mora qualitasの曲数が5,000万曲に?

 2021年5月31日に発売される別冊ステレオサウンド『かんたん、わかりやすい 音楽ストリーミング~サブスク&ライブ配信~再生ガイド』の紹介記事をStereo Sound ONLINEで見ていたところ,「主要ストリーミングサービスの料金プラン&主な機能比較」の表で,mora qualitasの楽曲数が「5,000万曲」と,SpotifyAmazon Music HDと同等の曲数になっていることが分かった!

https://online.stereosound.co.jp/_ct/17454701

 これは,「2021年5月1日現在の情報」だという。

 「mora qualitas 曲数」で検索しても,正式には「非公表」で,「数百万曲」から「500万曲」といった情報しか見つからないので,これが本当だとしたらすごいスクープと言っていいと思う。

 しかし,この記事では,mora qualitasの料金が月額1,980円(税込み)と間違っていたり(税込みだと1,980円×1.1=2,178円が正しい)Spotifyの曲数は7,000万曲以上という情報もある(5月24日配信のSLASH GEAR「結局、Apple MusicとSpotifyはどちらが優れているのか」 https://slashgear.jp/tech/20175/ 参照)ので,にわかには信じがたい。

 信じがたいどころか,5,000万曲と500万曲を間違っているようでは,あまりにひどい。間違いじゃないことを祈る。moraはすぐにでも公式発表をしてほしい。本当なら,三たびmora qualitasへの復帰も考えないといけない。相変わらず歌詞表示には対応していないようだし,料金は高いのだが。

 

 

 それはさておき,Amazon Music HD値下げという情報は聞こえてこないので,来月から3か月はAmazonは一時解約して,Apple Musicの無料体験を使うつもりでいる

 Apple製品ユーザーからするといろいろ不満な点もあるようだが,こっちはApple製品は一つも持っていないので,お試しであれば全く問題ない。むしろ,AndroidWindowsでどのくらい使えるのかの方が大事だ。

 Appleは肌に合わないというか,昔から好きじゃなかったのだが,別にAmazonが好きなわけでもないので,使い勝手がよければそのまま乗り換えるつもりだ。

 Amazonの使い勝手の悪さにも嫌になってきているところだったので,ちょうどいいタイミングだったかもしれない。

 

 

mora qualitasは終わるのか

 Apple Musicが,6月からロスレス音源の配信を追加料金なしで始めるのだという。

 今回発表された内容は,

約7,500万曲の全曲がロスレスでの配信になる

最大192kHz/24bitのハイレゾ音源も提供される

ドルビーアトモスを使った空間オーディオの配信も始まる

・これまでと料金が変わらない(月額980円)

ということだそう。

 空間オーディオはすぐには楽しめそうにないが,その他はかなり魅力的だ。

 

 Amazon Musicもすぐにロスレス/ハイレゾ配信の追加料金をなしにするという発表をしたが,日本は対象外だという。つまり,月額1,980円のままだ。Appleより1,000円も高いことになる。

 しかも,Amazonはいまだにロッシー(AmazonはSD:標準音質と言っている)音源だけのものも結構ある。

 その上,公称曲数は7,000万曲と,Appleより500万曲も少ない

 検索を始めとして,使い勝手はかなり悪い。

 

 いずれ日本のAmazonも追加料金なし(月額980円)になるのではないかと思うが,すぐにやらないとAppleに流れる人が続出するだろう

 音質の比較も気になるところだが,違いが分かる自信はない。とはいえ,Appleのことなので,分かりやすい形でAmazonより音質が良いことをアピールしてくるのではないか。

 まずはAppleの3か月無料体験を利用する間にAmazonは解約し,最終的には使いやすい方にしようかと思っている。

 

 

 AppleAmazonの戦いはさておき,気になるのはmora qualitasの方である。

 曲数が増えたとの話も聞かないし,使い勝手が良くなったとの話も聞かない

 料金は月額2,178円と断然高い

 音質の良さは多くの人が認めるところだが,そうそう違いが分かるレベルだろうか。

 

 今回のAppleの動きがmora qualitasにとどめを刺すのではないかと危惧してやまないところだが,何とか本気を見せてほしい。残された時間は,少ない

 

 

ホセ・クーラ指揮のラフマニノフ交響曲第2番

 ホセ・クーラがシンフォニア・ヴァルソヴィアを指揮して2001年に録音したラフマニノフ交響曲第2番が配信で復活していた。

 

 Amazon Music HDではハイレゾ(24bit,96kHz)で配信されている。Spotifyでも聴けるが,mora qualitasにはないようだ。

 

 このCDは,テノール歌手のクーラが指揮者として交響曲を録音した初めてのCDとして,その演奏の素晴らしさもあり話題になったものだ。

 実際,演奏はこの曲のCDのベストと言っていい出来で,非常に熱く,隅々まで血が通っている。クーラはこの曲が大好きだそうで,1音たりとも愚かにせず,きっちり聴かせようという意志が強く感じられる。特に第4楽章は圧巻だ。すさまじいエネルギーで前進し,圧倒的なクライマックスを迎える。

 

 このような名盤にもかかわらず,発売されたCDは盤質が最悪で(2000年代にもかかわらず),聴けなくなってしまったという報告が多数見られる。実際,手許にあるCDも,今は第1楽章しか認識されない。かろうじてダメになる前にリッピングできたので聴くことができていたが,何とも残念な状況であり,しかも随分前に廃盤になっていた。

 

 本当にたまたま見つけたのだが,サブスクは意外と聴きたい曲が配信されていなかったりして,特に,昔聴いたことがあってまた聴きたいと思って探しても,見つからないことがほとんどなので,珍しく満足できた。

 

 

 また別にまとめて書こうと思っているが,やはりAmazon Music HDはいろいろ使いづらいことが多く,特にスマホタブレットで顕著である。

 使いづらいというより,分かりにくいと言った方がいいのかもしれない。

 さらに,曲の検索がしづらい。配信されていても,なかなかたどり着けないことが多い。クラシックの場合,同じ曲の聴き比べをしようと思うと,これがまた難しい。曲名で検索して一気に出てくれば楽なのだが,日本語で探したり,英語で探したり,演奏者名で探したりと,いろんな方法で検索しないと,聴きたい演奏にたどり着けないのだ。

 

 また,相変わらずmora qualitasは曲数が絶望的に少ないようだ。一気に10倍以上に増やしてくれないと,話にならない。

 SpotifyApple Musicがハイレゾに参入するという噂もある中,このままだと消滅してしまうのではないか。そうなるのは非常に惜しい。何とか生き残ってほしい。いつでも戻る準備はできているので,とにかく曲数を増やしてほしい。

 

 

レコード芸術2021年4月号

 「レコード芸術」の2021年4月号の特集は,「進化するショパン」。

 「今世紀に入って,新校訂譜の浸透,楽器や奏法をはじめとする歴史的情報に基づいたアプローチの研究が進」んだことから組まれた特集だという。

 まさにそのとおりだし,ショパンが特集で取り上げられたのは記憶にないくらいなので,タイムリーな企画だと思う。

 大いに期待したが,果たしてまたまたそれは大いに裏切られた。

 

 まず,「新校訂譜の浸透」という点については,もちろん触れられてはいるが,さらっと流して書いてある程度。

 読者としては,何か有名な曲と演奏(CD)を取り上げて,具体的にどういう違いがあるのかといったことを知りたいところだが,そんな記事はなし。

 

 「楽器や奏法をはじめとする歴史的情報に基づいたアプローチ」についても,仲道郁代さんのインタビューの中で多少ふれられていたり,NIFCレーベルの紹介でこういうCDがあると紹介されている程度。

 これもやはり,有名曲を取り上げて具体的にどこがどう違ってくるということを解説してほしいが,そういう記事はなし。

 楽器についても,今のピアノとの違いについて,構造や音色,奏法などいろんな角度からの分析ができると思うのだが,ほぼ説明はなし。

 

 そして,例によって執筆者任せなのがバレバレで,内容がかなりダブっている。

 例えば,「ライヴ録音でたどるショパン・コンクールの受賞者たち」と「ショパン演奏の名手たち そのピアニズムの系譜」の後半は内容がかなり共通しているし,ほかの記事ともダブる部分は多い。

 さらにひどいと感じたのは,各記事で紹介されている名盤で,ポリーニの12の練習曲が3回も出てくること。ほかにも複数出てくるCDがある。こんなのは見たことがない。

 

 結局,またまた企画倒れで中身の薄い特集になってしまった。

 編集者の力量の問題だと思う。

 

 

 新譜月評で取り上げられた中での注目盤はベルリン・フィルマーラー交響曲全集だと思うが,これについては3月号の「先取り!最新盤レビュー」で,広瀬大介氏が2011年にアバドが指揮した《大地の歌が入っていないことを嘆いていた。これは,アバドベルリン・フィルのファンは当然思ったことだと思う。このときの演奏は非常に素晴らしいもので,NHKで放送されたし,デジタル・コンサートホールでも見ることができる。

 アバドは《大地の歌》をCD録音していないので,そういう意味からも,この全集の発売に合わせてCD化することには大きな意味があったと思う。この全集は高くてなかなか手が出ず,買っていないが,アバドの《大地の歌》が入っていたら,すぐに買っていたかもしれない。そのくらいの名演だった。

 それがなぜCD化されなかったのか。

 カウフマンがノットとCDを出しているからとか推測はできるが,ファンが当然疑問に感じるようなことを取材して明らかにするのがレコード芸術のような雑誌の使命なのではないか。

 3月号で広瀬氏が疑問を呈されたのだから,取材して,4月号で答えるべきだった。

 

 そうでなくても,もうずっとそうだが,インタビューにしても海外楽信にしても,掘り下げられた濃い内容のものは稀になってしまっている。

 もっと突っ込んだインタビューや取材をした結果を読ませてほしい。

 

 

 ついでに,ベルリン・フィルマーラー交響曲全集について少し書いておく。

 正直,今,この中でお金を出しても欲しいと思っているのは,ペトレンコ指揮の第6番だけだ。演奏は実に素晴らしい。一つだけ気に入らないのは,第2楽章をアンダンテ,第3楽章をスケルツォとしていること。

 これは,ペトレンコもかなり悩んだのではないかと思われる。というのも,第1楽章と第2楽章の間に非常に長い間を置いているから。やはり,曲想からは,第2楽章にスケルツォを持ってくる方がしっくり来ると思っているからだと思う。とはいえ,最新の研究も無視できず,というところだろうか。

 今後また研究が進んで,やはり第2楽章はスケルツォマーラーの意図するところだった,なんてなることもあるかもしれない。そうなったら,第2楽章はアンダンテだと言った研究者の罪は重い。

 個人的には,スケルツォ-アンダンテの順で演奏する方がいいと思う。そして,第1楽章と第2楽章,第3楽章と第4楽章はアタッカで演奏するのがいい。

 特に,あのアンダンテの後,すぐに第4楽章が始まると,何とも言えない感じがする。スケルツォの後では,ある程度間を置かないとしっくり来ない。

 最近の録音でも,クルレンツィスは,スケルツォ-アンダンテの順で演奏している。やはり,そうしないと違和感を感じる演奏家は多いのではないかと思う。

 かつて,諸井誠氏は,第1楽章とスケルツォは実質的に一体であるとして,3部構成のシンメトリー構造になっていると指摘していた。そのとおりだと思う。実際に聴いてそう感じるのだ。シンメトリカルな3部構成という構想と,古典的な4楽章構成という構想のいわば妥協の産物がこの交響曲だったのではないかと思う。おそらく,マーラーもどういう順番にしたらいいか,かなり悩んだのではないかと思う。もし,マーラー自身が何度もこの曲を演奏する機会を得ていたら,最終的にはスケルツォ-アンダンテの順にしたのではないかと思う。

 

 もう一つ,ハイティンクの第9番について書いておく。ハイティンクは,1980年代の終わりから1990年代にかけて,ベルリン・フィルマーラー交響曲全集を作ろうとしていた。それが,フィリップスにリストラされ,第8番,第9番,大地の歌の3曲を残して頓挫してしまったのはよく知られているところである。

 今回,全集に入れられた2017年の第9番は,その穴の一つを埋めるものになるとの期待も大きかったと思われる。

 しかし,聴いてみて,そうはならなかったと思った。

 フィリップスに録音した第1番から第7番までは,非常に素晴らしいできだった。特に第1番,第2番,第5番,第6番がお勧めである。

 やはり,構成がしっかりした曲の方ができがよく,ある意味ハチャメチャな曲である第3番と第7番は面白くなかった。第4番も真面目すぎて今ひとつ。

 今回の第9番はその頃からだいぶ時間が経っており,同列に語れる演奏では全くなくなっていた。

 まず,ベルリン・フィルがすっかり変わってしまっている。ハイティンクの非常に遅いテンポを完全に持て余している。音の重量感がかなり減ってしまっているのでなおさらだ。

 ハイティンクも,20年前ならもう少しテンポも速く(特に中間楽章),ダレずに演奏できたと思うが,今回は完全にダレてしまっている。第3楽章など,演奏時間ではクレンペラー並みなのだ。それを持たせるだけの力が,もはやハイティンクにもベルリン・フィルにもなくなっていた。

 かえすがえすも,あの当時に全集として完結しなかったことが残念でならない。

 

福島県の奇妙な新スローガン

 最近,福島交通のバスの正面に,なんて書いてあるのか読めない垂れ幕が掛かっているので,何かと思ったら,福島県の新スローガンだという。

 「ひとつ、ひとつ、実現する ふくしま」

というのだそう。

https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/01010d/jitsugensuru-fukushima.html

そのデザインからは,何て書いてあるか全然読めない

そして何より,意味不明である。

 

デザイン的には優れているのかもしれない。

だが,役所のスローガンとしてはどうなのか。

非常に疑問だ。

 

ちなみに,白黒コピーしたら,完全に読めない

ユニバーサルデザインに配慮されているのだろうか

その道の専門家の意見を聞きたいところだ。

 

 

Amazon Music HDレビュー①

 mora qualitasからAmazon Music HDに乗り換えて1か月以上経った。

 曲数があまりに違うので比較にならないくらいなのだが,そのつもりで聴きたい曲を探すと,意外とAmazonにもないアルバム/レーベルが多いのが分かった。

 CDと違って発売日がはっきりしていないので,いつ配信されるのかもさっぱり分からず,最新録音がすぐ聴けるとは限らないことも分かってきた。

 加入したところ,HDは90日無料キャンペーン対象だったのにはひどく得した気がしたが,だんだん問題点・不満点も出てきた。

 順次書き残しておこうと思う。

 

1 ハイレゾが意外と少ない

 Amazon Music HDの場合,いわゆるハイレゾ(音質は様々)の「ULTRA HD」,CD音質の「HD」,256kbpsの不可逆圧縮である「SD」の3種類があり,ULTRA HDとHDが聴けるのがポイントなのだが,意外とSDの曲が多く,ULTRA HDが少ないというのが印象である。

 ハイレゾ音源がある曲の場合,mora qualitasだとハイレゾとCD音質の両方を選んで聴けるのがほとんどだが,Amazonではどちらかしかない。

 

2 1つのアルバム内でULTRA HDとHDが混在

 これはかなり驚いたのだが,同じアルバム内でULTRA HDの曲とHDの曲が混在しているものが結構ある。

 曲の人気度とは関係ないようなので,どういう基準でそうしているのか分からないのだが,かなり不思議だ。

 やはりAmazonが「音楽」を大事にしておらず,「商品」としか考えていないことの証拠の一つだと思う。

 例えば,ラトル指揮ベルリン・フィルマーラーの復活(2種類がアップされているうちの片方)では,第5楽章が複数のトラックに分けられているので全部で11トラックに分かれている(第5楽章が5~11トラック)が,このうち2と6~11トラックがHDで,ほかはULTRA HDなのだ。

 つまり,第2楽章と,第5楽章の途中から最後までがHDなのである。

 第5楽章のULTRA HDとHDの境目を注意して聴くと,ノイズこそ入らないものの,明らかに音が途切れている。ライヴ録音で,会場ノイズが結構大きいので分かるのだ。CDと聴き比べてみたが,間違いない。

 ちなみに,アップされているもう片方は全部ULTRA HDになっている。この辺も謎だ。なお,この音源も,トラック5と6の間で一瞬音が途切れる。ということからすると,HDとULTRA HDの境目のギャップレス対応がどの程度なのかは,この曲からははっきり分からない。

 

3 ギャップレス再生が不完全

 Amazon Music HDはギャップレス再生に対応しているとアナウンスされている。

 インターネットの記事でも,そういう書き込みが複数確認できた。

 しかし,よく聴くと,ギャップレス再生が不完全であることが分かった。

 ワーグナーなど切れ目のないオペラを聴くとすぐに分かるが,トラックの境目で小さいノイズが入るあるいは,音が一瞬微妙に小さくなる

 mora qualitasやspotifyではこういうことはなかったので,ギャップレス再生は技術的に不可能ではないはずだ。

 ここからも,Amazonの音楽に対する姿勢が分かる気がする。音楽を大事にしていない。

 

(続く)

 

 

 音楽を大事にしているかということで言うと,明らかにmora qualitasの方が上だと感じる。

 とはいえ,曲が少ないのは何ともしがたい。サブスクは,聴きたい曲が聴けてなんぼなのだから。

 早くソニーに本気を出してもらいたい。そうすればすぐmora qualitasに戻るだろう。

 

 

さらばmora qualitas

 mora qualitasを解約することにした

 1か月もたたずに我慢できなくなってしまった。

 

 理由は,前に書いたとおりだが,一番はやはり曲が少なすぎること

 聴きたい曲がないのでは,加入している意味がない。ストレスばかりたまってきて,どうにもならなくなってしまったのだ。

 ほかのサブスクも同じならしょうがないが,ほか(Spotifyとか)なら普通に聴けるのに聴けないのでは,我慢する理由がない。

 検索しにくさなどは我慢したり工夫したりすれば対応可能だが,曲の少なさだけはどうにもならない。

 

 立ち読みした雑誌にも書いてあったが,音質は断然mora qualitasがいいのだそう。とはいえ,そんなに違いが分かるほどの環境で聴いている訳ではない。

 

 ということで,来月からはAmazon Music HDにすることにした

 ギラギラしたUIや,いかにも曲を商品としか考えてないような雰囲気は気に入らないが,やむを得ない。

 

 解約を申し込んだら,mora qualitasからは,またいつでも戻ってきてくださいといったメッセージがあった。

 曲数が他のサービス並になり,指摘した弱点がいくらかでも改善されたが,また戻ってきたいと思う。

 

 

 今日の日経新聞に「ソニー,コンテンツ覇者狙う エンタメ軸への転換鮮明」という記事が出ていた。

 mora qualitasは置いて行かれたのか。それともこれから本腰を入れるのか。

 いつでも戻れるように注目はしていたいと思う。

 あわせて,Music Center for PCの改良も急いでほしい

 

「池上彰が緊急取材!どうなる!?リニア新幹線」を見た

 テレビ朝日系列で放送された「池上彰が緊急取材!どうなる!?リニア新幹線」を見た。

 冒頭からモヤモヤしっぱなしで,キレのないつまらない番組だった。

 普段,池上氏の番組は見ないので,「池上無双」とか言われているのを聞くと,よっぽどすごいのだろうと思って見たが,期待は裏切られっぱなしだった。

 

 始めのリニアの試乗は鉄道好きからしたら分かりきった話ばかりで,せっかく乗せてもらうんだからもっと突っ込んだ話を聞いてほしかった。

 一緒に取材していた女性とは隣り合わせで座っており,マスクをしているとはいえ,近すぎるのではと思わずにはいられなかった。

 

 スタジオでは,土屋礼央相手に簡単すぎるクイズを出してあっさりと正解を言われ,何の面白みもなし。

 街頭インタビューは,はっきり言って無駄。札幌や福岡の人に聞いてどうするのか。どうでもいいインタビューだけ。

 

 そして,核心は静岡県の川勝知事の問題なわけだが,ここでも突っ込みの甘さ,緩さだけが目立った。

 山梨でリニアの工事により桃畑の水がなくなったという取材は目新しいところだったが,やはり突っ込みは甘い。

 そして,今話題になっている東京電力の田代ダムの問題については,ダムの名前も出さずにさらっと触れただけ。

 川勝知事とJR東海や国との会談については,川勝知事がいちいち静岡茶を出して蘊蓄を語るところを何度もしつこく流し,時間の無駄。

 何となく,川勝知事がというより静岡県民の総意としてリニアに反対しているかのような印象を与える演出に感じた。

 

 最後は品川駅付近のトンネル工事の取材だったが,ただの野次馬のような取材。そして外環道での陥没事故を引き合いに出すも,何が言いたいのかはっきりしない結論で終わっていた。

 

 最後のまとめも,池上氏としての結論はなく,「よくみんなで考えましょう」的な誰でも言えるつまらないまとめで終わってしまった。

 

 どうも,中立を装いつつ,川勝知事に忖度したようなつくりで,それがモヤモヤの原因だったように思う。

 川勝知事に直接インタビューして無双ぶりを発揮すればよかったわけで,池上氏ならできたであろうことがなされていないから中途半端な印象になってしまったのだと思う。視聴者もそれを期待していたはずた。

 その理由は最後に分かった。製作が静岡朝日テレビだったのだ。これがテレビ朝日の製作だったら,もっと違ったのではと思った。

 

 池上氏は偉い人に忖度しないことで有名だが,そんなことはないように思った。

 

 

mora qualitas再び

 以前,お試しで利用してみたソニー音楽配信サービスmora qualitasだが,有料契約はしなかった。

 その後,Amazon Music HDとSpotifyも使ってみて,サブスクの便利さが分かり,どうせなら音質のいいサービスをと思い,mora qualitasに加入することにした。

  ハイレゾが聴けるというのならAmazonの方が曲数が圧倒的に多いし,値段も安いのだが,Amazonはどうも使い勝手が気に入らず,ソニーを応援したいということもあってmora qualitasにしたのだが,だんだん不満がたまってきている。

 何とか改善していいサービスになってほしいと思い,今感じている弱点をまとめておく。

 

1 曲数が圧倒的に少ない

 これは,多くの人が指摘しているが,一番の弱点だろう。

 ほかのサブスクが5,000万曲とか6,000万曲とか言っているところ,公式には発表されていないが500万曲くらいじゃないかと言われている。

 実際,AmazonSpotifyと比べると,明らかに少ない。聴きたい曲がない

 クラシックについて言うと,ユニバーサル,ワーナー,ソニー以外のレーベルはほとんどないんじゃないかと感じるくらいである。中堅,マイナーなレーベルの曲はほとんどない。古いものだけでなく,最新のリリースもない。

 2020年度のレコード・アカデミー賞の金賞・銀賞・銅賞すらない。金賞と銅賞はエラス=カサド指揮のハルモニア・ムンディのもの,銀賞はガーディナー指揮のSDGのもの(日本ではどれもキング・レコードから発売)であるが,これらのレーベル自体がない。もちろん,AmazonSpotifyでは聴くことができる。ほかにも,シャンドスやBISといったレーベルは聴けない。

 

 サービス開始直後は「後発だから仕方ない」と言われもしたが,既に1年以上たっており,言い訳のできる期間は過ぎている。そもそも,後発だからこそほかよりも多くの曲を揃えなければいけないのである。ほかのサービスと同じかそれ以下だったら誰も利用してくれるわけはないではないか。ほかと同じかそれ以上の曲を揃えた上で,mora qualitasでしか聴けないレーベルがある,ということでないとダメだ。

 また,クラシックではないが,例えばYMOの曲など,ソニーからCDが出ているアーティストの曲がないのもある。moraやSpotifyなどにはあるのに,だ。

 また例によってソニー内部の縦割りの弊害のせいで配信されないのではないかと勘ぐってしまう。何を考えているのかさっぱり分からない。

 とにかく,今の曲数は致命的だ。何と言っても値段が高いのだから,音がいいんだからというのは全く理由にならない。

 

2 検索しづらい

 これもいろんな人が指摘しているが,検索が非常に弱い。聴きたい曲がなかなか見つからない。ないからではなく,あるのに,だ。

 これはクラシック音楽特有の問題でもあるので,詳しく書かない(ものすごく詳細な分析をしないと無理だ)が,日本語(カナ)かアルファベットか,作曲家か演奏家か,演奏家でも指揮者だと全然引っかからなかったり(オペラなど)など,気が遠くなる思いをして曲を探している。

 

3 曲名・演奏者名が不十分

 検索しづらいこととも関係するのだが,曲に関する情報が全く不十分で,何の曲で誰が演奏しているのか全く分からないものもある。特に,全集ものやコンピレーションアルバムでそうだ。

 同じアルバムならどのサブスクでも同じなのかと思ったらそうではなかった。

 例として,グラモフォンから出ている「THE ART OF SERGIU CELIBIDACHE」のmora qualitasとSpotifyの画面を上げておく。

 mora qualitasの方は,何の曲なのか,どこのオーケストラなのかさっぱり分からない。Spotifyは,不十分だが何とか分かる。

 

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mora qualitas

 

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Spotify

 

 こうなると,もはやmora qualitasは「聴くな!」と言われているかのようだ。せめて,曲の詳細なプロパティでも見られるならいいが,そういう機能はないようだ。

 

 また,オペラなどでは,指揮者で検索しても全然引っかからないのでなぜかと思ったら,次のようになっているからだった。

 

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mora qualitas

 

f:id:figarox:20210119220433j:plain

Spotify

 

 見て分かるとおり,mora qualitasはその曲を歌っている歌手の名前しかないのだ。しかもカナとアルファベットがごちゃまぜ。メチャクチャである。

 これでは検索しても引っかかるわけがない。Spotifyと比べれば明らかだが,曲名と演奏者名は手抜きをしているとしか言いようがない

 

4 歌詞表示がほとんどできない

 多くのサブスクサービスは歌詞表示に対応しているようだ。Spotifyはほとんどの曲で当たり前のように歌詞表示が可能である。

 mora qualitasもホームページでは「もちろん,歌詞表示にも対応します。(順次対応)」と書いてあるのだが,歌詞表示できる曲はまだ見たことがない

 「順次対応」しているのかどうかも分からないが,対応が遅すぎる。

 

 

【結論】

 この記事を書きながら,契約してまだそんなにたっていないが,もうやめようかと思い始めている

 サブスクのいいところは,簡単に乗り換えができるところだと思っている。とにかく,自分が聴きたい曲がたくさんある方かどうかが一番だ。

 Amazon Music HDは気に入らないところがあるが,そうも言っていられなさそうだ。とにかく,聴きたい曲がないのでは話にならないのだから。音質はmora qualitasの方が上(最大サンプリング周波数はAmazonの方が上だが)との評判も聞くが,素人が分かるほどの違いはないだろう。

 

 ソニーにはこれまでも散々やられてきた。ベータこそ使っていないが,ATRACSonicStagex-アプリMedia Go,MD,Hi-MDDVD+R/RWなどなど,枚挙にいとまがない。

 最近では,余りにも不安定で全く使い物にならないMusic Center for PCに困っている。これもそのうちなくなるのではないか。このところアップデートもしていないし。

 まずは曲数を何とかし,さらに,DSDでも配信するとか,ほかにないサービスを導入しないとかなり厳しいだろう。

 このままだと1年ともたないのではないか。ネットで情報を検索しても,最近の情報はほとんど何も出てこない。利用者が少ないのだろう。

 3か月くらいは黙って使ってみたいが,そこまで我慢できるだろうか。

 

 

菅首相の恐怖政治が始まった

 もしかしたら,この日が始まりだったのだ,という歴史に残る日になるかもしれないので,備忘録的に書いておく。

 

 菅首相が一部の学術会議委員の任命を拒否したという「事件」だ。

 

 おそらく,大多数の国民には,どうでもいい話だと思われているだろう。ごく一部の政府に反抗的な学者が騒いでいるだけだ,と思っているだろう。

 マスコミも,今日明日は記事にするかもしれないが,すぐ忘れるだろう。

 

 だが,歴史の転換点となるような大事件は,こういうふうに静かに,大多数の国民の関心のないところから始まる。

 気が付いたときは遅い。それは歴史が証明している。

 

 おそらく,菅首相は,国民には見えづらいところから徐々に始めて,恐怖政治・独裁政治に走るだろう。今日がその始まりの日になる。そうならないことを祈るが。

 本性を現したということだが,大多数の国民は気付いていない。

 

 令和おじさんに騙されてはいけない。

 

 今日はこれ以上は書かない。特高に監視されるのは嫌だから。「エール」第79回が今日だったのも,何かの因縁だろうか。見てない人は見てほしい。

 

 

悪いのはハンコではない

 河野行革大臣が行政手続にハンコを押すのをやめさせろと騒いで話題になっている。

 意味のないハンコはやめたほうがいいに決まっているのだが,この人,ハンコを押すのをやめてそれで済むと思っているのならただのアホだ。

 と思っていたら,次は書面とファックスだと言い出した。さすがにただのアホではなかったようだ。一番の問題は書類だからだ。ファックスを言い出したのには笑うしかないが。やはり半分はアホだ。

 

 書類に押印しなければならないこと自体で困ることは,実はさほど多くないと思う。実印を求められることは稀なので,三文判認印で足りるのだから,「家に忘れてきちゃった」というのでなければ,本当に困ることはそれほど多くない。

 

 問題は書類で,申請にしてもテレワークをやるにしても,紙がないとできないから困っているのだ。大臣レベルだとレクの資料はワンペーパーだったりするだろうから,PDFの資料でも電子決裁でも全然問題ないだろうが,大臣に上がることが決してないような書類が書類でないと成り立たないから困っているのだ。下っ端のやっていることの分からないお坊ちゃま大臣らしい発想だ。

 申請書の表紙だけなら,電子申請だろうが電子決裁だろうが,ハンコがあろうがなかろうが大したことはないのであって,それに添付する膨大な書類(が必要な場合)は,紙じゃないとどうしようもないことが多いことが問題なのだ。

 全部PDFにしていたら,それだけでものすごい時間がかかる(手書きの書類だってあるのだから)。見るのもパソコンの画面だけで見るのは非常に効率が悪い。でかいディスプレイを全職員に配るくらいじゃないと仕事にならないだろう。ノートパソコンでは無理だ。大臣の広い机なら置けるかもしれないが,末端の職員の狭い机には置けないだろう。

 

 稟議書等に決裁をもらうのだって,実はハンコを押すのが一番速くて便利なのだ。今だって,別にサインでだめという職場はほとんどないんじゃないかと思う。ハンコだって,シャチハタではダメなんていう職場はまずないはずだ。シャチハタじゃない認印だって,印鑑ホルダーを使えばシャチハタと同じように早く押印できる。

 「見ましたよ」というのが分かるようにするためには,サインするよりも,ハンコを押す方がはるかに速いのだ。

 

 もう一つ,契約書などの押印をどうするかという問題もある。書類の真正性をどうやって担保できるか,担保する方法があれば,ハンコはいらないわけで,担保する方法がないからハンコを押しているだけだ。

 

 河野大臣には,ただやめろではなく,何のために押印が必要だったのかを考えた上で,書類(というか証拠)の真正性が担保できる方法をきちんと示し,それを広く国民に行き渡らせてもらいたい。言い出しっぺとして最後まで責任をもってやってほしい。また,人気取りのために,性急に事を進めようとして,かえって国民生活を混乱させるようなことは絶対にやめてもらいたい。ま,期待はしていないが。

 

 

新型レヴォーグプロトタイプ内覧会

 スバルのディーラーで新型レヴォーグのプロトタイプの内覧会をやっていたので,覗いてみた。

 

 発売はまだ先(10月)だが,8月20日から先行予約が始まったという。既に巷では盛り上がっていて,内覧会もお客さんがたくさん来ていた。お店の方もとても力が入っているようだった。

 

 1組4分ずつの入れ替えで,エンジンはかかっていないが,電気関係は動いていて,エンジンルームを見ることもできた。

 

 今回の一番の話題はアイサイトXが搭載されること。6つのグレードうち,EXと付くのがアイサイトX搭載車となる(つまり,Eyesight Xそのまま)。まず,GT,GT-H,STI Sportの3つのグレードがあって,それぞれにEXが設定されるというシンプルな構成になっている。

 新型はエンジンが1種類だけなので,これまでのパターンだと,GTとGT-Hの違いはビルシュタインのダンパーが付くか付かないかというのが一番大きな違いになるところだが,今回はビルシュタインダンパーの設定はないので,走りの部分での違いはタイヤサイズの違いだけとなった。つまり,GTにない装備は不要で,タイヤが18インチである必要がなければ(18インチは17インチよりかなり高いので,交換するとき大変になる),GTを選択するというのも十分にありだ。

 しかし,コストパフォーマンスを考えると,GT-H EXが一番お得で,人気が集中するだろうと思う。

 

 という前提で,実際に買うとしたらどうかと思って展示車を見てみた。展示されていたのは,やはりGT-H EXだった。11.6インチのセンターインフォメーションディスプレイと,12.3インチのフル液晶液晶メーターが目立つ。非常に未来的だ。

 で,センターインフォメーションディスプレイをナビの画面にしてみて,あれっと思った。やたら画面がぼんやりしているのだ。今どきのフルHDのカーナビの画面とはだいぶ感じが違う。

 セールスの方にナビとオーディオはどこの製品か聞くと,微妙に言いにくそうに「デンソー製だと聞いてます」と。つまり,ECLIPSEだ。セールスの方も,性能がいいものだとは思ってないのだろう。EXにしてしまうと,後からナビやオーディオを替えることはできないので,これは非常に悩ましいと思った。買うならGT-H EX一択だろうと思っていたところが,そう簡単にはいかないことが分かった。

 ECLIPSEのカーナビというと,社用車なんかに付いている最低限の機能しかないナビ,というイメージしかなかった。実際,カタログを見てみると,現行機種にフルHDのディスプレイを搭載したモデルはない(WVGA:800×480ドット)のだ。新型レヴォーグのナビも同様の可能性がある。これから詳細は明らかになると思うが,要注目だ。

 

 実際,EXはベースグレードにプラス35万円(税抜)とバーゲンプライスなのだが,ナビの性能でコストダウンを図っているのではないかと思ってしまった。しかも,CD/DVDドライブがなく,別売りだという。USBコネクタはあるようだが,SDカードが差せるかどうかは分からない(カタログには書いていない)。Bluetoothハイレゾに対応しているかも不明だ。

 これらはいずれ明らかになるが,もし自分が買うとして,ナビ/オーディオ性能があまりにもひどいようだったら,アイサイトXは諦めるしかないだろうと思った。

 

 

クラシック音楽における表記の問題

 『レコード芸術』2020年7月号を読んでいて,書いておかないといけないと思った。レコ芸の誤字・脱字の問題は前にも何度も書いたと思うが,改めて書かざるを得ない。何せ天下のレコ芸音楽之友社である。

 

 クラシック音楽の表記の問題は難しい。ほかのジャンルは,よくは知らないが,いまだにこんなに混乱しているということはないのではないだろうか。

 元々外国の文化なので,仕方がないところはあるが,さすがにMozartを「モーツァルト」と書くのは定着していて,小林秀雄風に「モオツアルト」と書く人はまずいないが,Ludwig van Beethovenだと,「ベートーヴェン」か「ベートーベン」か「ベートーフェン」か,「ファン」か「ヴァン」「バン」か,「ルートヴィヒ」か「ルートビッヒ」か「ルードウィッヒ」か,は決着が着いていない。最近だと,「ドヴォルザーク」を「ドヴォルジャーク」と書くのも目にするようになった。

 

 クラシック音楽における表記の問題というと,大きく2つに分けられると思う。

 1つは,人名や地名の「音」の表記の問題。もう1つは,曲名,団体名,音楽用語などの訳語の問題である。

 これらについて,一般の人に大きな影響力のあるものとしては,NHK,レコード会社,そして音楽之友社が挙げられると思う。このうち,特に音楽之友社がヤバいことになっている。

 

 さらに,交響曲などにおける番号の問題もある。一番有名でいまだに混乱しているのはシューベルト交響曲だろう。「未完成」は第7番か第8番か,「グレイト」は第8番か第9番か。最近のレコ芸では,「未完成だと」「第8(7)番」と書くようだ。何とも意味不明で無責任にも見える。世間一般には「第8番」の方が多数はではないか。グラモフォン(ユニバーサルミュージック)は「第8番」と表記している。第7番が欠番になるとしても,「第8番《未完成》」と割り切ってしまった方が潔いと思う。

 ほかの例だと,モーツァルトの「プラハ」を「第38番」じゃなく「第37番」にしようとかいう話はないわけである。シューベルトだけ(?)こうなのも変な話だ。

 

 このところ気になっているのは,ピアノストのKrystian Zimermanである。

 元々,メディアによって,名は「クリスティアン」,「クリスチャン」,姓は「ツィマーマン」,「ツィメルマン」が混在していた。ポーランドの方なので,どう書くのが本来の発音に近いのかは分からない。そうでなくても,一般的には英語での発音にしてしまう人もいる(例えば,「ワルター」とか)ので,なおさら何が正しいのか分からないのだが。

 そんなZimermanだが,数年前から,レコ芸音楽之友社,と言っていいのだろう)の表記が変わっている。録音の少ない人なので,クラシック・データ資料館で調べると簡単にいつからかが特定できた。2014年までは「クリスティアン・ツィマーマン」だったのが,2015年は「クリスティアン・ツィメルマン(ツィマーマン)」,そして2016年から「クリスティアン・ツィメルマン」になった。それまでずっと「ツィマーマン」だったはずなので,非常に違和感があった。

 一方,ユニバーサル・ミュージック・ジャパンは,現在は「クリスチャン・ツィメルマン」と表記している。いつからこうなっているのか分からないが,手許にあったCDでは,1985年発売のものは「クリスティアン・ツィマーマン」となっていた。

 別に,表記が変わるのは,より本人の発音に近づけるためであれば,いいことだと思う。しかし,ツィメルマンクラスの大物であれば,表記を変えるのであれば一言あっていいと思うのである。

 ツィメルマンとツィマーマンのどちらが本人の(言う)発音に近いのか分からないので,なぜそのように変更したのか分からず,正しいのかの検証のしようもない。比較的発音が分かりやすい言語を母国語としている人だといいが,そうでないと,非常に困る。

 

 

 さて,問題のレコード芸術である。権威ある音楽之友社がこんなことで大丈夫なのか,とここ数年毎号読んでいて思ってしまう。

 2020年7月号で,主なところだけ(見つけた都度メモしておいたわけではないので,ざっと覚えていたものだけ)指摘しておく。

 38~39ページはブルックナー交響曲第9番についてのページだが,第4楽章の補筆者が本文では「コールズ」,CDの紹介欄では「コールス」となっている。

 50ページのショスタコーヴィチの歌劇《賭博者》では,増田氏の本文のみ《賭博師》となっている。31ページは《賭博者》である。さらに,同じ増田氏が書いている162ページのプロコフィエフの《賭博者》もまた,増田氏が書いている本文のみ《賭博師》となっている。

 148ページからの「View points-音盤ためつすがめつ」では,ラヴェルの《鏡》の中の曲名について,相場ひろ氏の表記がディスク紹介のところの表記とズレまくっていて,「蛾」を「夜蛾」,「悲しげな鳥たち」を「悲しい鳥たち」,「海原の小舟」を「洋上の小舟」,「鐘の谷」を「鏡の谷」と書いている。

 もちろん,ディスク紹介の方が一般的で,相場氏の書き方は一般的ではない。特に「海原の小舟」を「洋上の小舟」と書くのは,意味は分かるが,違和感を感じる人が多いのではないか。管弦楽版もあってよく知られているから。

 「鏡の谷」は単なる誤字かもしれないが,分からない。

 相場氏はフランス音楽に特に詳しいようで(レコ芸では,フランス音楽の記事を割り振られることが多い),そもそもフランス文学者なので,曲名の翻訳についても一家言あるのだろうが,この程度の違いだと,あえて一般的な表記と違う書き方をする必要性はないと思う。今回は,新型コロナのせいで「対談」ではなく「往復書簡」だったということがこのようなことになった理由の一つとしてあるのだろうが,記事にするときには編集者がきちんとチェックして,直すべきだ。

 

 以上を見て分かるのは,おそらく編集者が書いている曲名や演奏者名の説明の部分と,各執筆者の表記がズレているということだ。これまでも,海外盤の紹介記事などではよくあったが,それでも,マイナーな曲や人物についてのものについて稀にあるくらいだった。

 しかし,今回挙げたのは,マイナーなものばかりではない。

 要するに,単なる校正ミスと言っていいものばかりなのである。そもそも校正していないのか,編集者のスキルの問題なのか。あるいは,執筆者が編集部の言うことを聞かないのか。いずれにせよ,由々しき事態であることは間違いない。

 

 ついでに指摘しておくと,34ページのモーツァルトのレクイエムのクリストフ・シュペリング盤の録音時期は「<録音:●年●月>」と数字が抜けている。ここまで来ると笑うしかない。

 

 揚げ足取りのようで気が引けるところはあるが,この問題についてはこれからも注意して見ていくとともに,ここでも折に触れて取り上げたい。

 

 

レコード芸術2020年6月号「私のベートーヴェン」

 まだちゃんと読んでないが,特集をペラペラとめくってみて,あまりに酷いので書いておくことにした。

 今月号の特集は「私のベートーヴェン-百人百様の音盤体験」だそう。

 レコ芸執筆者の書いた原稿と読者からの投稿をただ並べただけで,何の工夫もない。ここまで堕ちたのかと,怒りを通り越して悲しくなった

 まだ最初の何人かしか読んでないが,冒頭,「3枚選ぶのは難しい」とか言い訳を書いている方が何人かいて,その気持ちは分かるが,そんなこと百も承知で企画しているのだから,そんな言い訳は編集者がカットすべきだと思うのだが,そのまま載せてしまっている。こんなことを評論家に書かせること自体が恥ずかしいと思わないのだろうか。そんな言い訳は,読者をバカにしていることになるとなぜ思わないのか。読者だって無理な企画だと分かって読んでいるのだから,字数の無駄なだけである。

 そもそも,編集部は,一体,何を伝えたくてこんな安直な特集にしたのだろう。質が落ちているとしか言いようがない。

 

 

 ついでに,このところ気になっていることを書く。

 対談形式になっている記事で,よく「(笑)」が出てくるのだが,なぜそこで「(笑)」が入るのかさっぱり分からないものが多い。そういうのは,単にその場で対談者に笑みが出た程度ではないのかと思うのだが,字にすると全く伝わらない。

 そもそも,文章に「(笑)」などと書くのは,あまり勧められるものではないし,初めから文章として書かれたときに,筆者が自分で書くものであって,対談を字に起こしたような文章のときに,編集者がこれを入れるのはおかしい。

 意味が分からなくて気持ち悪いので,こういうのはできるだけやめてほしい。

 

 

新型コロナウイルス②

 マスクについては以前も書いたが,布マスクは更に増殖していて,奇妙な柄のマスクをしている人が目立つようになってきた。

 見てる方が恥ずかしくなるような柄のマスクも目に付く。

 知り合いに聞いた話だが,先日,福島市内の小学校で,学習センター(公民館)がボランティアを募って作ってもらった布マスクが児童に配布されたのだという。学校からは,使う前に1度洗ってくださいという注意書きがあわせて配られたとか。

 洗わないと危なくて使えないようなものを配るというのもどうかと思う。

 自分が親だったら,どこの誰がどういう布を使ってどうやって作ったかも分からないマスクを子供に使わせるのはかなり勇気がいると思う。というか,使わせない。

 この手の話は,相手の善意から出ているので対応が難しいので,他人に送ろうとする方が相手の迷惑にならないかよく考えないとダメだ。

 善意で配布されたマスクにウイルスが付着していてクラスターが発生したなんてことになったら,ほんとに洒落にもならない。そういうことへの想像力がないのは問題だ。間違った善意ほど怖いものはない。

 また,福島県内のある会社が,夏用のマスクを製作・販売しているとテレビのニュースで取り上げられているのを見た。普通の縫製工場で,マスクをした従業員の方が手際よくミシンで縫い上げ,作業台にポンポン積み重ねていく様子が映されていた。

 その後,マスクは滅菌処理されているのだろうか,と心配になった。

 どうせ取材するなら,パッケージングされるところまできちんと取材してほしかった。こういうのを見ると,最近あちこちで売っている布マスク(花粉を通さないとかウイルスを通さないとか書いてあるものもある)は大丈夫なのかと心配になる。

 道の駅などで,素人が作ったと分かる布マスクが売っているが,これはボランティアが寄附したのと同じようなものなので,買った方もまずは一度洗った方がいいかなと思うだろうが,どこかの会社が作ってドラッグストアやコンビニで売っている布マスクが滅菌されていないと思う人はほとんどいないと思う。

 生地の調達する段階からきちんと衛生的に管理されていないといけないわけで,危ないのは新型コロナウイルスだけでもない。極端に免疫力が落ちている人では,常在菌から感染を起こして重篤な状態に陥ることだってあるわけで,そういう人が家で布マスクをする可能性は低いかもしれないが,とにかく,何が原因で感染症を起こすかは分からないのだから,常時口にあてておくことになるマスクについては,できるだけ無菌に近い状態にしておくことが重要なのは言うまでもないことだと思う。

 とにかく,布マスクのせいで感染が起こったりしないことを祈る。

 

 

 学校の9月入学制の話が話題になっている。改革派知事を自認している一部の知事が突然騒ぎ出したことに違和感を感じている人も多いと思う。

 この手の話はなかなかはっきりした反対意見は言いづらいのだろう。アンケートで明確に反対を言う知事はいないことになっているようだ。せいぜい,慎重な議論が必要だ,くらいしか言ってないようである。

 「議論(あるいは検討)が必要」という言葉に異議を唱える人はまずいないだろう。しかし,今は検討している場合ですらないはずなのだ。

 知事が言い出したら,そこの都道府県の職員はいろいろと検討しなくてはいけなくなってしまう。今,新型コロナ対策でいっぱいいっぱいなのに,さらに余計な仕事を増やすことになるのだ。その分,新型コロナ対策に時間が取れなくなる,ということである。偉くなると,そういうことすら分からなくなるのだろう。マスコミもそうだ。末端で働いている人間のことなど全然気にしない。むしろ,検討や議論を奨めるようなことしか言わない。しかし,今は検討や議論すること自体が時間の無駄なのだ。

 そして何より,これは意外と盲点だったかもしれないが,9月入学制を推進しようとしている方たちが実は全然きちんと考えていないということが露呈してしまったのは,今,新型コロナの関係で9月入学制に移行しようとすると,欧米などの9月(頃)入学制としている国と比べて,1学年分年齢が遅れるということが分かったからだ。

 推進論者の主な論拠は,日本の学生が留学しやすくなったり,外国からの留学生を呼び込みやすくするためだと言っていたはずである。ところが,今9月入学制にしてしまうと,留学することで今は約半年遅れるのが,1年遅れになってしまうのである。これでは全く逆効果ではないか。推進論者の論理が破綻していることが明らかになってしまった。

 こんなデタラメな話に乗せられて,貴重な時間を取られてしまうのは,国民にとって大きな損失である。

 国も自治体も,今すぐ検討すること自体をやめるべきだ。その分の時間をほかのことに回すべきだ。

 

 

 カナダのトルドー首相がアジア系住民に対する攻撃が急増していることに対し,「容認できない」と発言したという(APFBB News)。

 元々が(たぶん)英語のコメントなので,どういう言葉を使ったのか分からないのだが,本当に「容認できない」なら,何を言ってるのかと思う。容認できないのは当たり前のことで,そんな当たり前のことを言うのでなく,もっともっと強い言葉を使ってメッセージを出さなければ,一国のトップとしては失格だ。

 APFの見出しがそうなっているので余計にそう感じてしまうのだが,当然に「容認できない」ことに「容認できない」と発言したということを見出しに持ってくるという感覚もどうかしていると思う。問題は,容認できるかできないかではないのだから。

 こういう雑なメッセージはよろしくないと思う。発言する側も,伝える側も。

 

 

 新型コロナがらみだけではないのだが,最近,スポーツ紙を中心に,ホリエモンなどの有名人がツイッターでこういう発言をした,とかいう記事を,何の論評もなく載せる記事が目につく。インターネットのニュースサイトでも上位に表示させることが多いので,異様に目に付く。

 一有名人が何か言ったからと,いちいちマスコミが報道するというのは,どいういう神経なのか。取材も何もせずに,ただコメントを垂れ流ししているだけというのは,世の中をバカにしすぎている。報道される発言自体が世の中をバカにしたような発言が多いので,尚更だ。

 ツイッターが見たければ,見たい人が勝手に見ればいい。YouTubuやインスタもそう。誰々がこういうのを上げた,と,そのまま垂れ流しするのは,怠慢も甚だしい。特にテレビの場合は,見たくなくても,聞きたくなくても飛び込んでくるので,勘弁してほしい。