新型コロナウイルス②

 マスクについては以前も書いたが,布マスクは更に増殖していて,奇妙な柄のマスクをしている人が目立つようになってきた。

 見てる方が恥ずかしくなるような柄のマスクも目に付く。

 知り合いに聞いた話だが,先日,福島市内の小学校で,学習センター(公民館)がボランティアを募って作ってもらった布マスクが児童に配布されたのだという。学校からは,使う前に1度洗ってくださいという注意書きがあわせて配られたとか。

 洗わないと危なくて使えないようなものを配るというのもどうかと思う。

 自分が親だったら,どこの誰がどういう布を使ってどうやって作ったかも分からないマスクを子供に使わせるのはかなり勇気がいると思う。というか,使わせない。

 この手の話は,相手の善意から出ているので対応が難しいので,他人に送ろうとする方が相手の迷惑にならないかよく考えないとダメだ。

 善意で配布されたマスクにウイルスが付着していてクラスターが発生したなんてことになったら,ほんとに洒落にもならない。そういうことへの想像力がないのは問題だ。間違った善意ほど怖いものはない。

 また,福島県内のある会社が,夏用のマスクを製作・販売しているとテレビのニュースで取り上げられているのを見た。普通の縫製工場で,マスクをした従業員の方が手際よくミシンで縫い上げ,作業台にポンポン積み重ねていく様子が映されていた。

 その後,マスクは滅菌処理されているのだろうか,と心配になった。

 どうせ取材するなら,パッケージングされるところまできちんと取材してほしかった。こういうのを見ると,最近あちこちで売っている布マスク(花粉を通さないとかウイルスを通さないとか書いてあるものもある)は大丈夫なのかと心配になる。

 道の駅などで,素人が作ったと分かる布マスクが売っているが,これはボランティアが寄附したのと同じようなものなので,買った方もまずは一度洗った方がいいかなと思うだろうが,どこかの会社が作ってドラッグストアやコンビニで売っている布マスクが滅菌されていないと思う人はほとんどいないと思う。

 生地の調達する段階からきちんと衛生的に管理されていないといけないわけで,危ないのは新型コロナウイルスだけでもない。極端に免疫力が落ちている人では,常在菌から感染を起こして重篤な状態に陥ることだってあるわけで,そういう人が家で布マスクをする可能性は低いかもしれないが,とにかく,何が原因で感染症を起こすかは分からないのだから,常時口にあてておくことになるマスクについては,できるだけ無菌に近い状態にしておくことが重要なのは言うまでもないことだと思う。

 とにかく,布マスクのせいで感染が起こったりしないことを祈る。

 

 

 学校の9月入学制の話が話題になっている。改革派知事を自認している一部の知事が突然騒ぎ出したことに違和感を感じている人も多いと思う。

 この手の話はなかなかはっきりした反対意見は言いづらいのだろう。アンケートで明確に反対を言う知事はいないことになっているようだ。せいぜい,慎重な議論が必要だ,くらいしか言ってないようである。

 「議論(あるいは検討)が必要」という言葉に異議を唱える人はまずいないだろう。しかし,今は検討している場合ですらないはずなのだ。

 知事が言い出したら,そこの都道府県の職員はいろいろと検討しなくてはいけなくなってしまう。今,新型コロナ対策でいっぱいいっぱいなのに,さらに余計な仕事を増やすことになるのだ。その分,新型コロナ対策に時間が取れなくなる,ということである。偉くなると,そういうことすら分からなくなるのだろう。マスコミもそうだ。末端で働いている人間のことなど全然気にしない。むしろ,検討や議論を奨めるようなことしか言わない。しかし,今は検討や議論すること自体が時間の無駄なのだ。

 そして何より,これは意外と盲点だったかもしれないが,9月入学制を推進しようとしている方たちが実は全然きちんと考えていないということが露呈してしまったのは,今,新型コロナの関係で9月入学制に移行しようとすると,欧米などの9月(頃)入学制としている国と比べて,1学年分年齢が遅れるということが分かったからだ。

 推進論者の主な論拠は,日本の学生が留学しやすくなったり,外国からの留学生を呼び込みやすくするためだと言っていたはずである。ところが,今9月入学制にしてしまうと,留学することで今は約半年遅れるのが,1年遅れになってしまうのである。これでは全く逆効果ではないか。推進論者の論理が破綻していることが明らかになってしまった。

 こんなデタラメな話に乗せられて,貴重な時間を取られてしまうのは,国民にとって大きな損失である。

 国も自治体も,今すぐ検討すること自体をやめるべきだ。その分の時間をほかのことに回すべきだ。

 

 

 カナダのトルドー首相がアジア系住民に対する攻撃が急増していることに対し,「容認できない」と発言したという(APFBB News)。

 元々が(たぶん)英語のコメントなので,どういう言葉を使ったのか分からないのだが,本当に「容認できない」なら,何を言ってるのかと思う。容認できないのは当たり前のことで,そんな当たり前のことを言うのでなく,もっともっと強い言葉を使ってメッセージを出さなければ,一国のトップとしては失格だ。

 APFの見出しがそうなっているので余計にそう感じてしまうのだが,当然に「容認できない」ことに「容認できない」と発言したということを見出しに持ってくるという感覚もどうかしていると思う。問題は,容認できるかできないかではないのだから。

 こういう雑なメッセージはよろしくないと思う。発言する側も,伝える側も。

 

 

 新型コロナがらみだけではないのだが,最近,スポーツ紙を中心に,ホリエモンなどの有名人がツイッターでこういう発言をした,とかいう記事を,何の論評もなく載せる記事が目につく。インターネットのニュースサイトでも上位に表示させることが多いので,異様に目に付く。

 一有名人が何か言ったからと,いちいちマスコミが報道するというのは,どいういう神経なのか。取材も何もせずに,ただコメントを垂れ流ししているだけというのは,世の中をバカにしすぎている。報道される発言自体が世の中をバカにしたような発言が多いので,尚更だ。

 ツイッターが見たければ,見たい人が勝手に見ればいい。YouTubuやインスタもそう。誰々がこういうのを上げた,と,そのまま垂れ流しするのは,怠慢も甚だしい。特にテレビの場合は,見たくなくても,聞きたくなくても飛び込んでくるので,勘弁してほしい。