渋谷ゆう子著「ウィーン・フィルの哲学」

1 幻のオーケストラになりつつあるウィーン・フィル

 メディアでウィーン・フィルの演奏に接することが珍しくなって久しい。

 日本では,ニューイヤーコンサートシェーンブルン宮殿での夏のコンサート以外,ほとんど目に,耳にすることはなくなってしまった。NHKザルツブルク音楽祭のいくつかのコンサートやオペラを放送することもあるが,今年はどうか分からない。定期演奏会は,全く聴けなくなった。かつては,夏とか冬とかにNHK-FMで集中的に放送してくれたし,WOWOWがテレビ放送していた時期もあった。来日公演も,かつては必ずNHKサントリーホールの公演の1つは放送していたが,それもなくなった。

 CDも出ない。ここ数年はティーレマンブルックナー交響曲全集を録音していたが,それも完結した。ウィーン・フィルが一人の指揮者と全集を作るのは初めてということで話題性があったが,今後ブルックナーの決定盤として残っていくかはまだ分からない。残念なのは,一部の曲がザルツブルクでのライヴになってしまったこと。本拠地の楽友協会大ホールで録音してほしかった。しかも,ザルツブルクでの収録になってしまったのは,4番,7番,9番という人気曲だったというのも大きなマイナスポイントだ。そして,ブルックナーの後,今後新譜が出るという話は聞こえてこない。

 今聴くことができるのは,ORF(オーストリア放送協会)のネットラジオくらいのようだ。これを書いている時点では,今年のザルツブルク音楽祭でのハーディング指揮の演奏会が聴ける(8月20日の《ツァラトゥストラはかく語りき》ほか)。音は5.1chサラウンドで,NHKのらじるらじるよりもいいようだが,接続は不安定。

 もはや,幻の地方オケと化してしまうのだろうか。そんなことを考えていたところ,「ウィーン・フィルの哲学 至高の楽団はなぜ経営母体を持たないのか」(渋谷ゆう子著 NHK出版新書)という本が出て話題になっているというので,読んでみた。

 

2 「ウィーン・フィルの哲学」

 著者の渋谷ゆう子氏は音楽プロデューサーで,ウィーン・フィルの楽団員と親交があり,団員から直接聞いた,ここ最近の状況についても興味深いことがたくさん書かれている。

 いろいろ書かれている中で,一番興味深かったのが,前楽団長アンドレアス・グロスバウアー(第一ヴァイオリン奏者。1974年生まれ。楽団長2014年9月-2017年9月)による改革とその挫折についてだった。こんなことがあったとは,全然知らなかった。レコ芸の「海外楽信」でも,一切書かれていなかったと思う(そもそも,ここ数年はウィーン・フィルの話題自体がほとんど書かれていなかったと思う)。

 グロスバウアーによる改革とは,本書によると,次のようなものだったという。

 

① 新たな視点で共演歴のない指揮者やソリストを選び,新しいファン層を獲得しようと提案

② ハリウッド映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズとの企画を成功させた

③ 楽友協会内のウィーン・フィル執務室のインテリアを一新

④ ニューイヤーコンサートのための「ザ・フィルハーモニック・スーツ」の製作

 

 ①は,ユジャ・ワンとの共演や,グスターボ・ドゥダメルニューイヤーコンサートの指揮者に招聘したことが挙げられるという。ニューイヤーコンサートは,これまでは少なくとも数年以上,数十回以上の共演歴のある指揮者から慎重に選定するのが通例で,共演歴の浅いドゥダメルの起用はまさに革新的な決定だったという。確かに,このときの演奏の出来はあまりよくなくて,ドゥダメルがすごく緊張して硬くなっているように見えた。その後のグロスバウアーの失脚ということからすると,オケが非協力的だった可能性がある。ユジャは既に十分キャリアがあったと思うので,特に問題とは思わないのだが,ウィーン・フィルからするとまだまだ自分たちと共演できるほどの奏者じゃないと思っていたようだ。

 

 ②は大成功に終わり,CDやブルーレイもよく売れたが,それほどウィーン・フィル自体はそれほど儲からなかったそうだ。元々2018年の予定が,ウィリアムズの病気で2020年に延期になったものだという。

 

 ④は,これも全然知らなかったのだが,ニューイヤーコンサートのために,お揃いのスーツを仕立てて,2017年のコンサートから使われているのだという。デザイナーにヴィヴィアン・ウエストウッドを指名し,非常に素晴らしい出来と評価されているという。確かに,言われないと分からないくらい,おかしなものではなかった。しかし,楽団員からは,ニューイヤーコンサートにしか使わない高価なスーツを仕立てることに反発も多いらしい。

 

 グロスバウアーの改革派,変革の性急さや突出した支出増などで楽団員の不満が噴出し,わずか3年で楽団長の交代を余儀なくされた(実質的に力を発揮できたのは1年半程度になるという)。これらは,端から見ると,それほど大層な改革とも思えないのだが,その後楽団長となったダニエル・フロシャウアー(現楽団長)は,超保守化した運営をしているのだという。

 

 本書では全く触れられていないのだが,グロスバウアーが楽団長だった頃の功績として,いくつかの興味深いCDが製作されたことが挙げられるのではないかと思っている。グロスバウアーが楽団長になる前から,ウィーン・フィルのレコーディングはほとんどなくなっていた。それが,グロスバウアーが楽団長の時期に,ドゥダメルとの《展覧会の絵ビシュコフとのフランツ・シュミットの交響曲ノット(ガッティの代役)とカウフマン(1人で全曲歌った)との《大地の歌,といったCDが相次いで録音されたのだ。その後録音されたネルソンスとのベートーヴェン交響曲全集も,グロスバウアーが始めたものらしい。

 CDや放送でしかウィーン・フィルを聴くことができない我々からすると,この時期,いい方向に向かうと期待したのだったが,その後パッタリと新譜がでなくなったのには,こういう経過があったのだ。

 ティーレマンとのブルックナー全集にグロスバウアーが関わっていたのかは不明だが,どうも違うような気がする。

 本書には,今後のウィーン・フィルの具体的なメディア戦略についての情報を期待したのだが,そういったことは全然書かれておらず,非常に残念だった。ない,あるいは分からないなら,そうとだけでも書いてほしかった。そのせいもあって,最後の方が尻すぼみに終わった感が強い。

 

 また,面白いと思ったのは,同僚から駄目出しされて楽団長を追われたグロスバウアーが,その後もウィーン・フィルにとどまっていること。何だかウィーン人らしいような気がする。まだ定年までしばらくあると思うので,再登板を期待してしまう。

 

 そんな超保守化したウィーン・フィルの現在だが,来シーズン(2023-2024シーズン)の定期演奏会の指揮者を見ても保守化していることがよく分かる。

 登場順に,ハーディング,ソヒエフ,ティーレマン,P.ジョルダン,ヴェルザー=メスト,メータ,K.ペトレンコ,ムーティブロムシュテット,ネルソンスという指揮者陣である。バレンボイムの名前がないのが意外な感じもするが,このところの常連で,特にクセのない(と思われる)指揮者ばかりだ。新顔はいないと思われる。

 グロスバウアーが楽団長をしていた頃は,もっと多彩な指揮者が登場していた。

 

 

 ウィーン・フィルがこれからどうなっていくのか分からないが,クラシック音楽ファンとして一番言いたいのは,もっとCDや放送で本気の演奏を聴けるようにしてほしいということだ。ニューイヤーコンサートはまだしも,野外コンサートなど,別に聴きたくもない。質が低すぎて,自分たちの価値を貶めていることに気付いていないのだろうか。ベルリン・フィルが,ヴァルトビューネでのコンサートは(映像化はしても)決してCD化しないのとは対照的だ。

 「観光地オケ」と揶揄する評論家もいたが,このままだと,本当に地方の幻のオケに堕してしまうのではないか。