「岳飛伝」の第8巻まで来て

 北方謙三の大水滸伝シリーズはずっと文庫本で読んできた。途中で中断したくないので,それぞれ発売のタイミングを見て読み始めていたが,岳飛伝と楊令伝は随分間が空いてしまっていたので,岳飛伝に取りかかる前に楊令伝を読み直したところ,非常に時間がかかってしまい,岳飛伝を読み始めるのは随分遅くなってしまった。

 

 楊令伝を読みながら,岳飛伝への不安が高まるのを抑えられずにいた。

 楊令伝の途中から,おそらく童貫を倒したくらいからだと思うが,どんどんつまらなくなっていったからだ。登場人物も,誰が誰だか覚えられない。

 水滸伝ではもちろんこんなことはなかった。最後まで,決して飽きることはなかった。

 

 岳飛伝を読み始めて,不安は的中した。

 まず,岳飛のキャラが立っていない。楊令も今ひとつ顔が見えない感じがしたが,それでも圧倒的な強さがあり,何とか楊令(と呉用)を中心に物語がまとまっていた。しかし,岳飛は最初からずっと負け続け。決定的な負けはしないし,もちろん死ぬこともないのだが,楊令だけでなく,水滸伝に出てきたほかの英雄たちと比べても,強いという感じがしない。

 第5巻くらいに差し掛かって,史実を調べてみると,そろそろ岳飛は死ぬではないか。しかし,まだ10巻以上残っている。ということは,死んでなかった,ということにするしかない。さらに嫌な予感がした。

 その予感のとおり,岳飛は生き残った。そして,南に向かった。今,第8巻に差し掛かっているわけだが,相変わらず,それなりに強いが,何をしたいのかさっぱり分からない,主人公にしてはキャラが弱すぎる岳飛がいる。

 もちろん,岳飛が悪いわけではない。大水滸伝シリーズ51巻というのに,かなり無理があったと思う。もはや,物語が拡散しすぎて,岳飛に割ける分量が少なすぎるのだ。岳飛(岳都),梁山泊,小梁山,南宋,金,西遼・・・,膨大な登場人物・・・。岳飛だけの物語でないのは当然としても,岳飛が小さな駒の一つでしかなくなっている。しかも,相変わらず戦の準備はしているがちっとも戦は起きず,交易と街づくりの話が続く。

 一番分からないのは,秦容。準主人公的扱いをされているが,何をしたいのかまるで分からない。周囲の人間に対する態度はパワハラでしかない。読んでいてどんどん嫌いになる。

 ほかの登場人物も,どんどん小型化して,誰が誰だかさっぱり分からなくなってきた。北方先生の場合,読んでいると登場人物に対する思い入れの強さ,好き嫌いがよく分かるのだが,岳飛伝からの新たな登場人物でたいして思い入れの強い人はいないように感じられる。

 

 北方先生独特の言い回しや漢字の使い方も,物語がつまらなくなるにつれて気になって仕方なくなってきた。

 

 もはや惰性に近い状態で読んでいるのだが,まだあと9巻もある。全部買ってあるので読むしかないのだが,どうしよう。

 

 

レコード芸術2018年11月号~バッハ,バーンスタイン,そしてドビュッシー

 雑誌「レコード芸術」の2018年11月号の特集は「生誕333年 J.S.バッハ演奏の100年」だった。10月号は没後100年のドビュッシー,9月号は生誕100年のバーンスタインを特集。

 これらを読むと,レコード芸術という雑誌の編集方針がよく見えてくる。

 

 まず,バッハ。レコード芸術の読者なら,バッハが何者か,バッハにどんな作品があって,それぞれがどういう曲か,全部分かっていて,何の説明もいらない,という前提で全てが書かれている。

 そもそも,なぜ生誕333年で特集を組むのか。その説明すらない。

 333年というのは確かに3が3つ揃っているわけだが,3という数字にどういう意味があるのか。111年なら,222年なら特集を組むのか。

 と読み進めていくと,答えらしきものは45ページのユニバーサルの「J.S.バッハ新大全集」のページにあった。「キリスト教における三位一体を表わす数字「3」は,ルター派の敬虔な信徒であったバッハにとり重要な意味を持ち,その作品でもいたるところに象徴的に用いられている。それだけに今年のバッハ生誕333年という数字は,なかなかに意味深く感じられるところだ。そのバッハ生誕333年を記念してユニバーサルミュージックより登場する『J.S.バッハ新大全集』は,・・・」とのこと。

 さて,そのバッハは,今年が生誕333年なので引き算すればいつ生まれたのかは分かるが,この特集のどこを読んでも何年に死んだのかは分からない。

 簡単な略年表すらないのだ。

 いつどこで生まれ,何をした人なのか。どんな作品をつくったのか。どんな人物だったのか,そういうことに一切触れないまま,ひたすら100年にわたるバッハの録音の特徴についての記述が並ぶ。

 なので,取り上げられている曲,例えばブランデンブルク協奏曲がどんな曲なのかもほぼ説明がない。

 バッハにまつわるエピソードのようなものもない。

 はっきり言って,こんなの読んでも全然面白くも何ともない。

 唯一,読む価値があると思ったのは,鈴木雅明さんのインタビューだけである。

 

 以前はもっとマシだったと思うのだが,このところのレコード芸術の「特集」はみんなこの調子である。

 

 10月号のドビュッシーも然り。

 生没年すら書いていない。もちろん,没後100年の特集なので,1918年に亡くなったのであろうことは分かるが,それ以上のこの作曲家に関する情報は皆無。ドビュッシーはいろいろとエピソードにこと欠かない人物であったようだが,何もない。どこで生まれ,どうして死んだのかも分からない。何を考えて,何を目指して作曲したのか,そんなことも勿論書いてない。

 取り上げている作品については,バッハに比べるといろいろ書かれているが,内容は各著者に任されており,情報量や内容はバラバラ。

 この特集では,「ドビュッシーとフランス音楽」ということでフランス音楽についてもジャンルごとに書かれているのだが,切り口は新しくよかったものの,やはりそれぞれが勝手に書いていて,ドビュッシーとの関係もほとんど触れられておらず,何だかよく分からない中途半端な内容になってしまっていた。

 

 9月号のバーンスタインの場合は,バッハやドビュッシーに比べると作曲した作品の知名度は圧倒的に低いので,一応年表もあるし,作品リストもある。

 しかしやはり,バーンスタインの作品とバーンスタインが指揮したもののディスクの紹介ばかりで,バーンスタインという人がどういう人物だったのか,ということにはほとんど触れられていない。

 この点は,11月号で長木誠司さんの「ディスク遊歩人」,片山杜秀さん&満津岡信育の「View points」に興味深い記述があり,ここで書かれているような内容こそ特集で採り上げてほしかったと思う。これらの記事では,出自,性的嗜好,父親との関係,政治などについて触れられているが,これらはバーンスタインを語る上で欠かせないことで,それが特集では無視されているようだと,何のための特集なのか,何を知らせたい特集なのか,と疑問だらけになる。

 

 それにしても,レコード芸術の,特に「特集」はなぜいつもこうなのかと思う。まず,素人には何のことだかさっぱり分からず,非常に敷居が高い(あるいは逆に内容が薄すぎるということかもしれない)。素人でなくても,短い情報の羅列で,内容がほとんど頭に残らないし,そもそも全然面白くない。

 これでは,読者離れを加速させるだけだし,新しい読者の獲得は難しいと思う。

 なぜ,レコード芸術は,作曲家や演奏家の人間的な部分をあえて無視するような記事ばかり載せるのだろう。それが高踏的だとでも思っているのだろうか。

 

 

 長くなったが,もう一つ,11月号を読んでいて気になったことがあるので,書いておく。

 163ページにSACD再発売録音評があり,SACDの聴き比べができるくらいSACDも普及してきたのかと感慨深いものを感じたのだが,ワーナーの3点については,シングルレイヤーで,しかも以前にもシングルレイヤーでも出ていたことがあり,それとの比較記事になっている。

 同じSACDのシングルレイヤーで,新たにリマスタリングしたのかどうかも分からないままただ比較していて,聴いて違いはあるようなのだが,本当に違いがあるのか,根拠がはっきりしない記事になっている。

 最近は,各メーカーとも,どういうマスターを使っているのか,はっきり明記しないまま再発売している例が多い。

 音質向上をうたって再発売される場合,大きく言って2パターンある。

 1つは,新たにマスタリングし直した場合で,これは,かつては素人でも分かるくらいはっきりとした差が出ることが多かった。しかし最近は,違いがわずかで,聴き比べてもよく分からないくらいのことも多くなってしまった。それでもマスタリングし直したと言われれば,違いは必ずあるのだろうと思ってしまう。

 もう1つは,ディスクのフォーマットや素材が違うもの。例えばSHM-CDだとかHQCDとか,あるいはSACDでもシングルレイヤーかデュアルレイヤーか,といった違い。これは,マスタリングの違いに比べると,素人には非常に分かりにくい。

 レコード芸術でも「リマスタリング鑑定団」などで聴き比べを盛んにやっているが,はっきり言って,何百万もするシステムを専用のリスニングルームで聴くわけでもないのに,違いが分かるのかははなはだ疑問。しかも,今はPCでリッピングしてから聴くことが多いので,ディスクの違いは影響しなくなってしまうのではないか,との疑問が常にある。なので,お気に入りの演奏がSHM-CD化された,緑盤になった,などと言われても,リマスタリングし直しましたというのに比べて,手が出にくい。

 さらに,最近大量に発売されているBOXセットでは,どういうマスターを使用したのか,何も書いてないことが多い。まさか古いマスターを使う必要はないので,その時点で最新のマスターを使ったのだと信じたいが,ドイツ・グラモフォンなんど,その辺の情報が全くなく,各CDごとのカップリングや曲順を考えると,古いマスターを使っているのではと疑いたくなる場合もあって,うかつに手を出していいのか,悩ましい場合も多くなってきている。

 

 レコード芸術のような専門誌には,一般人には分からないこの辺の事情をよく取材した上で記事を書いてほしいのだが,「聴き比べれば分かるでしょ」というスタンスなのか,ほとんどそういう情報を載せてはくれない。これは非常に不親切だ。実際に聴き比べなんてできる人は,業界関係者でもなければいないと思う。

 レコード会社も,音質向上の努力をしているのであれば,情報は積極的に出してほしい。国内盤は比較的マシだが,輸入盤となると,お手上げなのが現状。

 となると,どうせよく分からないんだから買わない方がいいよ,という判断になってしまうのだが。

 

 

映画「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」

 三木聡監督の新作映画「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」が大コケなのだそうである。

 三木監督の映画やドラマが大好きなので,今回のも公開2日目の朝イチで見に行ったが,確かに観客は10人もいなかった。

 阿部サダヲ吉岡里帆の主演,脇役も実力派が揃っているし,見れば面白いので,なぜ大コケなのかは,ファンからするとよく分からない。ぜひ多くの人に見て笑ってほしい。

 もっとも,三木監督得意の小ネタは,今回は少ないし,三木監督のファンじゃない人からすると大して面白くもないかもしれない。この手のギャグは最近流行らないかもしれないとは思う。ちょっとズレてる感じはしないないでもない。だけど,小ネタの類いは実際に見ないと分からないので,それはコケたこととは関係ないだろう。

 

 三木監督の映画は,ゆるい脱力系のコメディで最後にホロリとさせられるものと,シュールでどぎつくやや暴力系のものとの2つのタイプに分けられると思う。

 今回の「音量を上げろタコ!」はどちらかというと後者だろう。

 より好きなのは前者の方で,亀は意外と速く泳ぐ「転々」,ドラマだと時効警察なんかがそう。この3つはあらゆる日本映画・ドラマの中でも大好きなものだ。

 

 今回の「音量を上げろタコ!」は制作にWOWOWが入っていて,番宣もしているし,主演の阿部サダヲの映画は10月に特集を組んで放送していた。

 しかし,三木監督の過去の作品は全然放送してくれない。11月のプログラムガイドを見ても,皆無である。これでは宣伝にならないではないか。

 それほど多くの本数があるわけでもないのだから,WOWOWで全作品を一挙放送するくらいはやってほしい。どの作品もブルーレイ化されてないので,ハイビジョンで放送する価値は非常に高いのだ。

 それにしても,邦画のブルーレイ化は遅れている。DVDが出ているだけでもマシという状況は何とかしてほしい。

 

 三木監督ではないが,脱力系コメディで大好きな映画に石井克人監督の茶の味がある。これもブルーレイ化されていない。映像が美しい作品なだけに,ブルーレイ化する価値は高い。ぜひお願いしたい。絶対に買うので。

 

 そういえば,三浦友和さんが好きになったのは,「茶の味」と「転々」のおかげだ。若い頃は格好付けた嫌な奴というイメージがあったのだが,この頃から二枚目なのにコメディもできる,脇役もうまくやれる大俳優になったと思った。また楽しい役柄で活躍するところを見せてほしい。

 

 

ルツェルン祝祭管弦楽団のメンバーらによる室内楽の調べ in福島市音楽堂

 今日(2018年10月14日),福島市音楽堂で開かれた「ルツェルン祝祭管弦楽団のメンバーらによる室内楽の調べ~ハーゲン弦楽四重奏団と仲間たち~」を聴いた。

 14時開演。福島市東京オリンピックのスイスのホストタウンになったということで,駐日スイス大使が冒頭に挨拶され,ロビーにはスイスを紹介するパネルが展示されていた。

 

【曲目】

1.J.S.バッハソナタ 変ホ長調BWV.1031

2.C.P.E.バッハソナタ ト短調Wq.135

(アンコール)モリコーネ:映画「ミッション」~ガブリエルのオーボエ

3.ベートーヴェン弦楽四重奏曲第16番ヘ長調Op.135

(休憩 20分)

4.ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調Op.131

(アンコール)シューベルト弦楽四重奏曲第13番イ短調D.804,Op.29-1《ロザムンデ》~第2楽章

 

 最初の2曲(アンコールを入れて3曲)は,マーラー室内管弦楽団の首席オーボエ奏者である吉井瑞穂さんとギターの鈴木大介さんのデュオ。

 1曲目は元々フルートとチェンバロ,2曲目はオーボエチェンバロの曲だが,ギターとのデュオは素敵。クラシック音楽でギターはマイナーだが,大好き。

 吉井さんは喉の調子が悪いのか,途中水を飲みながら演奏していたが,演奏は全く問題なし。

 

 後半はハーゲン弦楽四重奏団の演奏。元々,弦楽四重奏は苦手で,普段はめったに聴かないのだが,ハーゲン弦楽四重奏団が来るというのでは行かねばならない,弦楽四重奏を好きにしてくれるかも,と期待して行った。

 ヴィオラヴェロニカ・ハーゲンが腕を負傷したとのことで,急遽アイリス・ハーゲン=ユダが代役で出演。過去にも代役を務めたことがあるそうで,演奏を聴いていても特に違和感はなかった。姓に「ハーゲン」が入っているが,ハーゲン一家とどういう関係があるのかは分からない。やたらと足が長い。

 ヴィオラが代役になったことで,希望者にはチケットの払い戻しも行われたようだが,そんな人はいたのだろうか。

 これだけの世界的な出演者の割には,客の入りは6~7割程度で,ちょっと残念な感じがした。もっとも,拍手はすごかったし,「ブラボー」を叫ぶおっさんもいてやかましかったが。

 

 なぜ弦楽四重奏が苦手なのか。聴いてて面白くないからなのだが,やはり理由はある。

 まず,弦楽器だけなので音色が単調に感じられること。これはどうしようもない。作曲家はいろいろ工夫しているのだろうが。

 次に,よくオーケストラの基本は弦楽四重奏,とか言われるが,逆に言うと,音色が単調だというのとも関係するが,骨格だけでできているように感じてしまい,どうしても物足りない。

 さらに,ほかの室内楽と比べても,聴く方からすると,名技性を楽しめるように書かれた曲がまずない。これも,アンサンブルを楽しむものなので,誰かの名技を楽しむものでないから,しょうがないと言えばしょうがないのだが,やはり物足りない。

 そして,一番は,聴いていて疎外感を感じること。演奏家はそんなつもりはないのかもしれないが,人に聴かせるよりも自分たちが演奏して楽しむという感じがものすごく強い気がする。仲間じゃないと楽しめない気がするのだ。室内楽というのは基本的にそういう感じをさせるのだが,特に弦楽四重奏はその傾向が強いように思う。おそらく,弦楽四重奏団はほとんどが常設でメンバーが替わらないからだろう。どうにも,入っていけない感じがするのだ。

 

 そんなことで弦楽四重奏は苦手なのだが,もちろん,演奏は素晴らしかった。CDなどで音だけ聴くよりも,目の前でどの音を誰が弾いているのか分かるので,見ていて面白い。

 それにしても,ベートーヴェンの最晩年の曲というのは不思議だなと思った。この世の音楽という感じがしない。どこか,つかみ所がない。いわゆるベートーヴェン臭さがない。

 結局,この日の演奏会で弦楽四重奏が好きになったかというと,そこまでは行かなかった。確かに,比較的小さなホールで生で聴くのはいい。CDやテレビ放送を聴くのに比べれば,目の前で弾いているので疎外感も少ない。また聴きに行きたいと思った。特に,福島市音楽堂のように響きがとても豊かだと,骨だけみたいな感じが少なくなってよい。しかし,日常的にCDで聴くかといえば,やはり聴かないと思う。

 

 

 さて,この日はスイスの大使が挨拶に来たが,木幡浩福島市長も来ていて,冒頭に挨拶した。クラシック音楽に造詣が深いのかは知らないが,選挙のときのプロフィールにはそのようなことは書いてなかったように思う。挨拶を聴いても,特に詳しいという感じはしなかった。音楽堂のネーミングライツを売っちゃうくらいだから,クラシック音楽に思い入れはないのだろう。

 それより,挨拶を聴いてて気になったのは,話の頭にいちいち「えーーー」と言うこと。聴きづらいこと甚だしい。やめたほうがいい。

 「えー」と言うクセは,自分では分からないようなので,誰かが言ってあげないとダメだ。「市長,聴きづらいし,頭悪そうに聞こえますよ」と。

 

 

 

牛田智大ピアノ・リサイタル2018(福島市音楽堂)

 今日(2018年9月30日),福島市音楽堂でピアノスト牛田智大のリサイタルがあり,聴いてきた。いい演奏会だった。

 

牛田智大 ピアノ・リサイタル 2018

福島市音楽堂

2018年9月30日(日)

開場:14時30分

開演:15時

(プログラム)

1.リスト:超絶技巧練習曲集S.139~第1番

2.プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番変ロ短調Op.83《戦争ソナタ

3.ラフマニノフ:絵画的練習曲集Op.33~第8曲

4.ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調Op.36(改訂版)

 (休憩)

5.ショパン24の前奏曲Op.28

6.バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ

7.プーランク即興曲第15番《エディット・ピアフを讃えて》

(アンコール)

1.シューマン子供の情景Op.15~第7曲「トロイメライ

2.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調Op.27-2第1楽章~ハッピーバスデー

3.バダジェフスカ乙女の祈り

 

 当初の予定では,ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番が演奏される予定だったが,変更になった。何と変更になったのか,KFBのホームページに出ていたはずなので,演奏会終了後に見たら,既にページが消されていて,きちんと確認できなかった。そんなに慌てて消さなくてもいいのに。

 

 今日は,台風第24号が接近していることもあり,駐車場が混むだろうと思って早めに行ったのだが,14時過ぎには既に音楽堂周辺の駐車場はいっぱいで,福島競馬場北東に設けられた臨時駐車場に行くよう案内された。そちらはまだガラガラで,余裕で止められたが,音楽堂まではちょっと歩かないといけない。

 寄り道しながら,開場後の14時30分過ぎに音楽堂に着くと,外まで人があふれていて,なかなか入れなかった。人気のほどがうかがわれた。

 中に入ると,9割くらい席が埋まっていただろうか。珍しいかもしれない。

 バルコニーにテレビ局のカメラが入っていたので,主催者のKFB(福島放送)が中継でもするのか(それでカメラ1台というのはおかしいのだが)と思ったら,アナウンスがあり,NHKが取材しているとのことだった。そのうち特番があるのだろうか。

 そして,開場直前に客席から「バタッ」と大きな音がして,何かと思ったら,観客の1人が倒れたのか足を踏み外したのか,腕に怪我をしたようで,腕を押さえながら出て行った。

 そのせいかどうか分からないが,5分以上遅れて開演。

 

 CDデビューした頃は,写真で見るといかにも子供で,「12歳でCD出すんだ~」くらいにしか思っていなかったが,18歳になった今は,すらっとしたイケメンになっていた。

 最初のリストは,曲名どおりまさに「前奏曲」として始まり,終わっても立ち上がらずに(拍手させずに)そのままプロコフィエフに突入。

 福島市音楽堂の残響にとまどっているような感じがしないでもなかったが,プロコフィエフらしい轟音を轟かせた快演だった。第3楽章は,残響で曲が分からなくならないギリギリのテンポを取ったのか,ほんとはもっと飛ばせる,飛ばしたいんじゃないかという感じもした。

 プロコフィエルの後は立ち上がって拍手を受け,袖には下がらずにそのままラフマニノフの練習曲を披露。この後,一旦袖に下がる。

 休憩前の最後の曲は,ラフマニノフソナタ第2番。短い改訂版ということもあって,一気に聴かせてくれた。これも快演。

 休憩後はショパン前奏曲。24曲を切れ目なしに演奏。ダイナミックスの幅が大きい若々しい演奏で,あっという間だった。そしてそのままアタッカでシャコンヌへ。ピアニスティックな迫力ある演奏だった。

 プログラムの最後はプーランク即興曲第15番。初めて聴いたが,牛田君の名刺代わりの曲のようだ。しっとりした美しい曲。

 

 その後,マイクを持って今日のリサイタルへの思いを話してくれた。

 福島県内でのソロ・リサイタルは初めてで,今日はいわき市の祖父母やいとこが来てくれているとのこと。

 そして,聞き間違いでなければ,2016年7月26日に亡くなった,師匠である中村紘子さんの死後初めてのリサイタルだという。そして,この日のプログラムは,中村さんの生前最後に開いたリサイタル(チョ・ソンジンとのジョイント)のプログラムを,予定どおりの形で再現しようとしたものだったとのこと。

 また,いとこは今日が誕生日だとか。

 丁寧に聴衆に語りかける様子は,まさに好青年という感じだった。

 

 そのまま,マイクを置いてアンコールを3曲。

 まずは,シューマントロイメライ。涙が出そうになるほど,とっても美しい演奏だった。

 そして,ベートーヴェンの《月光》ソナタの第1楽章が始まったので,アンコールでやるには長すぎるのでは?と思っていると,途中から月光ではなく,ハッピーバースデーの曲に。短調でやるのは変かなという気もしたが,いとこヘのプレゼントだろう。会場も大いに沸いた。

 最後は《乙女の祈り》。プロが真面目に演奏するのは珍しいかもしれないが,聴衆を楽しませようという気持ちが見えたし,きっと牛田君も大好きなのだろう。

 

 一部,マナーの悪い客がいて,うるさかったりしたが,大いに盛り上がった演奏会だった。これからも応援したくなった。

 演奏会終了後のサイン会には,多くの人が並んでいた。

 ぜひ,定期的に福島で演奏会を開いてほしいと思った。

 

 

キリル・ペトレンコとベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲第7番

 ベルリン・フィル・デジタル・コンサート・ホールで,8月24日にキリル・ペトレンコが指揮した定期演奏会を見た。と言ってもまだ全部をじっくり聴いたわけではないのだが,これがまた凄まじい演奏だった。

 

 前半がリヒャルト・シュトラウスの《ドン・ファン》と《死と変容》,後半がベートーヴェン交響曲第7番というプログラムで,ペトレンコがベルリン・フィルとドイツの王道プログラムで勝負するのは初めてと言っていいと思う。

 《ドン・ファン》も,例えばラトルのアジア・ツアーでの演奏と比べてもずっとキビキビして引き込まれる演奏だったが,圧巻はもちろんベートーヴェンだった。

 部分的にノン・ヴィブラートで弾かせたように聞こえる箇所があったりしたが,基本的にはオーソドックスな解釈。でも凄まじい生命力で,最後まで一気に聴かせられた。やはり,カルロス・クライバーを思わせる演奏だと思った。

 演奏終了後も,ベルリンの聴衆があれだけ熱狂してブラボーを叫ぶのはかなり珍しいように思った。

 

 首席指揮者・音楽監督に就任するのは来シーズンからだが,ますます期待が高まると同時に,短命で終わってしまわないかという妙な不安を感じてしまう。当たらないといいのだが。

 

 

Perfumeの新譜「Future Pop」のこと

 Perfumeの7枚目のアルバム「Future Pop」が8月15日に発売された。

 全12曲だが,収録時間は42分ちょっと。ミニアルバムと言ってもいいくらい。これは,1曲目の「Start-Up」がイントロで1分弱しかないのと,ほかの曲も3分台がほとんどと短いことによる。

 元々,Perfumeのアルバムは,1時間を超えるものはなくて,今どきのアーティストにしては収録時間が短めだが,今回のは特に短い。昔のアナログ時代のアルバムのようだ。後からLPでも出そうというのだろうか。

 2年4か月待ったファンからすると,この短さはかなりがっかりだ。もっとも,凝集感は強く,一気に聴ける。

 しかしやはり,12曲(実質11曲のうち,前作からの間に発売されたシングル6曲が全部入っているので(しかも,Album Versionとされているのは1曲もない),新曲は5曲しかない。2年4か月ぶりということを考えると,これは何とも残念だ。いや,シングル自体の発売もたった3枚なので,要するに,シングルも含めてリリースされる曲がかなり少なくなっているということだ。今さら言うまでもないが。

 また今回,Let Me Knowという曲がアルバムを代表する曲という位置づけのようで,Video Clipがついている。見ると,例によってMIKIKO先生の手話ダンスで,もうワンパターンとしか言えないような振付け。見たことのあるような動きばかりでまたまたがっかり。

 

 ここ何作か,ドラマやCMとのタイアップがあるのでオリコンチャートなどではそれなりの売れ行きをみせているが,曲とダンスの魅力はだんだん落ちてきているように思えてならない。

 メンバーが30代を迎え,そろそろ中田&MIKIKOから一度離れてみる時期に来ているように思う。いつまでもこの2人に寄りかかって,というわけにもいかないのではないか。