公共施設のネーミングライツなんてもうやめるべき

 福島市の3つの公共施設で募集していたネーミングライツの契約相手と愛称が決まったのだという。

 桜木町にある「福島市児童公園」が「ふくしま児童公園SFCももりんパーク」に,山田(大森城山の南)にある「福島市パークゴルフ場」が「NCVふくしまパークゴルフ場」に,建設中の体育館・武道館が「NCVふくしまアリーナ」になるのだという。

 市役所には苦情の電話が殺到しているのではないか。

 

 特に,児童公園は開園して60年以上経つ施設で,福島市内で「児童公園」といえばここのこと,というくらい,長い間市民に愛されてきた施設だ。

 おそらく,これからも,誰も「ももりんパーク」なんていう呼び方はしないだろうし,まして「SFC」なんていう名前は誰の口からも出ないだろう。

 しかも,ネーミングライツを取得したエスエフシー(株)というのは,現在の児童公園の指定管理者なのだという。おそらく,児童公園の運営は赤字だと思う。何せ,乗り物は全て50円か100円なのだ。冬場は極端に利用者が少なくなる。黒字経営ができるわけがなく,その分は市から指定管理委託料として支払われているはず。そんな会社が,年間200万円を払ってネーミングライツを取得するというのはおかしくないか。エスエフシーの詳しいことは分からないが,一応,ネーミングライツ料は市からの委託料とは関係なく,会社のもうけから出しているということになるのだろうが,釈然とはしない。

 それに,名前が変わればパンフレットから何から全部変える必要があるが,そのお金は市とエスエフシーのどちらが負担するのだろう。エスエフシーが負担するとしても,結局は指定管理委託料に上乗せされる可能性がある。それでは,巡り巡ってエスエフシーの宣伝に税金が使われるだけ,ということになる。

 きちんと調べないと分からない話だが,市会議員なり,オンブズマンなり,調査できる人には,徹底的に調べてほしい。

 

 パークゴルフ場はよく分からないが,体育館と武道場は新しくできる施設なので,こちらもインパクトは大きい。市民が何と呼ぶようになるか分からないが,「NCV」なんていう名前を言う人はまずいないだろう。5年間の契約だというが,その後この会社が手を引いたら,呼び方に困るのは福島市民だ。

 

 福島市内の公共施設でネーミングライツによりおかしな名前に変わったのでよく知られているのは,県文化センターと県営あづま球場だろう。

 どちらも,地元の銀行である東邦銀行ネーミングライツを取得し,それぞれ「とうほう・みんなの文化センター」,「とうほう・みんなのスタジアム」という「愛称」になっている。しかし,こんな恥ずかしい名前で呼ぶ県民は,いない。センスがなさすぎる。金で名前を買った連中に,「みんなの」なんて言われたくない。

 マスコミにしてもそうで,今回,東京オリンピックの会場になったことから大規模改修されることになったが,新聞等を見ても,ほとんどの記事で「とうほう・みんなのスタジアム」なんていう名前は出てこない。「県営あづま球場」としか出てこない

 ネーミングライツなんて,無駄に混乱させているだけで,何の意味もないという証拠である。

 東邦銀行の顧客からすれば,そんなのに金を使うくらいなら,預金金利を上げるなり,貸出金利を下げろ,と思う。

 住民からすれば,自分たちの伝統ある大事な施設におかしな名前をつけやがって,となる。

 ネーミングライツを取得して,愛称に会社の名前を入れても,企業イメージのアップにはつながらないと思う

 

 何にしても名前というのは大事なもので,目先の金に目がくらんで魂を売るようなことをすべきではないと思う。

 仙台の宮城球場だって,コボスタの愛称がやっと定着してきたと思ったところで急に変更になり,騒ぎになったばかりだ。

 もう,いい加減こういうドタバタが起きるようなことはやめるべきではないか。名前がコロコロ変わって迷惑するのは,住民である

 

 福島市の今回の3件について言えば,おそらくは小林前市長のときにやることが決まっていたことだと思うが,特に児童公園については,木幡市政の汚点として長く残ることになりかねない。「結局,よそ者だからな」と。小林前市長もよそ者だったわけだが。

 今回の契約は途中で打ち切れないだろうが,木幡市長の英断により,2年後はネーミングライツをやめることを期待したい

 

 

我が町バンザイ

 古いカセットテープを整理していたら,1985年頃にラジオ福島でやっていた「我が町バンザイ」という番組のテープが出てきた。

 その頃,中学生を中心にかなり流行った番組なので,覚えている人も多いと思う。

 

 いつから聞き始めたか覚えていない(最初からではない)が,1984年10月8日から,東北六県のAMラジオ各局で放送が始まった番組で,終了時期は不明だが,残っていたテープでは,1986年夏頃のものが一番新しく,おそらくそれから1~2年以内くらいに終了していたのではないかと思う。

 毎週月曜日から金曜日の午後9時50分から10分間の番組で,リスナーが自分の住んでいる市町村の自慢話を書いて送り,それを読むというスタイルの番組だった。自慢話でなく,どこかの市町村の悪口を書いてよこす場合も多く,今だったらとても放送できないなという内容もあった。

 大塚製薬の提供で,いい内容だと「カ~ロリーメイト」というジングルが出て,ブロックタイプ6箱またはドリンクタイプ6缶がもらえ,さらに「バンザ~イ」などのジングルも出ると,TシャツやBパック(?)などももらえた。後からは週1回の「ポカリデー」もできて,その日は「ポカリスエ~ット~」のジングルが出るとポカリスエットが6缶もらえた。

 

 ラジオ福島のパーソナリティーは,福島市で活躍(?)していたバンド「弁慶と牛若丸」のリーダー高橋雅仁さんで,独特の語り口が人気だった。ほかの5県のパーソナリティーは,みなラジオ放送関係者らしく,AM放送のアナウンサーっぽい喋りで,高橋さんだけが非常に浮いていた。というか,福島県民からすると,ほかの5県の方が変だったわけだが。

 思うのだが,なぜAMラジオのアナウンサーというのはああいう独特の声を出すのだろう。ちょっと鼻にかかったような,不思議な発声をする。おそらく,ノイズの多いAMでもよく聞き取れるように編み出された発声方法なのだろう。ちょっと違うが,昔の車掌さんのようだ。なので,ラジオ放送じゃないところでAMラジオアナウンサー出身の方の話を聞くと,非常に違和感を感じてしまう。

 そんな人たちが,発声はAMラジオなのに,それぞれのお国なまりでしゃべるので,ますます違和感が大きかった。それに対して高橋さんの喋りはよかった。

 

 テーマソングは,弁慶と牛若丸の「ふる里ふくしま」という歌。これが,1985年8月からリニューアルされて雰囲気が随分変わってしまい,とってもがっかりしたものである。絶対古い方がよかった!どこかで古い方だけでいいから音源が手に入らないだろうか。

 最近YouTubeで,震災後に弁慶と牛若丸がこの歌を歌っている姿を見つけ,お元気そうでとてもうれしかった。

 このバンドは,高橋さんの3歳下の弟の剛さんと2人でやっているバンドで,1985年と1986年に開かれたファンの集いでは,ライブもやっていた。あの当時,結構年が行ってるんだろうなと思ったものだが,高橋さんは30代前半だったという。

 ということは,今は60代半ばだろうか。これからも元気で活躍していただきたい。

 

 そのファンの集いでは,読まれなかったハガキをタイムカプセルに入れて,21世紀になったら開ける,と言っていたのだが,やったのだろうか。その中には自分の出したものも何枚かあったはずなので,すごく気になる。

 

 もう一つ思い出深いものがあった。1985年の夏頃のポカリスエットのCMで,杏里が歌うデジャヴーという歌が使われていた。どうも,レコード化はされなかったらしいのだが,とってもいい歌で,これも何とかならないかなと思っている。何しろ,作詞が泉麻人,作曲が井上大輔。井上さんの作曲が悪いわけがない。音源が残っていたら,ぜひ商品化してほしい。

 

 続く,かもしれない。

 

 

広告を非表示にする

ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート2018が意外によかったという話

 今年のニューイヤー・コンサートはリッカルド・ムーティの指揮だった。

 はっきり言って,何の期待もしていなかった。ムーティは昔から聞いているが,どうもよく分からないからだ。むしろ,ベルリン・フィルとの録音の方がいいものがあったと思っている。モーツァルトのレクイエムとか,ブルックナーの4番とか。

 

 ムーティは5回目ということで,もっと出ているかと思ったが,まだ5回目なのだった。

 録画していたのを暇つぶしに見始めたら,これが予想外にいい演奏だった。

 ムーティの表現に特別何かあるという感じではないのだが,ウィーン・フィルがよかった。久しぶりに,しっかりしたいい音のぎっしり詰まった音がしていた。

 何より,楽団員の表情がよかったと思う。リラックスしていてもダレてなく,ムーティを心から信頼しつつ,音楽に専念している様子が感じられた。

 ゲストのヘーデンボルク・直樹さんが,ムーティの音楽について「気品がある」とおっしゃっていたが,そのとおりだなと思った。こういう言葉をそのとおり素直に感じられることは珍しいのだが,今回はそうだった。

 

 こういうことがあるから,音楽を聴くのは楽しい。

 

 

「いいたて村の道の駅までい館」のお勧め3品

 久しぶりにまでい館を訪れた。随分お客さんが減っていた。特に食堂はガラガラ。あのメニューでは厳しいだろうなと思っていたが,案の定。駐車場にたくさん止まっている作業員さんたちはみな,セブンで弁当を買って車で食べ,寝ているようだ。客の取りこぼしがすごいということだろう。売れるメニューを真剣に考えた方がいいと思う。

 売店も,相変わらず何でここでこんなの売ってるんだというのが多い中,村内産,村民産のものが増えていたのはうれしい。

 そんな中から,実際に買って味わってよかったものを3つ紹介する。

 

どぶろく どぶちえ・白狼】

 福島県内のどぶろく特区第1号として認定されたというもの。内容量と瓶かペットボトルかで4種類くらいある。500mlのペットボトル入りが1,100円から。

 清酒でなく濁酒である。見た目は甘酒。でも中味は辛口。お酒好きならいくらでも行けるはず。何となく,ただの日本酒を飲むよりも,「飲んだ!」という満足感が高い。

 度数が18~19度と高いのに,意外と次の日残りにくい。

 製造者の佐々木さんは,村内に農家レストラン「氣まぐれ茶屋ちえこ」を再建準備中だそう。再開したらぜひ行ってみたい。

 

【高橋トク子さんのキムチ】

 地元では漬物名人として有名だという高橋さんが,本場韓国で修行してきたというキムチ。カットされてない白菜約4分の1に,ほかの野菜やいかの塩辛なども入った本格キムチ。1袋1,000円するが,大きめのタッパー2つ分くらいの量はある。

 さすがに本場で修行してきたというだけあって,スーパーで安売りしている国内産のキムチとは格が違う。塩辛の苦みがアクセントになっていて,とてもおいしい。辛さはそれほどではないが,きちんと感じられる辛さに仕上がっている。この辺の塩梅が見事。

 いつも売っているわけではないようだが,かぼちゃまんじゅうも見つけたら絶対買っておきたい。皮がもっちもちでとってもおいしい。中もかぼちゃの餡。

 

f:id:figarox:20180209202218j:plain

 

【いいたて雪っ娘かぼちゃ】

 加工品もいろいろ売っているが,やはりかぼちゃそのものから味わうべし。

 作っている方は何人かいらっしゃるようだが,今,までい館で売っているのは渡辺とみ子さんのもの。結構すぐ売り切れるようなので,見かけたら買うべし。

 大きさによって値段が違うが,だいたい500円~1,000円。白い皮の独特の見た目と,サツマイモのような独特の食感が魅力。

 カットされていて,電子レンジで温めればすぐ食べられるものもあり,お手軽なのはこちら。確か1袋200円とお得。

 

 

なかにし礼の『音楽への恋文』

 クラシック音楽を聴くようになったばかりの頃に読んで大きな影響を受けた本に,なかにし礼著『音楽への恋文』というものがある。1987年に共同通信社から出たエッセイ集で,その後新潮文庫から『音楽の話をしよう』と改題されて出ていたが,現在はどちらも絶版のようである。

 そのエッセイの中で,非常に心に引っかかっているものがあるので,書いておく。

 

 それは,「ユダヤ音楽祭」というエッセイである。内容は次のとおり(ここで言いたいことに関係ない部分は割愛する)。

 年は明らかでないが,なかにし氏がCDプレーヤーを買った年の8月21日のこと。神奈川県民ホールにズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会を聴きに行った。曲は,ブラームス交響曲第4番,ブロッホヘブライ狂詩曲《シュロモ》,ワーグナーの《ニーベルングの指環》抜粋。当時メータは48歳。

 1曲目のブラームスが気に入らなかった。まず,メータの腕と指の動きが気にくわない。軽薄で,品がない。そして,いい音は鳴っているが,何も感じない。メータには繊細さ,思想性,哲学性…が欠けている,と思う。

 一方,ユダヤ人作曲家による《シュロモ》は,ブラームスとは魂の入れ方が違い,違いすぎて不愉快なくらい。指揮は入念であり,演奏はこまやかであり,クライマックスは星空に燃えあがる炎のような情熱のほとばしりを見せる。…(中略)…久方ぶりに,音楽を愛する人間で良かったと思った。音楽をやるとはこういうことであり,音楽を聴くとはこういうことだ。

 それに対して,ブラームスはなんだったのだ。君たちユダヤ人は古典音楽をもてあそんで,気の抜けた演奏を聴かせるのだ。古典音楽の衣でヘブライ精神の鎧を隠して,着々と勢力を拡大してきたのだろう。もはや,クラシック・イズ・ユダヤなのだ。そのおかげで,ブラームスが間抜けに見えて,ブロッホが賢者に見えたりするから,危険なのである。

 いっそ,第1回ユダヤ音楽祭というのを開いたらどうか。そのとき,世界は真っ白けに白けてしまうだろう。しかしユダヤ人たちは一堂に会しないだけで世界各地で,日ごと夜ごと,個別に,ユダヤ音楽祭を開き,ユダヤのにおいにみちあふれた音楽を振りまいている。

 

 その頃,なかにし氏と言えば,芥川也寸志氏,木村尚三郎氏とともにN響アワーに出演しており,初心者の自分にとっては神のような存在と言っていいほどであった。そのなかにし氏が上記のように書いていたら,信じるしかない。

 ということで,これを読んでからは,ドイツ音楽,特にベートーヴェンブラームスブルックナーを聴くときには,その演奏家ユダヤ人かどうかということばかり気にするようになってしまった。そして,可能な限りユダヤ演奏家によるものは避け,たまたま聴いていいなと思っても,これは偽物なんだと思うようになってしまった。

 何と言うことだ。

 今なら,こんな暴論は鼻で笑える。じゃあ,イタリア人のやるドイツ音楽はどうなんだ,とか,具体例を挙げていくらでも反論・反証できる。いや,そもそも今ならこんなエッセイは出版できないだろう。しかし,当時はそうは行かなかった。この呪縛から逃れるには,随分と時間がかかった。しかも,ヴァイオリニストのアンネ=ゾフィー・ムターのように,おそらく間違ってユダヤ人と書かれていた人もいて,更に迷惑したのであった。

 思い出してみると,あの頃,今より遥かに情報が少なかったにもかかわらず,なぜかある音楽家がユダヤ人かどうかというのはすぐに分かった。雑誌やその増刊号のようなもので音楽家のプロフィールが載る場合,ユダヤ系だと必ず「ユダヤ系○○人」と書いてあったからだ。今はあまりそういう表記は見ないように思う。とすると,なかにし氏に限らず,クラシック音楽界において,その人がユダヤ系かどうかということをひどく気にする勢力があったということだろうか。もちろん,自分が気にならなくなったからかもしれないが。

 今でも時々,この呪縛に引っかかっていた頃を思い出し,おぞましい感じがするとともに,実にもったいない時間を過ごさせられたと,怒りを感じるのである。

 確かにメータのブラームスは良くなかったかもしれない。実際,CDやテレビなどで,メータのベートーヴェンブラームスを聴いて,いいと思ったことは,ほぼない。だからと言って,ユダヤ系の人のドイツ音楽が全部ユダヤ的で気が抜けていてつならないなんてことはない。ドイツ人指揮者のやるドイツ音楽だって,気の抜けたつまらないものはある。

 なかにし氏のおかげで,いちいち「血の正統性」ということにひどく拘るようになってしまった。ドイツ音楽に限らず,フランスものでも,ロシアものでも,何でも。この指揮者は何人か?ユダヤ系か?と。今は違うが,そのおかげで失った時間は,あまりにも大きかった。

 

 この本では,もう一つ,その後の音楽の聴き方に強い悪影響を受けたエッセイがある。「さらばカラヤン」というエッセイだ。

 このエッセイのおかげで,カラヤンのCDを聴いて素晴らしいと思っても,どこか引っかかるものを感じるようになってしまった。もっとも,ユダヤ系の人のやるドイツ音楽よりはずっと早くにその呪縛から逃れることはできたが。

 

 この本には,まさに音楽への愛に満ちたいいエッセイも入っているので,惜しいのだが,残念ながら,上記2つのおかげで,現在は悪本としてお蔵入り状態である。

 このブログを書くために,30年ぶりくらいで引っ張り出したが,読む気はしない。むしろ,「ユダヤ音楽祭」を改めて読んで,気分が悪くなった。今回,「さらばカラヤン」も読んではいない。かといって,古本屋に持って行くつもりもないのだが。

 それにしても,若い頃に読んだものの影響というのはなかなかに大きいものだ。それなりの人は,それなりの責任感を持って文章を書いてほしいと思った次第である。

 

 

ブロムシュテットのベートーヴェン交響曲全集

 今年(2017年),NHK交響楽団の名誉指揮者でもあるヘルベルト・ブロムシュテットが,かつての手兵であるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と,ベートーヴェン交響曲全集のCDを出した。

 ドイツのアクツェントゥス・ミュージックの制作で,国内盤はキングレコードから出た(KKC5802)。2014年5月から2017年3月にかけてのライヴ録音。

 ブロムシュテットベートーヴェン交響曲全集は,2回目の録音で,1度目は1975年~80年にシュターツカペレ・ドレスデンと録音している(レコード芸術12月号の巻末新譜一覧表で,「ベルリン国立o.と全集を録音していた」とあるのは,誤り)。

 今回の全集は,いきなりライヴ録音ということで出てきたので,リリースのアナウンスを見たときは,どうせ放送用に録音されたライヴの寄せ集め(MDR KULTURのマークが入っている)で,たいしたことないだろうと思い,ほぼノーマークだった。ジャケットも,ブロムシュテットのアップの白黒写真で,デザインに凝ってるようには見えないことも,そう思わせる一因だった。

 ところが,MUSICBIRDで放送されたものを聴いて,それが全く誤りであることがすぐ分かった。とても気に入ってしまい,すぐに買ってしまった(輸入盤)。ついでに,ずっと買おうと思っていたシャイーとゲヴァントハウス管の全集まで買ってしまった。

 ライヴ録音とはいえ,きちんと丁寧に作られた全集であった。シャイーとは異なり,交響曲9曲だけで,序曲等はついておらず,第1番から第9番まで番号順に納められている。

 拍手は全てカットされていて,会場ノイズもほぼ皆無。演奏の傷もほとんどない(傷なのか解釈なのか分からないレベル)ので,言われなければライヴとは気が付かないほど。

 

 楽譜は,ベーレンライター版を基本にしているらしいが,第9番の第1楽章の第2主題ではB♭にするなど,ブライトコプフ旧版も部分的に採用している。この部分は,ベーレンライター版の音はどう聴いてもおかしいので,ブロムシュテットの見識の高さが分かる。ここは,アバドやシャイーも同様。

 一方,第3番の第1楽章の最後の所のトランペットによる旋律化はしていない(個人的には,思いっきりトランペットを吹かせてほしいが)。

 

 演奏は,いろんなところでベートーヴェンメトロノーム記号に従った非常にテンポの速い演奏であるように書かれているが,実際はそうではなく,第9番のように全体的にかなり速いものもあるが,多くは中庸のテンポである。むしろ,カラヤンなどの方が速い。例えば第5番の第1楽章とか,第7番の第1楽章,第4楽章など,メトロノーム記号に従っていることを売りにした録音が出てくる以前の録音と比較しても,全然速くない。もちろん,遅めのテンポを取っているわけではないが。

 シュターツカペレ・ドレスデンとの旧盤は,正攻法な表現の指揮と,いわゆるドイツ風の「ざっくりとした弦」に鄙びた木管,しっかり鳴っているが決して突出しない金管,ペタペタという独特のティンパニの音が絡む,いかにも東ドイツ風のオーケストラによる,独特の味のある演奏だった。

 今回の演奏は,それとは随分異なり,非常に洗練された演奏になっている。ライヴだが,隅々までコントロールされていて,「おやっ」という瞬間はほぼない。しっかりと手応えのある音だが,軽やかな音である。独特の雰囲気がある。聴いていてとても気持ちがいい。バスがしっかり土台を作っていて,とてもよく整理された響きである。ベルリン・フィルのような圧は感じない。

 モダン楽器による正攻法な演奏で,いわゆるピリオド奏法を取り入れたりはしていない。ラトルのように,突然部分的に(効果を求めて)ピリオド奏法を「擬態」(金子建志先生の表現)するようなこともないので,最初から最後まで安心して聴ける。

 ベートーヴェンを聴いたという充実感の得られる演奏である。

 なお,第9番では,合唱がとても美しい。マズア以来の伝統と言っていいと思うが,児童合唱も入っている(シャイー盤も同様)。アルト独唱が藤村実穂子というのもうれしい。それと,ブロムシュテットの演奏に限らず,いつも第九を聴くと思うのだが,もの凄く歌いづらそうだ。特に独唱がそうで,その中でもテノールは一番ひどい。朗々と歌っていて気持ちよく聴ける演奏は,ほとんど聴いたためしがない。第九だけでなく,ミサ・ソレムニスも,歌いにくそうに聴こえる。ベートーヴェンは,声を扱うのが苦手だったのだろうと思う。

 

 さて,このCDの解説(ユリア・スピノラ/余田安広訳)に「サウンドの温かさと演奏の精密さは両立しない,という誤った認識をブロムシュテットは捨てた」とあり,レコード芸術11月号160ページからの増田良介氏と12月号月評の満津岡氏がともに名言であるかのように取り上げているが,全くそうは思わない。増田氏は,この一文を取り上げて,「虚を突かれる思いがした」と述べており,満津岡氏は,「当セットのライナー・ノーツに~と記されている通りであり」と述べている。

 「捨てた」ということは,それまではブロムシュテットは「サウンドの温かさと演奏の精密さは両立しない,という誤った認識」を持っていた,ということになるが,そうではないだろう。そんなことを言われたら,ブロムシュテットは「そうじゃない!全然分かってないな!」と言うのではないか。

 これまでずっと両立させようと努力してきたからこそこれだけの演奏に到達できたのであって,認識を捨てればすぐ達成できるものではないだろう。しかも,おそらく,このCDも到達点(ゴール)ではなく,あくまで現時点でできるだけのことをした結果だ,と言うのではないか。

 この文章,傲慢な上から目線の評論家が自分の文章に酔いながら書いたように思えて,気分が悪い。また,その文章に目を付けたと得意気になっているように見える日本の評論家も気持ちが悪い。

 とここまで書いて,やはり釈然としなかったので,解説書の原文(ドイツ語)を読んでみると,次のように書いてあった。

 Blomstedt räumte mit dem Missverständnis auf, dass Wärme des Klangs und Präzision des Zusammenspiels einander ausschließen.

 問題は下線のところ,aufräumenとdemで,aufräumenは辞書を引くと,後にmitが続くので「排除する」「一掃する」という意味であり,ブロムシュテット(彼の)「~という誤った認識を捨てた」ではなく,ブロムシュテット(世間の人々の)「~という誤った認識を一掃した」という意味で,つまりは,ブロムシュテットは(世間の人々の)「~という認識が誤りであったことを証明して見せた」といった趣旨だろうと思う。

 そうすると,全くの誤訳であり,その一文を「いかにもそのとおりだ」というように取り上げた日本人評論家の評は,何とも恥ずかしい限りである。

 それでも,スピノラ氏の言いようは大仰で好きではない(ドイツ人らしい持って回って言い方,と言うべきか)が,そうは言っても,温かい響きと演奏の精密さが非常に高い次元で両立しているのは確かであり,その認識自体には全く賛成である。

 ここ十数年で発売されたベートヴェンの交響曲全集の中では,特に優れたものであることは間違いないと思う。

 

 

英デッカのアシュケナージ 協奏曲録音全集

 この2か月ほど,アシュケナージが録音した協奏曲のCDばかりずっと聴いていた。

 英デッカからCD46枚組+DVD2枚組のボックスセットが出て(4831752),発売と同時に買ったのだが,不良品が入っていることが分かったので,ほかにもないか,全部丁寧に聴くはめになったからである。

 普段だと,これだけの量のセットだと,一気には聴かず,ダラダラと時間をかけて聴くのだが,そうはいかなかった。

 

 結局,明らかにおかしいのが3枚あり,今,交換の手配をしてもらっている。

 明らかにおかしいのは3枚だけだったが(といっても,3枚もおかしいというのは,普通はまずないことだ),ほかにもノイズが気になるものがたくさんあって驚いた。

 会場ノイズでなく,電気的なノイズと思われるノイズが目立った。それも,80年代以降のデジタル録音のものでも結構あった。旧盤と聴き比べてみて,同じようにノイズが出ていたのもあった(ハイティンクとのラフマニノフ)ので,CDが不良品なのではなく,マスターをつくる過程での問題だと思われる。

 また,デッカの録音が鮮明なためか,会場ノイズも目立つ気がした。

 

 アシュケナージは,NHK交響楽団の音楽監督を務めたりと,日本ではなじみの深い音楽家であるが,指揮者としては見る機会が多かったが,ピアノを弾く姿は意外にほとんど見たことがない。

 今回のBOXセットでは,1974年のベルナルト・ハイティンクとのベートーヴェン/ピアノ協奏曲全曲演奏のDVDが付いており,貴重だ。もっとも,アシュケナージの弾く姿はそれほど印象に残らず,当時45歳にしては異様に老けたハイティンクの姿の方が印象に残った。髪が薄いというのが一番だが,それだけでない。今時,あんな45歳はあまりいないと思う。

 

 今回のアシュケナージのCDを聴いての印象,というかアシュケナージの特徴として思ったのは,①名曲主義,②全集主義,③100点主義,の3点である。

 

 「名曲主義」については,録音されたレパートリーが超有名曲に偏っているということ。これは珍しいなという曲は,プレヴィンのピアノ協奏曲ぐらいか。もっともこれはアシュケナージのために書かれた曲ということなので,他の曲と同列には語れない。

 強いて言えば,スクリャービンのピアノ協奏曲が比較的珍しいかもしれない。

 まず聴いたことのない作曲家の作品というのは,1つもない。今回の全集に入っている曲の作曲家を並べてみると(収録順),ラフマニノフチャイコフスキー,バッハ,ショパンブラームスモーツァルトスクリャービンベートーヴェンプロコフィエフシューマンバルトーク,プレヴィン,グラズノフ,フランクとクラシック音楽好きなら知らない人のいない名前ばかり。

 逆に有名曲なのに録音していないのは,ハイドン以前のものは別にすると,グリーグ,リスト,ラヴェルぐらいか。サン=サーンスショスタコーヴィチもない。

 

 「全集主義」については,複数のピアノ協奏曲を作曲した作曲家のもので,全曲を録音していないのは,バッハとチャイコフスキーだけ。

 アシュケナージのレパートリーからみてバッハは特殊なので,実質的にはチャイコフスキーだけと言っていい。そのチャイコフスキーも,第2番と第3番はあまり演奏されないので,意外と言えるほどのものではない。

 面白いのは,何度も録音しているものと,ある時期に集中的に録音していないもの。

 何度も録音しているのは,ラフマニノフベートーヴェン。全集ではないがモーツァルトも。

 たいていは長くても数年の間に全曲録音しているのだが,ショパンは,第2番を1965年に録音していながら,第1番は引き振りで1997年に録音するまで,ずっと録音していなかった。

 また,意外と再録音が少ない。先に挙げた3人以外では,ブラームスの2番を2回録音しているだけ。

 ショパンの2番やチャイコフスキーの1番など,初期に録音したきり再録音していないというのは,かなり意外な感じがする。

 何度も録音しているラフマニノフベートーヴェンだが,演奏の違いは,アシュケナージというより協演者の違いが大きいように思う。

 ラフマニノフの全集の指揮をしているのはプレヴィンとハイティンクだが,プレヴィンの方が上手だと思う。より緩やかなテンポで,表情豊かであり,盛り上げるところは力強く鳴らしている。一方のハイティンクは,速いテンポで直線的。ひたすら真っ直ぐという感じ。また,オーケストラもプレヴィンのロンドン交響楽団の方が上手いと思う。コンセルトヘボウの方は,新しいし会場のよさもあって録音はずっとよいが,管楽器はあまり上手くない。

 ベートーヴェンは,ショルティとのものはオケの演奏も録音も雑。勢いはあるが,ゴリゴリしていて,ほかのCDとは色合いが違うように思う。アシュケナージは相変わらずだが。メータとのものは,アシュケナージの演奏はうっとりするほど美しいし,ウィーン・フィルの音もやはり美しいが,メータの表現はひたすらぬるい。弦楽器中心で管や打楽器を強調しないし,ただただ弦を綺麗に鳴らすだけ。これがウィーン・フィルでなければ,聴くのはかなり辛いと思う。これを聴くと,メータがベートーヴェン交響曲を録音しない理由が分かるような気がする。録音しない,というより,周囲も録音しろと言わないのだろう。クリーヴランド管との弾き振りだけはちょと毛色が違う。かなり自由に弾いている感じがして興味深い。ただし,クリーヴランド管の音は固すぎてダメだと思う。

 

 「100点主義」については,どの演奏も模範的でどんな細かい音もきちっと最高の美音で鳴らしており,まさに100点満点の演奏。エキセントリックな解釈とも無縁。それでいてつまらないということはない。しかし,部分的に,あるいは曲によって120点の表現を狙うということはない。

 そのためだろう,名曲名盤○○みたいなもので,アシュケナージの録音が1位になることは少ないように思う。

 しかし,こうしてまとめて聴くと,どの曲の演奏ももやはり凄いと思う。

 

 最近はN響を振る機会も減っていて,忘れられつつあるような感じもするが,ナメてはいけない。大音楽家である。

 

 

 商品自体の特徴をまとめておく。

 しっかりした装丁の箱に入っていて,おそらく初出時のものを基本に,CDは紙ジャケットに入っている。デザインも初出時のものだろう。2枚組のものは2枚組の仕様,3枚組のものは3枚組の仕様になっているので,特に3枚組のものは非常に取り出しにくい

 紙ジャケットはつや消しの固い紙で,そのせいか印刷の色が薄い。かなり薄く見える。これは残念だ。

 ブックレットもしっかりした装丁で,データ類もきちんと書かれている。モーツァルトの協奏曲は,誰のカデンツァかも記載がある。

 今回のBOX化に際してリマスタリングがされているのかと思ったが,残念ながら,新たにリマスタリングされたものではなかった。1970年~71年録音のラフマニノフの全集だけは2013年か2014年のリマスタリング(日本のユニバーサルのHPでは2013年とあり,ブックレットにはP2014年とある)で,ほかは初CD化したときのままのようだ。中には1960年代のラフマニノフのように,ORIGINALSシリーズでリマスタリングされたのもあるわけだが,記載が何もないので,今回どのマスターが使われたのかは分からない。

 聴いた感じでも,前記のハイティンクとのラフマニノフように,初期のCDと同じマスターを使っているようで,いただけない。

 今回初出のものがあって,1974年にロンドン交響楽団を弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲第23番は,これまでリリースされたことがなかったと書いてある。ということで,非常に貴重なものということになる。同じCDに入っている第21番も,2003年にGreat Piano ConcertosというBOXセット(473 601-2)のボーナスCDとして出たことがあっただけで単売されたことはないので,貴重な音源だ。

 

 不良品が入っていたのは別として,全体として丁寧につくられているだけに,音質の改善がされていないのはとても残念である。

 今後,リマスタリングされたセットが出たりしたら,かなりショックである。