小澤/N響のトゥーランガリラ交響曲

 2月17日(土)にNHK-FM「クラシックの迷宮」で,小澤征爾NHK交響楽団を振って日本初演した際のメシアントゥーランガリラ交響曲の演奏が放送された。1962年7月4日に東京文化会館で演奏されたもので,片山杜秀さんの秘蔵LPだという。当時テレビ中継された際には,楽章が終わるごとに盛大な拍手があったという(https://concertdiary.blog.fc2.com/blog-entry-74.html?sp)が,このLPでは拍手は全てカットされているようだ。

 

 これは本当に凄まじい演奏だ。特に第5楽章と第10楽章は,まさに火の玉のような演奏とはこういう演奏を言うのだ,と思わせる。N響も小澤の棒に完全について行っており,両者が一体となって演奏しているのが分かる。

 

 小澤はこの後,1967年12月にトロント交響楽団とこの曲を録音しているが,比較にならない。

 

 らじるらじるでは,2月24日(土)午後9時まで聴くことができる。まだ聴いていない人は,聴かないと絶対後悔することになるので,ぜひ聴いてほしい。

 

 やはり小澤は若い頃の演奏がいい。サイトウ・キネンを始めた頃から,変わってしまったと思う。

 

 

Windows/Android使いのApple Music

 しばらくぶりに再びApple Musicを利用し始めたことは前に書いた。

 Apple製品は一つも持っていないので,WindowsWindows 10)とAndroidスマホ/タブレット)で使用している。

 これまでにいくつか不具合が分かっているので,書いておくことにする。Android端末は,スマホタブレットも最新型ではない。特にスマホはかなり古い。タブレットDolby Atmosに対応しているが,スマホはしていない。

 

1 1つのアルバム内(同一曲)でハイレゾと非ハイレゾが混在

 ユジャ・ワンの最新アルバムであるラフマニノフのピアノ協奏曲全集に入っている《パガニーニの主題による狂詩曲》を聴いていて,ハイレゾハイレゾロスレス)と非ハイレゾロスレス)が混在していることが分かった。1曲目と2曲目はロスレス,3曲目はハイレゾロスレス,4曲目と5曲目はロスレス,6曲目はハイレゾロスレス,と,ランダムにハイレゾロスレスロスレスが入れ替わる。

 

Apple Musicのパガニーニの主題による狂詩曲 第3変奏

 

Apple Musicのパガニーニの主題による狂詩曲第5変奏

 

Amazon Musicハイレゾと非ハイレゾは混在していないし,一覧で分かる

 これは以前,Amazon Musicでも指摘したが,少なくとも最新録音でこういうことは見なくなっていた。それに比べると,Apple Musicはかなりひどい。

 しかも,Amazonでは,曲が一覧表示されている画面から音質がすぐ分かるが,Appleでは再生してみないと分からない。

 また,Apple Musicでは,ハイレゾロスレスロスレスApple Digital Mastersという3種類があるようなのだが,それぞれの定義がはっきりしない。

 通常,ハイレゾというと,CDを超える高音質のもの,とされており,具体的には,CDの44.1kHz/16ビットとDATやBS Bモードの48kHz/16ビットを超えるものを言うことが多い。しかし,Apple Musicでは,44.1kHz/24ビットをロスレスとしており,ハイレゾ扱いしていない。Amazon Musicでは,44.1kHz/24ならハイレゾ扱いである。

 そして,Apple Digital Mastersというのがさっぱりわからない。どうも,ロッシー音源のことを言っているようなのだが,ホームページ上のAppleの説明を読んでも,何のことかまるで分からない。

 

2 ギャップレスに対応していない曲(アルバム)がある

 1で例として取り上げたユジャ・ワンラフマニノフだが,ハイレゾロスレスは曲間で一瞬途切れ,ノイズが入る。つまり,ギャップレス再生に対応していないということだ。ロスレスからロスレスの場合はそんなことはないので,前の曲と後の曲のどちらかがハイレゾロスレスだと,一瞬途切れノイズが入る。

 Apple Musicの仕様なのか確かめるため,他のアルバムを聴いたところ,カラヤンの《ジークフリート》ではハイレゾロスレスだがギャップレスだった。提供された音源あるいはAppleが曲を提供する際の問題のようだ。

 しかしこれは,かなりマイナスだ。Dolby Atmosでも同じで,後述のとおりである。

 ちなみに,ワンのラフマニノフについては,全曲がロスレス/Dolby Atmosで提供されているAmazon Musicの場合,完全にギャップレスになっている。

 

3 Windows版はロスレスじゃない?

 Apple MusicアプリがWindowsでも提供されるのに伴い,Windowsでもハイレゾロスレス/ロスレスに対応したとされている。設定画面には設定するところがある。

 しかし,実際に曲を聴いてみると,どうもロスレスではないように思われる。曲のプロパティを見ると(Androidにはない),どの曲もビットレートが256kbps,サンプルレートが44.100kHzと表示されるのだ。また,ファイルサイズもロスレスにしては小さすぎる。

設定でロスレスオーディオはオンにしている

プロパティを見ると圧縮音源になっている

 Androidだと,実際に再生されている音質を簡単に確認できるのだが,Windowsだと確認できない。聴いた感じでは,2で書いたギャップレスの有無も含めて考えると,少なくともハイレゾロスレスではないようだ(ギャップレスになっているので)。

 この問題は,これからも追跡したい。

 

4  Windows版の動作が遅く,不安定

 Android版も決して安定しているとは言い難いのだが,Windows版はもっとひどい。動作がもっさりしており,イライラすることがある。明らかにAmazon Musicより遅い。

 また,動作が不安定で,ノイズが入ったり途切れたりすることもある。通信環境の問題ではないと思っている。

 

5 Dolby Atmosの対応が不十分・ギャップレス非対応

 Apple Musicは,端末自体がDolby Atmosに対応していないとダメなのだが,Amazon Musicは,端末自体がDolby Atmosに対応していなくても,Dolby Atmosで再生できる。これが本当にDolby Atmosの音なのかは分からないのだが,少なくとも,Dolby Atmos以外の音質を選んだときとは全く違うし,音に広がりがあるように聞こえるので,全然デタラメなのではないと思う。この辺の仕組みは分からない。

 Amazon Musicでは,音質を簡単に切り替えることができるので,違いを比べることが容易だ。しかし,Apple Musicには再生中に切り替える画面がないので,比較が難しい。

 しかも,うちにあるDolby Atmos対応のタブレットだと,なぜかDolby Atmosでも再生ができない。音が出ない上に動作が不安定になるのである。これも,端末の問題なのかアプリの問題なのかは分からない。ただし,Amazon Musicではこのような不具合はない。

(追記)

 その後,Dolby Atmos対応のスマホで動作を確認できた。上記のユジャ・ワンラフマニノフでは,ハイレゾロスレスと同様,曲間でギャップが発生する。これも致命的だ。

 

 以上のように,Windows/Android環境では,Apple Musicはまだまだ不安定である。Amazonにも多数問題点はあるが,今のところ,安定して聴くにはAmazonの方がよさそうである。

 なお,聴ける曲はAppleの方が多いように思うし,Amazonは,以前指摘したユニバーサルのCD初期の音源の曲の最後が切れているものがあるとか,そもそもアルバム内の曲の一部が欠落している(聴けないようにしているのではなく,そもそも欠落している),アプリが重くバッテリーの消費量が大きい,といったかなり致命的な問題もあることにはあるので,一長一短ではあるが,普段使いでの安定性では,今のところAmazonに分があるように思う。

 もうひとつ,Appleの方が優れている点としては,再生途中で一時停止したときに,Appleはどこまで再生していたかをきちんと記憶しているが(当たり前のことだが),Amazonはリセットされて記憶されないことがある。どういう場合にリセットされるのかも不明だ。これはクラシックで初めて聴く曲などの場合は致命的である。

 

 今回,Windows版のApple Musicが出たことを機にApple Musicを使ってみたが,Amazonより有利なところもあるものの,ハイレゾDolby Atmosでギャップレス再生できないなどの致命的な欠陥もあり,今回は1か月で解約することにした。

 

 

小澤征爾さん死去

 小澤征爾さんが2月6日に亡くなっていたことがわかった。88歳だった。

 昨年のセイジ・オザワ松本フェスティバルに車椅子に乗って現れた姿を見て,近いうちにこうなるだろうとは思っていたが,とても残念だ。

 あのような姿で人前に現れた指揮者は,前代未聞だろう。ご本人が了解されてのこととは思うが,さらし者にされているようで見るのが辛かった。

 

 日本人指揮者として常にトップを走り続けた小澤さんだったが,晩年は音楽的にも個人的にも幸せそうには見えなかった。

 転機はおそらく,ボストン交響楽団を辞めてウィーン国立歌劇場音楽監督になったときかと思う。病気が続き,思うような活動ができなかったと。大変残念なのは,それ以降のウィーン国立歌劇場ウィーン・フィルとの録音や映像収録がほぼ皆無であること。ちょうどCDが冬の時代に入り,であれば映像収録があってもよさそうなのだが,(少なくとも日本では)テレビ放送すらなく,商品化されたものはほぼない。その後のウェルザー=メストジョルダンも似たような状況ではあるので,小澤さんの問題ではないのまもしれないが,残念極まりない。ウィーン・フィルの凋落もこの頃からと言っていいのではないか。

 

 それでなくても,晩年の小澤さんには謎が多いので,ここでは何も書くまい。

 

 

 小澤さんの指揮したCDの愛聴盤を挙げておく。

 1980年代のものばかりだ。そのころが一番輝いていたと思う。その後(サイトウ・キネンがメインになってから)は,恰幅は良いが・・・というものばかりで,あまり手が出るものはなくなってしまった(メータに似ている,かも)。

 

1 オルフ:カルミナ・ブラーナ ベルリン・フィルほか

  (デッカ(旧フィリップス) UCCD-41037)

  超名演!ジルヴェスターでのDVDもあわせて見たい

 

2 プロコフィエフ:ロメオとジュリエット(全曲) ボストン交響楽団

  (グラモフォン UCCG-4450/1)

  小澤さんの良さが凝縮された演奏だと思う

 

3 ブラームス交響曲第4番ほか サイトウ・キネン・オーケストラ

  (デッカ(旧フィリップス UCCD-50054)

  サイトウ・キネンとの最初の録音

  同時期に演奏・放送されたフランクフルトでの演奏を聴いて(見て),これは本当に凄いと思った

  この熱さが,その後どこかへ行ってしまった(ルツェルン音楽祭もそうだ…)

  フランクフルトでのライヴ映像も復活してほしい!

 

4 マーラー交響曲第4番 ボストン響

  (デッカ(旧フィリップス) UCCD-5106)

  小澤さんの繊細なマーラーに最もふさわしい曲と演奏

  第2楽章のヴァイオリン・ソロは,これが一番好き

 

5 プロコフィエフ交響曲第2番,第7番 ベルリン・フィル

  (グラモフォン UCCG-6100/1)

  ベルリン・フィルのパワーを解放した第2番と,どこか寂しい第7番

 

 

(追記)

 テレビも新聞も雑誌も,小澤さんの記事であふれているが,どれも通り一遍に彼を讃える記事で,ほとんどは中身のない,彼のキャリアや人柄を褒めそやすものばかり。彼の音楽がどんなものだったのかを書いているものはほとんどないのが残念ながら現状である。本来ならば,レコ芸で特集を組んで振り返るのだが,その媒体ももうない。指揮者・小澤征爾という虚像だけが語り継がれていくのだろうか。

 

 そんな中,2月11日の読売新聞に寄稿された井上道義さんの文章だけが異彩を放っている。さすが,小澤さんの後輩で現役の(といえ,既に引退することを発表されている)指揮者・音楽家である。

 とにかく褒めればいいというほかの記事とは一線を画している。もちろん,敬愛する先輩に対する愛情に溢れた文章だが,それだけではない。いきなり単身北朝鮮に行って指揮してしまうなど,話題を振りまく方であるが,その音楽は本物なのは間違いない。

 井上さんの寄稿された文章では,「苦い思い出」として,「若い頃、小沢さんと話をした時のこと。「征爾さんがスクーターでパリまで行った時代と違い、今は飛行機の方が安いんですが、僕はどこに行ったら一番いい勉強ができますか?」とたずねたら、小沢さんが不機嫌になってしまった」というエピソードも紹介されていて面白い。また,「特にオペラの指揮では苦戦していると感じることもあった」,「病を得て指揮する機会が減ってしまった小沢さんにとって、晩年の約20年は、真の意味で「世界のオザワ」としては喜ばしく過ごすことはできなかった……と感じるのは僕だけだろうか」と,おそらくずっと小澤さんの音楽を敬愛して聴いてきた人ならば感じているであろうことをきちんと文章にしてくれている(褒めるだけの新聞記者には書けないことだ)。

 最後に,「残された時間で、僕は小沢さんが切り拓いた道とは違う道を歩んでいる」と結んでいるのも,井上さんらしい。これからどんな活動をされるのだろう。「指揮者ではないですが,引退すると言っては何度も撤回している大人物もいますよ」とお伝えしたい。

 

 

クラウディ・アバド没後10年

 今年の1月20日に,クラウディオ・アバドの没後10年を迎えた。

 残念ながら,ほとんど話題になっていない。寂しすぎる。

 

 グラモフォンもソニーも没後10年企画の動きは見えない。

 冷淡なことだ。

 未発売の音源を,CD化,ブルーレイ化してほしい。

 

 3月25日にNHK BSとBS4Kのプレミアムシアターで放送される,1992年の来日公演の放送は,没後10年と関係あるのだろうか。ぜひ,続けて貴重な音源の公開を進めてほしい。

 

 ほかの指揮者も結局はそうなのだと思うが,やはり大編成のオーケストラを指揮するのが本当は一番好きだったんだろうなと思う。

 例えば,1999年のベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートなどを見ると,今ではまず見ることができない,ベートーヴェンの7番を倍管のフル編成で楽しそうに振っている様子が見られる。ウィーン・フィルとの全集の頃はまだ倍管が当たり前だったろうし,当然,《英雄》の第1楽章の終わりのところでは,(元々の)楽譜にないトランペットが鳴っている。

 室内管弦楽団古楽器オーケストラの指揮者が,歳を取ると大編成の現代オーケストラを振り出すのも,分かる気がする。みんな,そういうのが好きなのだ。聴く方だって。

 そういう意味で,指揮者にとっても,オーケストラにとっても,聴衆にとっても,窮屈で退屈な時代になってしまった。

 《英雄》でトランペットを思いっきり吹かせられるのは,もうコバケンくらいの大御所にならないと無理なのだ。やりたくても,バカにされてしまうことを恐れてできない。ティーレマンウィーン・フィルとの全集で吹かせていたが,音が小さく,かえってみっともなくなっていた。

 ラトルも,ロンドン交響楽団との第九では,倍管で演奏させていた。彼もやはり大編成のオーケストラを指揮するのが好きなのだ。もっとも,倍管にする必要があったか疑問な演奏ではあったが。

 

 今度のNHKの放送では,倍管フル編成現代配置のアバドと,古典配置でオケの人数も少なく,ステージ上がスカスカのペトレンコの演奏を比較することができる。

 もちろん,ペトレンコの演奏も壮絶なものだったが,あれをアバドのときと同じオーケストラで聴いてみたかった,と思わずにはいられないところもある。

 また時代の揺り戻しはあるのだろうか。もう,ないような気はする。

 

 

 話はそれてしまったが,これからアバドの没後10年企画はあるのだろうか。レコ芸があったら,絶対やったと思うが。

 

 

 そのレコ芸だが,クラウドファンディングの話はどっかに行ってしまったものの,2月28日に「ONTOMO MOOK レコード芸術2023年総集編」というのが出るそうだ。

 付録でレコードイヤーブックも付くというので,とりあえず買うしかない。

 定価1,980円という値段に見合う内容かどうかは買ってみないと分からないが。

 しっかり宣伝して,これまでの読者にたくさん買ってもらわないといけないが,宣伝費がないのか,全然話題になっていない。レコ芸の読者のお年寄りはネットなんか見ないのだから,何とかしないと。

 本屋では売ってないと困るので,とりあえずネットで予約しておくことにしよう。

 

 

Apple Music復帰

 サブスクのApple Musicと再契約した。

 うかつなことに,Windowsでもハイレゾロスレスが聴けることを知らないでいた。

 デスクトップ版のApple Musicでハイレゾロスレスが聴けることが分かったので,今話題のAndroidApple Music Classicalの使用感を確かめることも含め,改めてApple Musicの使用感を確かめようと思った。

 Apple Musicの方がよければ,Amazon Musicは解約するつもりである。

 

 まだ使い始めたばかりなので,Apple Music自体の評価はこれからだが,確かにApple Music Classicalは便利そうだ。特にAmazon Musicはクラシックに弱かったので,ちょっといじっただけでも雲泥の差がある。

 

 Appleは,Apple製品以外を使っていると,信用ならないところがあるので,その辺が評価のポイントになるのだろう。

 

 それと,再契約して分かったが,確か解約した際にライブラリやプレイリストはそのままにしていたと思うのだが,きれいさっぱり何もなくなっていた。

 Amazon Musicを一旦解約して再契約した際は,確か全部残っていたので,こういうところがAppleの信用ならないところではある。

 

 Amazonを使い続けていた理由の一つに360 Reality Audio対応ということがあったのだが,完全にドルビーアトモスに負けたようで,またソニー黒歴史が一つ増えたようだ。360 Reality Audio対応機器を揃えないでおいてよかった。

 

 

福島県立医科大学の次期理事長予定者選考について(その10)

 ちょうど昨年の今頃世間を賑わしていた,福島県立医科大学の理事長選考だが,結局,何事もなかったかのように,竹之下氏の3期目がスタートしてしまった。

 

 意向投票で竹之下氏を圧倒した紺野愼一氏は,今は東京クリニックという,総合南東北病院の関連医療機関におられるようだ。

https://tokyo-cl.com/doctors-profile/orthopedics-dr/#konno

 紺野氏は最後まで沈黙を貫いたわけだが,それも普通に考えればおかしな話。当て馬として担ぎ出されたら,想定外に勝ってしまい,ご本人も困ってしまった,といったうがった見方をする人もいるのではないか。

 いずれにせよ,新しい整形外科の教授は,これまで縁のなかった方が九州から来ており,菊地臣一先生以来の福島県医大の整形外科の伝統はなくなっていくのだろう。この年度末に,どのくらいの整形外科の先生が去って行くのか,要注目だ。

 

 さて,去る1月19日に,医大のホームページで「第1回理事長選考あり方検討会議」の議事概要が公開されていた。

 検討会議自体は昨年の11月21日に開催されていたので,公表までに随分時間がかかっている。昨年の経過を見れば,そこに何か意図が感じられると思う人も多いだろう。

https://www.fmu.ac.jp/univ/houjin/pdf/rijicho/gijigaiyou.pdf

 議事の内容はリンク先を見てほしいが,まだ具体的に何かが決まったわけではない。

 

 面白いのは,ホームページでは「第1回理事長選挙あり方検討会議事概要」となっていること。

https://www.fmu.ac.jp/univ/houjin/info.html#rijicho

 単なる誤植だと思うが,ホームページをつくっている職員の方は,「選挙」で決めるものだと思っているから間違ったのだろう。昨年の騒動も,選挙で決めるものだという関係者の皆さんの思い込み(?)も大きかったため起きたとも言えるのだが,あれだけ騒ぎになって,あくまで「選考会議」で選び知事が任命するのだと言い張ったにもかかわらず,職員の意識は全然変わっていないというところが面白い。結局,世の中そんなものなので,本質的なところは何も変わらないのではないか。

 

 

1992年のベルリン・フィル来日公演がNHK BSとBS4Kで放送!

 3月24日深夜のNHK「プレミアムシアター」(NHK BSとBS4Kのどちらも)で,1992年と2024年のベルリン・フィル来日公演が放送されることが分かった。

 

 2024年の方は,1月14日にEテレで放送されたばかりだが,より高画質・高音質で放送されるのは嬉しい。というか,先にBSで放送してほしかった。保存用のブルーレイを無駄に消費してしまった。

 

 昨年のペトレンコの演奏も良かったが,今回もっと嬉しいのは,アバドとの1992年の演奏の方である。当時,アナログ地上波でステレオで放送されていたが,(おそらく)ハイビジョンの5.1chで放送されるのは初めてのはず。

 1992年1月25日にサントリーホールで収録されたこの日の演奏は,オール・ブラームス・プロで,前半がヴィクトリア・ムローヴァソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲,後半が交響曲第2番だった。アンコールはハンガリー舞曲第1番。

 ムローヴァのヴァイオリン協奏曲はCDで発売されていたが,交響曲は未発売。しかし,凄かったのは交響曲の方。サントリーホールのステージいっぱいに所狭しと並んだ,倍管編成の(今では極めて珍しくなってしまった)ベルリン・フィルは,見ただけで圧巻である。

 まだカラヤン時代の旗本が多数在籍しており,コンサート・マスターはスタブラーヴァとシュピーラーだし,コントラバスにはツェペリッツ,フルートにブラウ,オーボエシェレンベルガー,ホルンにハウプトマン,などなどなのだが,何と言っても凄いのはティンパニのフォーグラー!

 アバドの指揮もまだまだ若々しく,特に第4楽章は凄まじい!アバドがおかしな方向に行ってしまう前の演奏で,非常に貴重だ。

 是非,見てほしい!

 放送局が収録した来日公演は,放送後すぐ破棄する条件で収録が許可されることが多いと聞くが,よく残っていたものである。

 以前,1994年の来日公演でのチャイコフスキー交響曲第5番がハイビジョンで再放送され,その後デジタル・コンサートホールでも見られるようになったので,今回もそうなるだろうか。

 ついでに言うと,デジタル・コンサートホールでは,アバド時代の演奏会で,ハイビジョン収録されていたのにSD画質でしか見られないものが多数あるので,ハイビジョンで見られるようにしてしてほしい。あと,きちんと比較していないので分からないのだが,カラヤン時代のものの画質は,NHKが8Kリマスターしたものと比べてどうなのだろう。テレモンディアルのものも見られるようにしてもらいたい。

 

 とにかく,今度の放送は必見である。良くも悪くもこの30年間でのベルリン・フィルの変化がよくわかるだろう。

 

 

 もし音源が残っているなら,1987年のウィーン・フィルとの来日公演(ベートーヴェン交響曲全曲演奏)をCD化してほしい。

 今年はアバドの没後10年。そのほかにも貴重な放送音源はたくさんあるので,発掘し,世に出してほしい。

 グラモフォンも,近年はさっぱり新譜が出なくなってしまったのだから,過去の音源のCD化に積極的になってはどうか。お金もかからずに,稼げるかもしれない。

 

 

レコード芸術ONLINEのクラウドファンディングは成功するか

 昨年(2023年)12月6日に,音楽之友社のウェブサイト上で,「レコード芸術ONLINE」創刊に向けたクラウドファンディングを行うとの告知があった。

 

 何を今さら,というのが大方の感想ではないだろうか。

 

 「詳細は後日発表!」とあったが,既に1か月近く経っている。どうもやる気を感じられないし,ネット上でもさっぱり盛り上がっていない。

 科博のクラウドファンディングが成功したことを見て,急に思いついたのだろうか。「詳細は後日発表」などと言うには,休刊から時間が経ちすぎている。今まで何をしていたのだろうか。

 以前書いたとおり,「クラシック・データ資料館」での読者を嘗めきった対応もあるし,音楽之友社には不信感しかない。本気でやるとは思えない。

 

 そもそも,レコ芸の読者層は高齢化しすぎていて,おそらく,クラウドファンディングに参加できるような人は非常に限られていると思う。オンライン署名が不発だったのも,それが原因の一つだと思う。

 クラウドファンディングという手段もだし,ONLINE化というのがそもそも読者層を見誤っていると思う。

 

 そのうち,ひっそりとサイトから告知が削除されるのではないか。

 

 それよりも,レコード・イヤーブック2024を500円くらいで発売してくれないものか。

 

 

「クラシック・データ資料館」はどうなった?

 レコード芸術読者向けに提供されていた「クラシック・データ資料館」は,レコード芸術休刊後も2023年9月30日までサービスが続けられ,その後の扱いは,6月27日に来たメールでは「今後の運営については、現在検討中ですので、決まり次第、音楽之友社ウェブサイトで発表いたします」とされていた。

 

 既に9月30日が過ぎ,これまで使っていたユーザーIDでは既にログインできなくなっている。guestでログインすると,機能制限付きでログインは可能なので,システム自体は動いているようだが,6月4日に更新されて以降,データは更新されていないようだ。

 

 サービスをやめるならやめるでしょうがないのだが,いまだに音楽之友社ウェブサイトでは,何の告知もない。

 これまでのユーザーのメールアドレスは分かっているのだから,個別に通知があってもいいと思うのだが,それもない。

 

 こういうことだから,読者離れが進んで,休刊せざるを得なくなったのだろう。

 ちなみに,Xを見ても,休刊後,クラシック・データ資料館については何の書き込みもないので,そもそも利用者はかなり少なかった可能性がある。ネットも使えない高齢者ばかりが読者になっていたのか。

 

 それはそれとしても,問われるべきは会社としての姿勢だろう。「発表いたします」と言っておきながら,何もしないのだから。最低限,9月30日までに告知すべきだ。

 

 レコード芸術という一雑誌の問題ではなく,会社全体の問題のように思われてならない。

 大丈夫か,音楽之友社は。

 

 

 6月以降データ更新がされていないということは,データを集めてもいないのだろう。ということは,一時復刊して付録にレコード・イヤーブックが付く,というのも夢のまた夢ということか。

 たいへん貴重なデータブックだったのだが。

 

 

TOKIOとの関係継続は吉と出るか凶と出るか

 福島県は,TOKIOを引き続きCMやポスターに起用し,「TOKIO課」(意味不明だ)も継続すると発表した。

 

 一方,農林水産省は,TOKIO城島茂が務める「ノウフクアンバサダー」の活動を当面見合わせると発表した。

 

 TOKIOのメンバーが震災前から福島県のために活動してくれてきたことはみんな知っているところだし,これからも県内で活動してくれることに異論のある人は多くないだろう。

 しかし,県のCMやポスターとなると話は別だ。多額の税金が関係してくるからだ。TOKIOジャニーズ事務所ではなく,株式会社TOKIOのタレントとして活動しているとされるが,株式会社TOKIO代表取締役藤島ジュリー景子氏だという。所在地も同じで,実質的にジャニーズ事務所と同じだと見られている。

 となると,福島県の判断が妥当かに大きな疑問符が付くのは当然だ。

 少なくとも,「税金」が元になっているお金がどのように流れているのかを明らかにしない限り,納得できる人は少ないだろう。藤島ジュリー景子氏が代表取締役を務める株式会社TOKIOにいくらかでもお金が入る仕組みになっているようでは,県民も国民も納得させるのは無理だ。

 

 TOKIO起用継続は,当然,内堀知事や箭内氏の意向によるものだろう。

 これからどうなっていくのか,しっかり見ていかなければならない。

 

 TOKIO福島県のCMやポスターに起用することの効果も検証する時期に来ていると思う。

 それと,彼等の福島県内での活動とは,全く別の話だ。

 ここを一緒くたにして,誤魔化していては,震災からの復興の応援をしてくれている他県の皆さんを裏切ることになり,応援してはもらえなくなるだろう。

 

 

エヴァンゲリオンとWOWOWの画質

 この8月に,エヴァンゲリオン(「ヱヴァンゲリヲン」か「エヴァンゲリオン」かという面倒くさい問題があるが,ここでは「エヴァンゲリオン」で統一する)の新劇場版4作がWOWOWで一挙放送された。

 特に,4作目「シン・エヴァンゲリオン劇場版」はテレビ初放送となる。これまでは,日本テレビ金曜ロードショーで最初に放送されてきており,その後も,放送されるのはNHKBSプレミアムとBS4K)に限られていたので,WOWOWで最初に放送されるというのは異例だ。

 WOWOWはBSの放送局の中でも特に画質が良く,フルハイビジョンでもあるので,今回の放送には非常に期待した。

 これまで,金曜ロードショーでは「テレビ版」,NHKでは「BSプレミアム版」などと表記され,劇場公開のものとも市販のDVD/BDとも違うものであることが強調されていた。したがって,冒頭のカラーや東映のロゴはカットされていたし,予告もカットされていた。ところが,今回のWOWOWでは,(おそらく)商品版に入っていたのと同じと思われる,スターチャイルド東映,カラーなどのロゴが入っており,最後の予告も入っているので,金曜ロードショーともNHKとも違うマスターを使っていることが分かる。

 ただし,「Q」では,「巨神兵東京に現る」はカットされているので,市販のものと全く同じではないようだ。もちろん,庵野監督のことなので,今回のWOWOWでの放送にあたって細かい修正があった可能性はあるが,全然分からなかった。

 

 さて,そんなことで,これまでテレビで見ていたものと違うものが見られると,興奮気味で見ていたのだが,何ともロックノイズが目立つことに気が付いた。特に「序」と「破」で目立ったような気がする。

 余りにも気になったので,録画していた金曜ロードショー版,BSプレミアム版,BS4K版と比較して見てみた。「序」の冒頭の戦闘シーンでブロックノイズが目立つところがあったので,そこで比較すると,BS4Kは圧倒的に画質が良く,次にBSプレミアムWOWOWはブロックノイズがなければ高画質,金曜ロードショーはちょっと画が甘いな,という結果であった。

 

 4Kは措くとして,WOWOWBSプレミアムはフルハイビジョン(1920×1080),日テレ系は(おそらく)フルハイビジョンではない(1440×1080)という違いがあり,さらに,チャンネルあたりのスロット数の問題があるのだと思う。そうなるとなおさらWOWOWが圧倒的なはずなのだが,なぜあれほどブロックノイズが目立つのか,非常に気になる。庵野監督が見たら許さないのでは,というくらいのノイズだったし。

 

 エヴァンゲリオンは今後もWOWOWで放送されるようなので,何か違いが出てくるか,引き続き検証しようと思う。

 

 

 

 

渋谷ゆう子著「ウィーン・フィルの哲学」

1 幻のオーケストラになりつつあるウィーン・フィル

 メディアでウィーン・フィルの演奏に接することが珍しくなって久しい。

 日本では,ニューイヤーコンサートシェーンブルン宮殿での夏のコンサート以外,ほとんど目に,耳にすることはなくなってしまった。NHKザルツブルク音楽祭のいくつかのコンサートやオペラを放送することもあるが,今年はどうか分からない。定期演奏会は,全く聴けなくなった。かつては,夏とか冬とかにNHK-FMで集中的に放送してくれたし,WOWOWがテレビ放送していた時期もあった。来日公演も,かつては必ずNHKサントリーホールの公演の1つは放送していたが,それもなくなった。

 CDも出ない。ここ数年はティーレマンブルックナー交響曲全集を録音していたが,それも完結した。ウィーン・フィルが一人の指揮者と全集を作るのは初めてということで話題性があったが,今後ブルックナーの決定盤として残っていくかはまだ分からない。残念なのは,一部の曲がザルツブルクでのライヴになってしまったこと。本拠地の楽友協会大ホールで録音してほしかった。しかも,ザルツブルクでの収録になってしまったのは,4番,7番,9番という人気曲だったというのも大きなマイナスポイントだ。そして,ブルックナーの後,今後新譜が出るという話は聞こえてこない。

 今聴くことができるのは,ORF(オーストリア放送協会)のネットラジオくらいのようだ。これを書いている時点では,今年のザルツブルク音楽祭でのハーディング指揮の演奏会が聴ける(8月20日の《ツァラトゥストラはかく語りき》ほか)。音は5.1chサラウンドで,NHKのらじるらじるよりもいいようだが,接続は不安定。

 もはや,幻の地方オケと化してしまうのだろうか。そんなことを考えていたところ,「ウィーン・フィルの哲学 至高の楽団はなぜ経営母体を持たないのか」(渋谷ゆう子著 NHK出版新書)という本が出て話題になっているというので,読んでみた。

 

2 「ウィーン・フィルの哲学」

 著者の渋谷ゆう子氏は音楽プロデューサーで,ウィーン・フィルの楽団員と親交があり,団員から直接聞いた,ここ最近の状況についても興味深いことがたくさん書かれている。

 いろいろ書かれている中で,一番興味深かったのが,前楽団長アンドレアス・グロスバウアー(第一ヴァイオリン奏者。1974年生まれ。楽団長2014年9月-2017年9月)による改革とその挫折についてだった。こんなことがあったとは,全然知らなかった。レコ芸の「海外楽信」でも,一切書かれていなかったと思う(そもそも,ここ数年はウィーン・フィルの話題自体がほとんど書かれていなかったと思う)。

 グロスバウアーによる改革とは,本書によると,次のようなものだったという。

 

① 新たな視点で共演歴のない指揮者やソリストを選び,新しいファン層を獲得しようと提案

② ハリウッド映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズとの企画を成功させた

③ 楽友協会内のウィーン・フィル執務室のインテリアを一新

④ ニューイヤーコンサートのための「ザ・フィルハーモニック・スーツ」の製作

 

 ①は,ユジャ・ワンとの共演や,グスターボ・ドゥダメルニューイヤーコンサートの指揮者に招聘したことが挙げられるという。ニューイヤーコンサートは,これまでは少なくとも数年以上,数十回以上の共演歴のある指揮者から慎重に選定するのが通例で,共演歴の浅いドゥダメルの起用はまさに革新的な決定だったという。確かに,このときの演奏の出来はあまりよくなくて,ドゥダメルがすごく緊張して硬くなっているように見えた。その後のグロスバウアーの失脚ということからすると,オケが非協力的だった可能性がある。ユジャは既に十分キャリアがあったと思うので,特に問題とは思わないのだが,ウィーン・フィルからするとまだまだ自分たちと共演できるほどの奏者じゃないと思っていたようだ。

 

 ②は大成功に終わり,CDやブルーレイもよく売れたが,それほどウィーン・フィル自体はそれほど儲からなかったそうだ。元々2018年の予定が,ウィリアムズの病気で2020年に延期になったものだという。

 

 ④は,これも全然知らなかったのだが,ニューイヤーコンサートのために,お揃いのスーツを仕立てて,2017年のコンサートから使われているのだという。デザイナーにヴィヴィアン・ウエストウッドを指名し,非常に素晴らしい出来と評価されているという。確かに,言われないと分からないくらい,おかしなものではなかった。しかし,楽団員からは,ニューイヤーコンサートにしか使わない高価なスーツを仕立てることに反発も多いらしい。

 

 グロスバウアーの改革派,変革の性急さや突出した支出増などで楽団員の不満が噴出し,わずか3年で楽団長の交代を余儀なくされた(実質的に力を発揮できたのは1年半程度になるという)。これらは,端から見ると,それほど大層な改革とも思えないのだが,その後楽団長となったダニエル・フロシャウアー(現楽団長)は,超保守化した運営をしているのだという。

 

 本書では全く触れられていないのだが,グロスバウアーが楽団長だった頃の功績として,いくつかの興味深いCDが製作されたことが挙げられるのではないかと思っている。グロスバウアーが楽団長になる前から,ウィーン・フィルのレコーディングはほとんどなくなっていた。それが,グロスバウアーが楽団長の時期に,ドゥダメルとの《展覧会の絵ビシュコフとのフランツ・シュミットの交響曲ノット(ガッティの代役)とカウフマン(1人で全曲歌った)との《大地の歌,といったCDが相次いで録音されたのだ。その後録音されたネルソンスとのベートーヴェン交響曲全集も,グロスバウアーが始めたものらしい。

 CDや放送でしかウィーン・フィルを聴くことができない我々からすると,この時期,いい方向に向かうと期待したのだったが,その後パッタリと新譜がでなくなったのには,こういう経過があったのだ。

 ティーレマンとのブルックナー全集にグロスバウアーが関わっていたのかは不明だが,どうも違うような気がする。

 本書には,今後のウィーン・フィルの具体的なメディア戦略についての情報を期待したのだが,そういったことは全然書かれておらず,非常に残念だった。ない,あるいは分からないなら,そうとだけでも書いてほしかった。そのせいもあって,最後の方が尻すぼみに終わった感が強い。

 

 また,面白いと思ったのは,同僚から駄目出しされて楽団長を追われたグロスバウアーが,その後もウィーン・フィルにとどまっていること。何だかウィーン人らしいような気がする。まだ定年までしばらくあると思うので,再登板を期待してしまう。

 

 そんな超保守化したウィーン・フィルの現在だが,来シーズン(2023-2024シーズン)の定期演奏会の指揮者を見ても保守化していることがよく分かる。

 登場順に,ハーディング,ソヒエフ,ティーレマン,P.ジョルダン,ヴェルザー=メスト,メータ,K.ペトレンコ,ムーティブロムシュテット,ネルソンスという指揮者陣である。バレンボイムの名前がないのが意外な感じもするが,このところの常連で,特にクセのない(と思われる)指揮者ばかりだ。新顔はいないと思われる。

 グロスバウアーが楽団長をしていた頃は,もっと多彩な指揮者が登場していた。

 

 

 ウィーン・フィルがこれからどうなっていくのか分からないが,クラシック音楽ファンとして一番言いたいのは,もっとCDや放送で本気の演奏を聴けるようにしてほしいということだ。ニューイヤーコンサートはまだしも,野外コンサートなど,別に聴きたくもない。質が低すぎて,自分たちの価値を貶めていることに気付いていないのだろうか。ベルリン・フィルが,ヴァルトビューネでのコンサートは(映像化はしても)決してCD化しないのとは対照的だ。

 「観光地オケ」と揶揄する評論家もいたが,このままだと,本当に地方の幻のオケに堕してしまうのではないか。

 

 

レコード芸術「最終号」 (2)~『レコ芸』で出会ったこの一枚

 最後のレコード芸術を読み終えた。

 違和感でいっぱいだ。

 休刊と言っているが,実質的に廃刊なのはオンライン署名の発起人の方たちの言うとおり。となれば,71年間を総括する記事があって当然だと思うが,何もなかった。

 表紙に「71年間ありがとうございました。」とあるのと,266ページの〔編集部より〕に編集長のごく短いコメントがあるだけ。

 特集2「『レコ芸』で出会ったこの一枚」は休刊を意識した企画のようだが,別に休刊でなくても成立する企画だ(○○周年,でも十分あり得る)。

 あとは,各執筆者が勝手に休刊に触れているだけ。

 196ページにある「休刊のお知らせ」も,5月号から内容は変わっていない。

 

 71年も続き,多くの読者に愛されてきた雑誌を休刊(廃刊)するのに,音楽之友社あるいは編集部が何の総括もしないとは,呆れて物が言えない。執筆者の皆さんも,さぞ残念だろう。

 こんなことだから休刊せざるを得ないのだろう。「休刊お知らせ」に書いてある「近年の当該雑誌を取り巻く大きな状況変化」や「用紙などの原材料費の高騰等」が休刊の本当の理由かは怪しい。

 そもそも,「近年の当該雑誌を取り巻く大きな状況変化」とは何か。具体的な説明が全くない。勝手に想像しろということか。いろいろ想像はできるが,想像に過ぎない。説明しないのは,説明できないので誤魔化しているのだろう。だから71年間の総括すらできないのだ。オンライン署名の発起人の方たちには,その辺をきちんと聞いて明らかにしてほしかった。

 「状況変化」というと,外的な状況のことを言っているように思えるが,それだけではないはずだ。編集部の質の問題,音楽之友社の経営(陣)の問題などもあるのではないか。

 一読者からすると,こうなってしまったことには,何よりも執筆陣の問題があったと思う。吉田秀和宇野功芳,志鳥栄八郎といった人たちの後継者となるような人材を育ててこなかった,育てられなかった。一人一人が蛸壷化して,変にマニアックになってしまい,新しい読者・ファンを育てられなかった。特定の分野の専門家を名乗る人ばかりになってしまった。HIP,古楽,現代音楽,ロシア音楽,フランス音楽,東欧,管楽器,ピアニスト,リヒャルト・シュトラウス,などなど。だから,特集ではそれぞれが好き勝手に書いて統制が取れず,書いてあることが重複したり,言い訳や前置きばかりになったりで,読むのが辛いことが多くなっていた。

 いつか,編集部の言う「大きな状況変化」の内容は明らかになるだろうか。

 

 

 

 さて,特集2にあやかって,自分の「『レコ芸』で出会ったこの一枚」について書いておく。

 思い浮かんだのは,ギル・シャハムのヴァイオリン,ジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団によるシベリウスチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ドイツ・グラモフォン)だ。このCDの宇野功芳氏の月評を読み,CDを買い,シャハムの大ファンとなってここに至っている。

 宇野氏は,チャイコフスキーについて,「危険を感じさせるほどのうまさで,久しぶりに往年のフーベルマンを思い出した。まさに妖刀の切れ味だ」と書かれており,この「妖刀の切れ味」という言葉で是非とも聴いてみたくなったものだった。

 宇野氏は,チャイコフスキーは絶賛するがシベリウスについては「曲が曲だけに問題なしとしない」として,第3楽章は推薦マークをつけても良いが第1楽章と第2楽章は準推薦としたいと書いている。しかし,CDを聴いて好きになったのはシベリウスの方で,以来,シベリウスのCDの中ではナンバーワンだと思っている。それまでCDを持っていて,聴いていたのは,クレーメルの旧盤だった。あまり面白くなく,曲自体がつまらないのだと思っていたくらいだった。それが,シャハム盤を聴いてこの曲を好きになったのだ。その後も,評判の高いCDはほとんど聴いたが,シャハム盤より好きな演奏は出てきていない。

 宇野氏とは好みの違いが大きいが,このCDに限らず,氏の文章のおかげでその後好きになったCDと出会えたことも多く,感謝している(あまりにこき下ろすので聴いてみたくなったり…)。

 演奏は,まさに宇野氏の書くとおりで,ものすごく巧い。名手と言われる奏者でもありがちな音程の怪しさがなく,ストレスなく聴けるのがよい。そしてまた音が綺麗なのだ。解釈に変なクセもない。ヴァイオリンの音はこうあってほしい,というのがそのままスピーカーから出てくるのだ。

 ほかの曲ではあるが,映像でシャハムの演奏を見ると,どれもとても楽しそうに弾いているのが分かる。しかめっ面して,苦しそうだったりしているような演奏は見たくないし,聴いていても分かるものだ。シャハムの演奏を聴いていると,とても幸せな気分になれる。

 このCDは1991年12月の録音で,日本での発売は1993年9月26日だった(POCG-1683)。その後1995年にアートン素材CDとして再発され(POCG-9600),さらに2003年にマスター・シリーズで再発された(UCCG-3577)が,現在は廃盤のようである。

 サブスクでは聴けるので,ぜひ聴いてほしい。

 シャハムのCDでは,ほかに特にお勧めしたいのには,コルンゴルトの協奏曲(UCCS-50267)がある。これも聴いていて幸せになれる演奏で,特に第3楽章は圧巻。こちらは再発されたばかりなので入手しやすい。ベルリン・フィルデジタル・コンサートホールでもメータとの共演が見られ,こちらも必見。



 

「君たちはどう生きるか」レビュー

 宮崎駿監督の新作アニメ「君たちはどう生きるか」を見た。

 

 宮崎監督が引退を撤回したことは以前聞いていた気がするが,この時期に新作が公開されることは全く知らず,公開初日のニュースで知った。ショートムービーになるという話もあったのではなかったかと思うが,出てきたのは2時間を超える大作だった。

 そこで早速その翌日観ようと映画館を予約したが,19時半頃でガラガラだった。実際に映画館に行くと,6~7割は席が埋まっていたので,やはりニュース等で知った人たちが早速来たのだろうと思った。客の大半は中年で,若い人は少なかった。子供はほとんどいなかった。土曜日でこれなので,既にジブリはおじさん・おばさんのものになってしまったのかと,少し寂しい思いがした。

 ドラえもんの映画公開2日目より圧倒的に客は少なかったと思う。

 

 観ての感想だが,とても評価が難しいなと思った。楽しめたかと聞かれれば,2時間を超える長編を見る間,飽きることはなかったので楽しめたと思う。ただ,意図がよく分からないなと思うところは多かった。

 

 まず,タイトルの「君たちはどう生きるか」だ。

 既に報道されているとおり,吉野源三郎の本とは直接関係ない(らしい。読んだことがないので正確なところは分からない)。主人公の死んだ母親が,主人公にこの本を残した,というシーンはあるが,それ以上のものはないようだ。

 それはいいのだが,本作のストーリーが「君たちはどう生きるか」というタイトルとマッチしていないように思った。どうも哲学的で難しい,大人向けの話なのかと思ってしまうが,実際はそんなことは全くなくて,子供から普通に楽しめるファンタジーものなのだ。タイトルを見て敬遠する人が出てしまうのでは,と心配になった。

 「君たち」とは誰のことを言っているのかも分からなかった。主人公は飽くまで中学生(?)の男の子1人だ。ほかのキャラクターは,重要な役割を持っていても,主人公とは考えられない。なのに,「君たち」とは誰のことを指しているのか,最後まで分からなかったし,今も分からない。観客のことを言っているにしては無理がある。これまでの宮崎監督作品と比べても,それほど哲学的な内容ではないからだ。純化して言えば,突然現れた継母との関係に悩む中学生が,異世界の冒険を通して「お母さん」と呼べるようになるまでの話でしかない。特別,(これから先)「どう生きるか」と問いかけるような内容にもなっていないと思った。

 

 時代設定も必然性が分からなかった。太平洋戦争中という設定なのだが,ストーリーだけから見れば,現代に設定しても全く問題ないと思われる。物語全体が異世界の話だったとしても問題ないくらいだ。

 まあ,この辺は宮崎監督の好みの問題なのだろう。とにかく,何でもいいから戦中の話を作りたかったのだろう。

 タバコを吸うシーンが多く出てくるのもそう。好みというより,ヘビースモーカーの宮崎監督が,社会に反抗したくてわざとやっているのはだろうけど。「風立ちぬ」でも結構批判されたはずだ。タバコ嫌いからすると,それだけで観る気が失せるので,マイナスイメージが強くなるだけで何もいいことはないよと言ってやりたいところ。

 

 事前情報が何もないということで始めから集中して観ることができたと思うが,前置きが長すぎるように思った。そのくせ,背景の説明が不足していて,もやもやした感が残る。主人公の性格描写も足りない気がしたし,疎開先の豪邸(?)が何なのか(父親の実家なのか,母親の実家なのか?何をしている家なのか?など)も謎のままだった。あれだけ使用人を抱えているのだし,使用人たちの前掛けを見ると何か事業をやっているのだろうとは思うが,それが何かは全く分からないままだった。その割にかなりの時間を割いていたので,余計そう思ってしまう。

 

 主人公たちが行く異世界(?)も,そもそも何なのか分からないのはいいとして,出てくるキャラたちは「またか」感が強い。宇宙から落ちてきたというのだから,みんな鳥じゃなくていいんじゃないか。観ていて既視感と違和感がずっとあって落ち着かなかった。ジブリ大好きな人は喜ぶのかもしれないが。この辺りは,ジブリファン向けのサービスと割り切った方がよさそう。

 

 謎は謎のままで,観た者が自由に想像すればよい,ということなのだろう。最近の,何でも辻褄を合わせようとしてつまらなくなっているアニメとは一線を画しているのは間違いない。何でも説明すればいいんじゃないんだ,という宮崎監督のメッセージが込められていると解釈したい。

 

 最後に声優について。専門の声優でなく,俳優や歌手など,いわば素人に近い人を多く起用しているのはここ何作かの宮崎監督の作品と同じ。よほど専門の俳優は嫌なのだろう。確かに,昨今の声優は画一化して個性がないというか,アニメ声を出してればいいみたいなところがあって,気に入らないのは分かる。富野由悠季監督も何かで言っていた気がする。

 ただやはり,素人臭くてどうかなと思うところもある。今回は,「ハウル」の木村拓哉や「風立ちぬ」の庵野秀明のような違和感はなかったが,アニメ監督として専門の声優を育てるという意識があってもいいのではないかと思った。

 

 これからじわじわと観客数は伸びていくと思うが,大ヒットとなるかは疑わしい。80歳を過ぎてこれだけの大作を作り上げた宮崎監督には敬意を表したい。

 

 

小澤征爾 謎のブラームス交響曲第2番

 レコ芸が休刊になり,新譜の情報をどうやって入手しようと悩むが(ネットの記事では偏っているので),そんな中,謎の1枚を発見した。

 

 Amazon Musicで,お勧めに小澤征爾指揮ボストン交響楽団によるブラームス交響曲第2番が出てきた(グラモフォン。ほかに,ロッシーニの《セミラーミデ》序曲とパガニーニの《常動曲》がカップリングされている)。

 小澤とボストン響のブラームスは,1977年の第1番の録音があり,これだけだと思われてきた。あとは,サイトウ・キネン・オーケストラとの全集と第1番・第2番の再録音があるだけ。

 ところが,Amazonで出てきたのは,2017年の初出となっているものの,ジャケット写真を見ると若い頃(おそらく第1番と同じ頃)の演奏のように思わせる作りとなっている。ヘ長調なのにイ長調となっているなど,そういうのがデタラメなのは相変わらずだが,それ以上の情報はない。ほかの配信サービスを見ると,確かに同じ演奏が聴けるのだが,やはりデータはなにもなし。

 演奏は,音質は鮮明だがサイトウ・キネン・オーケストラのものよりも若々しさが感じられるので,やはり1980年前後のものではないかと思われる。

 第4楽章が終わった後に,拍手らしき音がちょっと聞こえたりするので,ライブなのかもしれないが,演奏中のノイズは皆無なので,はっきりとは分からない。ただ,カップリングを見ると,ライブ(アンコールの曲?)のようにも思える。

 

 いろいろ検索はしてみたが,結局この音源の出所は不明。小澤ほどの指揮者の正規の録音がこのような形で出てくるのは非常に珍しいので,いわく付きの音源なのだろうから,余計にいつどこで録られ,今頃(といっても5年以上前だが)出てきたのか,知りたい。

 

 そんな小澤さんは,今どうしているのだろう?

 そういえば,フィリップ・ジョルダンも,ウィーン国立歌劇場の在任中には1枚もウィーン・フィルとスタジオ録音を残さないまま退任してしまった。

 ウィーン・フィルは,完全にニューイヤーとシェーンブルンだけの観光オケになってしまったようだ。NHKはFMでも演奏を流すことがほとんどなくなってしまったし,MUSIC BIRDも終わる。レコ芸の海外楽信で取り上げられることも稀になって久しい。ますます日本とは縁遠い存在となり,ニューイヤーの中継の時にゲストが日本とのつながりについて白々しいコメントをするだけの存在になってしまうのだろう。