゃなく「第37番」にしようとかいう話はないわけである。シューベルトだけ(?)こうなのも変な話だ。

 

 このところ気になっているのは,ピアノストのKrystian Zimermanである。

 元々,メディアによって,名は「クリスティアン」,「クリスチャン」,姓は「ツィマーマン」,「ツィメルマン」が混在していた。ポーランドの方なので,どう書くのが本来の発音に近いのかは分からない。そうでなくても,一般的には英語での発音にしてしまう人もいる(例えば,「ワルター」とか)ので,なおさら何が正しいのか分からないのだが。

 そんなZimermanだが,数年前から,レコ芸音楽之友社,と言っていいのだろう)の表記が変わっている。録音の少ない人なので,クラシック・データ資料館で調べると簡単にいつからかが特定できた。2014年までは「クリスティアン・ツィマーマン」だったのが,2015年は「クリスティアン・ツィメルマン(ツィマーマン)」,そして2016年から「クリスティアン・ツィメルマン」になった。それまでずっと「ツィマーマン」だったはずなので,非常に違和感があった。

 一方,ユニバーサル・ミュージック・ジャパンは,現在は「クリスチャン・ツィメルマン」と表記している。いつからこうなっているのか分からないが,手許にあったCDでは,1985年発売のものは「クリスティアン・ツィマーマン」となっていた。

 別に,表記が変わるのは,より本人の発音に近づけるためであれば,いいことだと思う。しかし,ツィメルマンクラスの大物であれば,表記を変えるのであれば一言あっていいと思うのである。

 ツィメルマンとツィマーマンのどちらが本人の(言う)発音に近いのか分からないので,なぜそのように変更したのか分からず,正しいのかの検証のしようもない。比較的発音が分かりやすい言語を母国語としている人だといいが,そうでないと,非常に困る。

 

 

 さて,問題のレコード芸術である。権威ある音楽之友社がこんなことで大丈夫なのか,とここ数年毎号読んでいて思ってしまう。

 2020年7月号で,主なところだけ(見つけた都度メモしておいたわけではないので,ざっと覚えていたものだけ)指摘しておく。

 38~39ページはブルックナー交響曲第9番についてのページだが,第4楽章の補筆者が本文では「コールズ」,CDの紹介欄では「コールス」となっている。

 50ページのショスタコーヴィチの歌劇《賭博者》では,増田氏の本文のみ《賭博師》となっている。31ページは《賭博者》である。さらに,同じ増田氏が書いている162ページのプロコフィエフの《賭博者》もまた,増田氏が書いている本文のみ《賭博師》となっている。

 148ページからの「View points-音盤ためつすがめつ」では,ラヴェルの《鏡》の中の曲名について,相場ひろ氏の表記がディスク紹介のところの表記とズレまくっていて,「蛾」を「夜蛾」,「悲しげな鳥たち」を「悲しい鳥たち」,「海原の小舟」を「洋上の小舟」,「鐘の谷」を「鏡の谷」と書いている。

 もちろん,ディスク紹介の方が一般的で,相場氏の書き方は一般的ではない。特に「海原の小舟」を「洋上の小舟」と書くのは,意味は分かるが,違和感を感じる人が多いのではないか。管弦楽版もあってよく知られているから。

 「鏡の谷」は単なる誤字かもしれないが,分からない。

 相場氏はフランス音楽に特に詳しいようで(レコ芸では,フランス音楽の記事を割り振られることが多い),そもそもフランス文学者なので,曲名の翻訳についても一家言あるのだろうが,この程度の違いだと,あえて一般的な表記と違う書き方をする必要性はないと思う。今回は,新型コロナのせいで「対談」ではなく「往復書簡」だったということがこのようなことになった理由の一つとしてあるのだろうが,記事にするときには編集者がきちんとチェックして,直すべきだ。

 

 以上を見て分かるのは,おそらく編集者が書いている曲名や演奏者名の説明の部分と,各執筆者の表記がズレているということだ。これまでも,海外盤の紹介記事などではよくあったが,それでも,マイナーな曲や人物についてのものについて稀にあるくらいだった。

 しかし,今回挙げたのは,マイナーなものばかりではない。

 要するに,単なる校正ミスと言っていいものばかりなのである。そもそも校正していないのか,編集者のスキルの問題なのか。あるいは,執筆者が編集部の言うことを聞かないのか。いずれにせよ,由々しき事態であることは間違いない。

 

 ついでに指摘しておくと,34ページのモーツァルトのレクイエムのクリストフ・シュペリング盤の録音時期は「<録音:●年●月>」と数字が抜けている。ここまで来ると笑うしかない。

 

 揚げ足取りのようで気が引けるところはあるが,この問題についてはこれからも注意して見ていくとともに,ここでも折に触れて取り上げたい。

 

 

レコード芸術2020年6月号「私のベートーヴェン」

 まだちゃんと読んでないが,特集をペラペラとめくってみて,あまりに酷いので書いておくことにした。

 今月号の特集は「私のベートーヴェン-百人百様の音盤体験」だそう。

 レコ芸執筆者の書いた原稿と読者からの投稿をただ並べただけで,何の工夫もない。ここまで堕ちたのかと,怒りを通り越して悲しくなった

 まだ最初の何人かしか読んでないが,冒頭,「3枚選ぶのは難しい」とか言い訳を書いている方が何人かいて,その気持ちは分かるが,そんなこと百も承知で企画しているのだから,そんな言い訳は編集者がカットすべきだと思うのだが,そのまま載せてしまっている。こんなことを評論家に書かせること自体が恥ずかしいと思わないのだろうか。そんな言い訳は,読者をバカにしていることになるとなぜ思わないのか。読者だって無理な企画だと分かって読んでいるのだから,字数の無駄なだけである。

 そもそも,編集部は,一体,何を伝えたくてこんな安直な特集にしたのだろう。質が落ちているとしか言いようがない。

 

 

 ついでに,このところ気になっていることを書く。

 対談形式になっている記事で,よく「(笑)」が出てくるのだが,なぜそこで「(笑)」が入るのかさっぱり分からないものが多い。そういうのは,単にその場で対談者に笑みが出た程度ではないのかと思うのだが,字にすると全く伝わらない。

 そもそも,文章に「(笑)」などと書くのは,あまり勧められるものではないし,初めから文章として書かれたときに,筆者が自分で書くものであって,対談を字に起こしたような文章のときに,編集者がこれを入れるのはおかしい。

 意味が分からなくて気持ち悪いので,こういうのはできるだけやめてほしい。

 

 

新型コロナウイルス②

 マスクについては以前も書いたが,布マスクは更に増殖していて,奇妙な柄のマスクをしている人が目立つようになってきた。

 見てる方が恥ずかしくなるような柄のマスクも目に付く。

 知り合いに聞いた話だが,先日,福島市内の小学校で,学習センター(公民館)がボランティアを募って作ってもらった布マスクが児童に配布されたのだという。学校からは,使う前に1度洗ってくださいという注意書きがあわせて配られたとか。

 洗わないと危なくて使えないようなものを配るというのもどうかと思う。

 自分が親だったら,どこの誰がどういう布を使ってどうやって作ったかも分からないマスクを子供に使わせるのはかなり勇気がいると思う。というか,使わせない。

 この手の話は,相手の善意から出ているので対応が難しいので,他人に送ろうとする方が相手の迷惑にならないかよく考えないとダメだ。

 善意で配布されたマスクにウイルスが付着していてクラスターが発生したなんてことになったら,ほんとに洒落にもならない。そういうことへの想像力がないのは問題だ。間違った善意ほど怖いものはない。

 また,福島県内のある会社が,夏用のマスクを製作・販売しているとテレビのニュースで取り上げられているのを見た。普通の縫製工場で,マスクをした従業員の方が手際よくミシンで縫い上げ,作業台にポンポン積み重ねていく様子が映されていた。

 その後,マスクは滅菌処理されているのだろうか,と心配になった。

 どうせ取材するなら,パッケージングされるところまできちんと取材してほしかった。こういうのを見ると,最近あちこちで売っている布マスク(花粉を通さないとかウイルスを通さないとか書いてあるものもある)は大丈夫なのかと心配になる。

 道の駅などで,素人が作ったと分かる布マスクが売っているが,これはボランティアが寄附したのと同じようなものなので,買った方もまずは一度洗った方がいいかなと思うだろうが,どこかの会社が作ってドラッグストアやコンビニで売っている布マスクが滅菌されていないと思う人はほとんどいないと思う。

 生地の調達する段階からきちんと衛生的に管理されていないといけないわけで,危ないのは新型コロナウイルスだけでもない。極端に免疫力が落ちている人では,常在菌から感染を起こして重篤な状態に陥ることだってあるわけで,そういう人が家で布マスクをする可能性は低いかもしれないが,とにかく,何が原因で感染症を起こすかは分からないのだから,常時口にあてておくことになるマスクについては,できるだけ無菌に近い状態にしておくことが重要なのは言うまでもないことだと思う。

 とにかく,布マスクのせいで感染が起こったりしないことを祈る。

 

 

 学校の9月入学制の話が話題になっている。改革派知事を自認している一部の知事が突然騒ぎ出したことに違和感を感じている人も多いと思う。

 この手の話はなかなかはっきりした反対意見は言いづらいのだろう。アンケートで明確に反対を言う知事はいないことになっているようだ。せいぜい,慎重な議論が必要だ,くらいしか言ってないようである。

 「議論(あるいは検討)が必要」という言葉に異議を唱える人はまずいないだろう。しかし,今は検討している場合ですらないはずなのだ。

 知事が言い出したら,そこの都道府県の職員はいろいろと検討しなくてはいけなくなってしまう。今,新型コロナ対策でいっぱいいっぱいなのに,さらに余計な仕事を増やすことになるのだ。その分,新型コロナ対策に時間が取れなくなる,ということである。偉くなると,そういうことすら分からなくなるのだろう。マスコミもそうだ。末端で働いている人間のことなど全然気にしない。むしろ,検討や議論を奨めるようなことしか言わない。しかし,今は検討や議論すること自体が時間の無駄なのだ。

 そして何より,これは意外と盲点だったかもしれないが,9月入学制を推進しようとしている方たちが実は全然きちんと考えていないということが露呈してしまったのは,今,新型コロナの関係で9月入学制に移行しようとすると,欧米などの9月(頃)入学制としている国と比べて,1学年分年齢が遅れるということが分かったからだ。

 推進論者の主な論拠は,日本の学生が留学しやすくなったり,外国からの留学生を呼び込みやすくするためだと言っていたはずである。ところが,今9月入学制にしてしまうと,留学することで今は約半年遅れるのが,1年遅れになってしまうのである。これでは全く逆効果ではないか。推進論者の論理が破綻していることが明らかになってしまった。

 こんなデタラメな話に乗せられて,貴重な時間を取られてしまうのは,国民にとって大きな損失である。

 国も自治体も,今すぐ検討すること自体をやめるべきだ。その分の時間をほかのことに回すべきだ。

 

 

 カナダのトルドー首相がアジア系住民に対する攻撃が急増していることに対し,「容認できない」と発言したという(APFBB News)。

 元々が(たぶん)英語のコメントなので,どういう言葉を使ったのか分からないのだが,本当に「容認できない」なら,何を言ってるのかと思う。容認できないのは当たり前のことで,そんな当たり前のことを言うのでなく,もっともっと強い言葉を使ってメッセージを出さなければ,一国のトップとしては失格だ。

 APFの見出しがそうなっているので余計にそう感じてしまうのだが,当然に「容認できない」ことに「容認できない」と発言したということを見出しに持ってくるという感覚もどうかしていると思う。問題は,容認できるかできないかではないのだから。

 こういう雑なメッセージはよろしくないと思う。発言する側も,伝える側も。

 

 

 新型コロナがらみだけではないのだが,最近,スポーツ紙を中心に,ホリエモンなどの有名人がツイッターでこういう発言をした,とかいう記事を,何の論評もなく載せる記事が目につく。インターネットのニュースサイトでも上位に表示させることが多いので,異様に目に付く。

 一有名人が何か言ったからと,いちいちマスコミが報道するというのは,どいういう神経なのか。取材も何もせずに,ただコメントを垂れ流ししているだけというのは,世の中をバカにしすぎている。報道される発言自体が世の中をバカにしたような発言が多いので,尚更だ。

 ツイッターが見たければ,見たい人が勝手に見ればいい。YouTubuやインスタもそう。誰々がこういうのを上げた,と,そのまま垂れ流しするのは,怠慢も甚だしい。特にテレビの場合は,見たくなくても,聞きたくなくても飛び込んでくるので,勘弁してほしい。

 

 

新型コロナウイルス

 大阪府が休業要請に従わないパチンコ店の名前を公表するというので,かえって人が集まるのではないかと思ったら,案の定だったようだ。何せ相手がパチンコ店とパチンコ愛好家(?)である。大人しく言うことを聞くとは思えなかった。まして大阪である。ここに,公表という手段の限界がある。公表されて困るような業界なら効果があるが,そうでない相手には通用しないのだ。

 だが,これも一時的かもしれない。

 休業要請にあえて従わず,クラスターが発生したりすることを考えれば,とんでもないリスクを抱えたことになる。それは,お店だけでなく,行った人もだ。つまり,信用を失う(そもそも信用を売りにする業界ではないのだろうから,気にしないのだろうが)では済まないということだ。巨額の損害賠償リスクを抱えるということである。

 新型コロナウイルスに感染したことが確認されれば,徹底的に感染ルートを調べられるので,休業要請を無視したパチンコ店が発生源であることが分かれば,巨額の損害賠償が請求され,認容される可能性がある。マスコミは,公表を批判する有名人のコメントを紹介するだけでなく,こういうリスクがあることを言うべきだ。

 パチンコ店だけでなく,あえてそこに行った人も,二次感染させたことが分かれば,巨額の損害賠償請求を受けるリスクを抱えたことになる。

 混雑している観光地が紹介されたりもしているが,混雑していると思って行く人は少ないだろう。おそらくは,人がいないだろうと思って行ってみたら混雑していた,ということなのだと思う(思いたい)。が,パチンコ店に行くのはそれとは違うのだ。

 

 

 テレビでも新聞でも雑誌でも,いちいち検査に「PCR」と付けるのはなぜなのだろう。現状,ほかに検査方法はないのだから,あえて何かと区別するために付ける必要がある場面でなければ,わざわざ「PCR」と付ける必要はない。

 いちいち「PCR」と聞かされるのにもうんざりしてきた。

 挙げ句には,ワイドショーのコメンテーターなんかが,散々「PCR検査」「PCR検査」と言った後に,「で,PCRって何なの?」とか言ったりしている。

 あまり「PCR」ばかり言うと,「PCR」に変なニュアンスが付いて,言葉狩りが始まるのではないかと危惧する。

 特に必要がないなら,単に「検査」と言えばいい。

 

 

 テレビを見ていると,政治家や役人のしているマスクが気になるようになった。というのも,変な柄のマスクをしている人が目立ってきたからだ。

 いい年したおっさんが柄物の布マスクをしているのは,見ていて気持ちが悪い。しかも,何回か洗ったのか,よれよれだったりすると尚更だ。

 もっとも,これも慣れかもしれない。

 黒いマスクだって,かなり気持ち悪かったが,多少は見慣れてきた。昔は白いワイシャツを着ている人しかいなくて,色物のワイシャツを着ている人がいるとすごく変に見えたが,最近は白いワイシャツの方が目立つくらいだ。マスクもそうなるかもしれないが,やはり今は気持ち悪い。

 それよりも,政治家なんかの場合は,布マスクをしているか,使い捨てマスクをしているかに注目した方がいいのかもしれない。安倍総理のように,頑なに小さい布(ガーゼ?)マスクに固執している人もいる。小さすぎて顎が完全に出ているのはいただけない。布マスクにこだわるにしても,大きめのをするべきである。あんなマスクでもいいんだというメッセージを発信していることになるからだ。

 政治家(自治体の首長もそう)が布マスクをしているのは,そこにこだわりがあるからなのだろうが,手に入るならできるだけ使い捨ての不織布マスクをすべきなのは言うまでもない。最近は多少(値段は高いが)不織布マスクも流通するようになっているので,やはりリーダーたるべき人は感染予防により効果のある(と言われる)不織布マスクをすべきだと思う。

 布マスクの素材もいろいろなのだろうが,昔売っていたようなスカスカのガーゼマスクに近いものでは効果はほとんどないだろう。使い回しということを考えれば,効果があって長持ちする(縮みにくい)素材を積極的に紹介すべきだと思うが,聞いたことはない。どんな布でもいい,というようなメッセージを流すのはよくない。古着を加工して作ったりしている人もいるようだし。

 そんな中で,個人がマスクを作っていろんなところに寄附するのが美談として報道されているが,そのまま使って大丈夫なのか,非常に心配である。その方は純粋に善意からやったことなのだろうが,衛生的な環境で清潔な布を加工したのかどうかも全く分からないものをいきなり口に当てるのは,かなりリスキーである。だからといって,一度洗ってから,というのも,数が多くなると難しくなるだろう。学校などでもらって,生徒に配るときに,「一度洗濯してから使いましょう」などと言うのも,寄附してくれた方にそんな話が伝わるかも,と思ったら言いづらい。やはり,専門の設備もない人が安易に他人に配るのは気を付けた方がいいと思う。善意が仇になるということはよくあることだから。それを簡単に美談として流すマスコミも,よく考えるべきだ。

 

 ということで,当面は布マスクはしないつもりだ。乾燥予防ぐらいにしか効果はないし,特に柄物は気持ちが悪いから。売っているものだって,きちんと衛生的な環境で作られたかどうか分からないものばかりだ。

 他人に大量に配った布マスクから感染が拡大した,なんてことのないことを祈る。

 

 

mora qualitasを使ってみた

 ソニーのmora qualitasの無料体験をしている。

 クラシックについて言うと,まだまだ曲が少ない

 確かに,CD1枚より安い値段でハイレゾ音源が聴き放題というのはすごいことだ。moraではハイレゾで配信していない曲がハイレゾで聴けるものもある。逆に,moraにあるのにmora qualitasにはないものもある。

 有料に移行するかは,もう少し使ってみて決めたい(できれば続けたいが,お財布と相談してになる)が,鍵は,曲の多さと検索のしやすさかなと思っている。

 

なぜ毎日夜中に記者会見するのか

 よその都道府県のことは知らないが,福島県の場合,新型コロナウイルスの感染者が出ると,毎日のように夜に知事が記者会見をしている。

 昨日(2020年4月25日)の場合,2人の感染者が出たということで,夕方のニュースでは21時30分から記者会見をすると言っていた。こんな時間に記者会見したところで,その後地方ニュースはどこもやらないし,誰が見るのだろう。今朝の新聞を見ても,記者会見でたいした話が出たわけではなさそうだし,わざわざそんな時間に記者会見をやる必要性がどこにあるのだろうか。

 知事が出てくるのでなくても,県が新型コロナで記者会見をするとなれば,マスコミだって駆けつけないわけにはいかないし(みんな交替で県庁に詰めているのかもしれないが,そうでないマスコミだってあるんじゃないか),準備する県庁の人はもっと大変なはず。いつも呼び出されてる医大の先生なんて,本業がほかにあるだろうに,毎度呼び出されて,お気の毒としか言いようがない。

 

 記者会見するにしても,時間というのがあるだろう。こんなときだからこそ働き方改革も考えてほしい。

 毎日,情報を出すのが福島県は遅いような気がする。ほかの都道府県はもっと締める時間が早いのではないか。あと1時間早くてもいいんじゃないか。そして,よほど重大なことがない限り,いちいち記者会見する必要はないのではないか。少なくとも,記者会見するなら夕方6時のニュースには間に合わないと意味がない。

 そのくせ,ホームページの更新はすごく遅い。感染者数は,翌朝にならないと更新していないようだ。

 しかも,新型コロナ関係でも,県のホームページのあちこちに情報が分散していて,必要な情報がどこにあるのかさっぱり分からない。

 そうとう現場は混乱しているのだろう。職員も疲弊しきっているのではないか。県庁は知らないが,福島市役所など,相当ヤバいという話だ。

 だからこそ,余計なことはやらず,本当に県民が必要な情報をタイムリーに出すようにすべきだ。

 それと,業務が増えて大変ならば,人を雇うべきである。役所の中でやりくりして対応しようとしているのなら,新型コロナのせいで職を失ったような方を短期間でも雇った方がいい。どうせみんな初めての業務なのだし,全員が正職員である必要はないだろう。正職員が残業してやるより,はるかに費用もかからないはずだ。

 

 一昨日の新聞には,県議会の議長が臨時議会を招集するとかいう記事が出ていた。5月中旬までになんて書いてあったが,予算ならさっさと専決でやるべきだ。マスクだって何だって,遅くなると買えなくなるし,値段も上がる。悠長なことを言っている場合ではない。だからといってまさか連休中にやるなんてバカなことを言うバカはいないだろうと思うが。

 

 

レコード芸術2020年5月号「新時代の名曲名盤500①」

 また始まってしまった。こないだやったばっかりじゃないか,と思ったら,前回は2014年5月号からだったというから結構前だが,完結したのが2016年4月号。その後MOOKが出て,さらに2017年11月号と2018年5月号に補遺のような企画があったので,やはり感覚的にはつい最近やったばかりだ。

 やったばかり感が強いのにはもう一つ理由があって,前回と作りがほとんど変わらないため。レイアウトがほとんど同じ。違うのは,前回までは10人で選んでいたのが8人に減ったこと。経費削減か。あるいは後述のように票がばらけすぎて収拾がつかなくなるからか。

 

 もういい加減やめらいいんじゃないかと,前回よりも前から思っているのだが,やめられないのだろう。

 やめた方がいい理由は,あまりにも票がばらけすぎて,「名曲名盤」のランキングとは言えなくなってしまっているから。

 そのことは,心ある人は思っている(た)のだろう。ついに,選者・執筆者自身がカミングアウトしてしまっている。

 今回の44ページ,ブラームス交響曲第1番のコメントで,1位のガーディナーが3人,2位のカラヤンが2人から票を得ただけで,後は全部1人しか票を入れていないという状況(結果,順位は1位,2位,3位,9位,15位となっている)に対し,増田良介氏が「もうランキングの体をなしていない」と書いてしまった

 よくこの1文をそのまま載せたなと思う。完全なる自己否定だ。編集部がきちんとチェックしていないのか,編集部事態がそう思っているのか。何せ,ランキングの体をなしていないのはこの曲だけでなくて,ほとんどの曲がそうなのだから。

 この手の企画を欲しているのは,おそらく,クラシック音楽初心者で,これから,名曲名盤と呼ばれるものから聴いていこうとする方たちだろう(自分も昔はそうだった)。それなのに,こんなランキングでは,本当にまず何を聴くべきなのか,およそ信用できない。初心者向けのガイドとしては全く役に立たないということだ。一方,レコ芸の長年の読者には,もはやこんな企画は不要なはず。

 上位に選ばれているCDも,初心者がまず聴くべきものとしては疑問なものが多い。

 ということで,もうやめるべき時期なのだろう。編集部も本当はやめたいのではないか。読者の反応を見て,これを最後にしようと思っているのではないか。だからあえて手抜きとも思えるような編集をしているのではないか。

 増田氏には,あえて書かせたのだろうか。まさかそこまでするとは思えないが。あるいは,増田氏には最後の良心が残っていたということか。「ランキングの体をなしていない」と書いてしまった後の増田氏の文章には力がない。それに対して,したり顔で御託をこねている矢澤氏の文章が何とも滑稽に見える。

 どうぞ,もうやめてください

 途中で打ち切り,というのもいいのではないか。黒歴史として,レコード芸術の歴史に残るだろう。

 

 さて,ランキングを見て思うのは,「ファウスト祭り」だなということ。もちろん,ヴァイオリニストのイザベル・ファウストのことである。

 ヴァイオリンの曲は,ほとんどがファウストのCDが1位になった。1位じゃないのは,そもそも録音していないブルッフを別にすると,バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(1位はコパチンスカヤ)とブラームスのヴァイオリン・ソナタ(1位はクレーメル)だけで,それでも両曲ともファウストは2位だ。「まさに旬」と普通なら言うところだが,好きなヴァイオリニストではないので,そう素直には言い難い。

 いつもそういう演奏家がいるものだが,今だとこの人を1番に挙げておかないと(バカにされる?)という人がいる。今はファウストがそうなのは間違いない。評論家がこぞって絶賛するのは,まずはこの人だろう。

 だが,なぜそんなに持ち上げられるのか,正直分からない。ここではあえて具体的にけなすのはやめておくが(いつか書きたい),謎だ。この後もずっと彼女の録音が名盤として残っていくのかには注目したいと思っている。

 

 

 月評を読んでいて一つ気になったので書いておく。

 協奏曲の岡部真一郎氏の評なのだが,複数の曲が入っているCDで,曲を示すのに,なぜか「○長調協奏曲では」とお書きになる。これだと,どの曲を指しているのか,巻末の一覧表を見ないと分からないのだ。何とも不親切だし,そう書く意味も全く分からない。学者先生なので,番号で書くのは下々の者のすることだとか,何かこだわりがおありなのであろうか。論文じゃないので,そんな書き方をする必要は全くないのに。

 例えば,1つ目のシラノシアンのタルティーニだと,2つ目の段落で「…とされているニ短調協奏曲では」と書かれているが,月評のページには調性は書かれておらず,作品番号しか書かれていないので,作品番号を書いてくれないとどの曲のことを書いているのか分からない。後から「もう一つのニ短調,後期のD45」とは書いているが,それならなぜ最初のニ短調の作品番号は書かないのだろう。

 次のリシャール=アムランのモーツァルトもそう。第22番が「変ホ長調」だと知っている人はいいが,知らない人だとどっちの曲のことを書いているのか分からない。収録順に書くとは限らないのだから。後から「続くハ短調協奏曲では」との記載が出てくるので,変ホ長調が第22番の方だという推測はできるが,こんな書き方だと,最後まで読んでもう一度読み返さないと何の曲のことを書いていたのか分からないということになる。別に,「第22番」「第24番」と書けばいいだけ(もう一人の相場氏は,当然そういう書き方をされている)。どうしても調性にこだわるなら,「第22番変ホ長調」と書けばよい。

 単なる想像力不足のこだわりなのか,わざと意地悪しているのか。

 いずれにせよ,こういう困った評を直させるのが編集者の仕事だと思うのだが,偉すぎて何も言えないのだろうか,それとも,そもそも気付いてもいないのだろうか。

 誤字脱字は一時期より減った気はするが,人名の不統一などは相変わらずだ。全体を俯瞰して見る人がいないのだろうか。

 

 

受動喫煙対策がまったくされてない福島県庁

 先日,福島県庁のそばを通りかかると,ちょうど桜が満開だったので見に行った。

 中庭というのか,本庁舎の南側の阿武隈川沿いには桜の木がたくさん植えてあって,とっても綺麗だった。お昼時で,県職員の人たちも眺めていた。

 すると,どこからかタバコの臭いが。見渡すと,喫煙所らしきものが2ヶ所あって,人が群がっていた。まったく囲いも何もなく,周囲に煙は垂れ流し。強烈な臭いだ。

 しかも,そこだけは人口密度がすごい。この新型コロナウイルス騒ぎの中,何をやってるんだと思った。

 

 法律のことはよく分からないが,こういう公共施設でまったく受動喫煙対策がされず,毒をまき散らして許されるのだろうか。法律以前の話だと思う。内堀知事の人としての姿勢の問題だ。

 

 多くの県民は知らないのだろうが,こんなことを許していいのか。

 せっかくきれいな桜を見たのに,すごく嫌な気分になった。

 

 

ポリーニのベートーヴェン ピアノ・ソナタ集

 マウリツィオ・ポリーニベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番,第31番,第32番を再録音した(グラモフォン UCCG-40096)。特に予告なく,いきなり発売の告知が出たので,驚いた人は多かっただろう。

 ポリーニといえば,1975年録音の第30番と第31番,1977年の第32番の旧録音は非常に有名でどれもがこれまで最高の名盤として紹介されてきたもの。

 なので,最近のポリーニの演奏からは,旧盤を超えるような演奏が聴けるのかどうか

非常に不安であったが,とりあえずすぐ予約して購入した。

 既に何度も聴き,旧盤とも聴き比べたが,今日,レコード芸術4月号に月評が載ったのも読んだので,感想を書いておくことにした。

 というのも,何とも評価が難しい感じがしたので,レコ芸でどういう評価がされるのかも非常に興味があったからだ。結果は「特選」。濱田,那須田の両氏とも絶賛と言っていいのだろう。

 

 新盤は,最近のポリーニのCDと共通していて,演奏自体は言わば「一筆書き」といった趣き。テンポが速く,細部にこだわるというよりは,全体の流れの良さを重視したような演奏。

 そして,旧盤との印象の違いを際立たせるのは録音で,残響が多く,ぼやっとしている。

 これまでと同じ,ミュンヘンのヘルクレスザールでの録音なのに,全く違う会場としか思えないような録り方。演奏の傷を隠すためじゃないのかと勘ぐっているのだが,どうなのだろう。この前に出たショパンの演奏もそうだった。

 

 旧盤と聴き比べて,やはり旧盤の方がよいと思った。そんなに聴き込んだCDというわけでもないが,旧盤は素晴らしい。圧倒的である。やはり,旧盤と比較すると新盤はかなり落ちると思う。録音も足を引っ張っているとしか思えない。

 だからといって,そんなに悪い演奏というわけでもないのも事実。これだけ聴いたら,かなりいい演奏だと思うのでは,とも思った。

 というわけで,ほかの演奏家の演奏(特に,第30番と第31番)を聴いてみた。

 いろいろ聴いたが,ポリーニが断然いい,というのが改めてよく分かったのと,新盤も非常に素晴らしい演奏だということ。

 これでもう少し残響が少なかったら,と思わずにはいられない。ポリーニ自身の指示なのか,グラモフォンのスタッフの考えなのか,気になるところだ。

 

 今回は,国内盤はMQA仕様で,MQA-CDを買ったのは初めてで,どうやったらハイレゾで聴けるのかが解説書添付の説明文を読んでもさっぱり分からないのには困った。

 FLACリッピングして対応機器で再生しようとすれば,「.mqa.flac」と拡張子を変えればいいらしいと分かったが,それでは不十分な場合があり,「MQATagRestorer」というソフトを使ってMQAファイルを作成した方がいいようだ。

 しかし,残念ながらまだ対応機器を持っていないので,楽しみはこれからなのである。

 

 

 ポリーニというと,1980年代後半~1990年代のいずれかの時期に腕を故障し,演奏に変化が生じたというのが大方の見方であり,実際そうだと思うが,その本当の時期や故障の原因・状況は謎に包まれている。

 特に時期については,人によって言うことが違うので,よく分からない。

 ライヴ録音が増えた(特に協奏曲)ことや,録音の感じが変わった(前述のとおり,徐々にかもしれないが,残響が多くなり,最近のはひどい)ことも原因だと思う。

 

 ポリーニが自分にとって最も重要なピアニストであることは変わりない。

 せっかくなので,特に好きなディスクを挙げておく(ABC順)。

バルトーク:ピアノ協奏曲第1番,第2番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第15番《田園》

・ 同 第17番《テンペスト》(旧盤)

・ 同 第21番《ワルトシュタイン》(旧盤)

・ 同 第22番

・ 同 第25番《かっこう》

・ 同 第26番《告別》

・ 同 第28番

・ 同 第29番《ハンマークラヴィーア》

・ 同 第30番(旧盤)

・ 同 第31番(旧盤)

・ 同 第32番(旧盤)

ショパン:ピアノ・ソナタ第2番《葬送》(旧盤)

・同:舟歌(旧盤)

・同:子守歌(旧盤)

ドビュッシー前奏曲集第2巻

・リスト:ピアノ・ソナタ

モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番

プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番《戦争ソナタ

シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番

・ 同 第21番

 

曲自体が好きなものを挙げているので,その曲でのベスト演奏,ということで言うと,ほかにもあるかもしれない。