小澤征爾とオルフとマーラー

 4月になると,オルフの《カルミナ・ブラーナ》が聴きたくなるのである。

 定盤は,小澤征爾さんが1988年6月25日と26日にベルリン・フィルと録音したフィリップス盤(現在は,デッカ)。晋友会合唱団が日本から参加し,ソリストエディタ・グルベローヴァ(ソプラノ),ジョン・エイラーテノール),トーマス・ハンプソン(バリトン)という超豪華盤。

 当時はもっぱら晋友会合唱団の参加が話題となったように思うが,小澤さんの指揮とベルリン・フィルの演奏が圧倒的だ。これほどのパワーに溢れた演奏は,ほかに聴いたことがない。テンポを上げて加速するところが何箇所かあるが,そういう所でのテンポ感(総じて,ほかの演奏より速い)と重量感がすごい。打楽器の活躍する曲だが,どの楽器を取っても,ほかのオケとは音の質感が違う。

 声楽陣も全く隙がなくて,特にグルベローヴァは完璧。ハンプソンはまだまだ若手の頃で,素晴らしい美声を聴かせるし,エイラーもほかの演奏にありがちな皮相な感じがなくて,この演奏にぴったりだ。

 そして,ベルリン・フィルの録音にはまだ経験の少なかったと思われるフィリップスの録音がまた素晴らしかった。ブレンデルアバドブラームスハイティンクマーラーといったシリーズが始まってはいたが,グラモフォンとはまた違う,広い空間を感じさせ,分離がいいのに気持ちよく音が溶け合い,重量感にも欠けないという,不思議な録音。とにかく抜けがいい。本当に,EMIじゃなくてよかったと思う。

 小澤さんは,この後,1989年のジルヴェスター・コンサートに出演してこの曲を取り上げており,DVDでも出ている。このライヴも素晴らしいが,やはり完成度の高さと音の良さでは,CDの方が圧倒的だ。

 

 今年は,サブスクのおかげで,これまで聴いたことのなかった,小澤さんの旧盤(ボストン交響楽団との1969年の録音)のほか数種の録音を聴いたが,やはり小澤/ベルリン・フィル盤の絶対的優位は揺るがなかった。

 

 個人的には,この頃(80年代後半から90年代初頭)が小澤さんが一番輝いていたと思っている。この後,ボストン交響楽団を辞め,サイトウ・キネンに軸足を移し,さらにウィーン国立歌劇場に行ったわけだが,(ご本人やサイトウ・キネンの関係者は絶対に認めないだろうが,聴く方からすると)覇気が失せてマンネリに堕し,かといって師匠であったカラヤンバーンスタインのような巨匠的な指揮者にもなれず(時代が悪かった,ということもあるが),体調不良もあっていつの間にか見かけなく(聴かなく)なってしまった。大変残念なことだ。

 ついでに言うと,ウィーン時代の活動が日本ではほとんど知られなかったことも大きい。この頃にウィーン・フィルと正式に録音したCDは全くないし,ウィーン国立歌劇場で上演されたオペラのCDや映像作品もほぼ皆無に近い。NHKなどのテレビで放送されることもほとんどなかった。一体なぜなのだろう。

 ウィーン・フィルについて言うと,ニューイヤー・コンサート以外のCDがほとんど出ない時期に重なるので,小澤さんの問題ではなかったのかもしれないが。CDが出ないだけでなく,HIPの一般化もあって存在意義が問われていた時期でもある。

 

 個人的な小澤さんのベスト3は,この《カルミナ・ブラーナ》と,1986年にボストン交響楽団と録音したプロコフィエフの《ロメオとジュリエット》と,1987年にボストン交響楽団と録音したマーラー交響曲第4番である。どれも,繊細でありながら覇気に溢れた素晴らしい演奏・録音だ。

 

 

 

 マーラーについては,4番はベスト盤として挙げたが,ほかの曲については実はかなり微妙だ。正直,小澤さんとマーラーは合わないのではないかと思っている。

 これもサブスクのおかげで,これまで聴けなかったマーラーの録音を少し聴いてみたのだが,やはりその思いを強くした。

 小澤さんのマーラー交響曲録音は,録音順に並べると次のようになる。

 

① 第1番《巨人》 ボストン交響楽団(1977年10月 グラモフォン)

② 第8番《千人の交響曲》 ボストン交響楽団(1980年10,11月 フィリップス)

③ 第2番《復活》 ボストン交響楽団(1986年12月 フィリップス)

④ 第1番《巨人》 ボストン交響楽団(1987年10月 フィリップス)

⑤ 第4番 ボストン交響楽団(1987年11月 フィリップス)

⑥ 第7番《夜の歌》 ボストン交響楽団(1989年3月 フィリップス)

⑦ 第9番 ボストン交響楽団(1989年10月ライヴ フィリップス)

⑧ 第10番~アダージョ ボストン交響楽団(1990年4月ライヴ フィリップス)

⑨ 第5番 ボストン交響楽団(1990年10月ライヴ フィリップス)

⑩ 第6番《悲劇的》 ボストン交響楽団(1992年1,2月ライヴ フィリップス)

⑪ 第3番 ボストン交響楽団(1993年4月ライヴ フィリップス)

⑫ 第2番《復活》 サイトウ・キネン・オーケストラ(2000年1月ライヴ ソニー

⑬ 第9番 サイトウ・キネン・オーケストラ(2001年1月ライヴ ソニー

⑭ 第1番《巨人》 サイトウ・キネン・オーケストラ(2008年9月ライヴ デッカ)

 

 これを見て分かるのは,1989年の第9番以降,ライヴ録音になったことである。ここが1つの分かれ目になっていると思う。ボストン交響楽団とのものは,第10番を除いて拍手入りのライヴ録音となっている。つまり,グラモフォンなどでよくやっていた,ゲネプロや修正パッチも含めた,本当にライヴ録音かよく分からないライヴ録音ではなくて,無修正に近いと考えられるのだ。単に拍手が入っているだけでなく,会場ノイズも結構入っているし,何よりミスや傷がそのままにされていることからも,それは分かる。はっきり言ってしまうと,小澤さんの頃のボストン交響楽団は,ほかのアメリカのオケ(シカゴ,ニューヨーク,フィラデルフィアクリーヴランド,ロス・アンジェルス,サンフランシスコなど)と比べると,かなり劣っていた。特に金管の非力ぶりは際立っていた。ほぼ無修正のライヴで,マーラーをCDとして出すには,そもそもかなり無理があったと言わざるを得ない。

 ちょうど,レコード会社の経営が厳しくなってきて,安易なライヴ録音が増える時期にかかってしまったのは,何とも不幸なことだった。当時,フィリップスでは,ハイティンクベルリン・フィルマーラー交響曲を録音しており,こちらは(演奏会に絡めてだが)全てスタジオ録音だった。小澤さんも,頑張って掛け合えばスタジオ録音で続けられたのでは,と思うのだが,無理だったのだろうか。

 ということで,小澤さんのマーラーシリーズは,スタジオ録音とライヴ録音で大きな差が出てしまう,非常に残念なものとなってしまった。

 もっとも,ハイティンクの方はその後8番と9番(《大地の歌》も)を残して頓挫し,フィリップス自体が消滅してしまうことになるのだが。それに比べれば,全集として完成できただけでも良しとすべきか,不完全なものを残す方が残念だと考えるかは,難しい問題だ。

 

 いずれにせよ,小澤さんのマーラーはかなり独特で個性的なもので,ボストン交響楽団の個性(?)も相まって,繊細極まりない演奏となっているのが特徴と言っていいと思う。

 ただし,それがマッチしているのは第4番くらいで,あとは聴かずもがな,と言いたくなる演奏だった。もちろん,小澤さんのマーラーが多くの人から評価されている(た)のは分かっているが,自分にとっては,そういうことだ。

 

 

 その小澤さんだが,かなり体調が悪いらしい。

 今年のセイジ・オザワ松本フェスティバルでも,小澤さんの登場は告知されていない。そもそも,指揮台に立ったのはいつ以来になるのだろう。

 なおさら,ウィーン時代の録音・映像が残されていないことが残念でならない。これから商品化できるようなものは残っていないのだろうか。

 この3月には,女性誌に家庭内不和についての記事も掲載された。本当かどうかは分からないが,残念でならない。もう指揮はできないのだろうか。

 

 音楽家演奏家)の最後について,つい考えてしまう。

 頭がはっきりしているのに,体が言うことをきかず,演奏できないというのは,何とも辛いことだろう。

 カラヤンのように,全く突然逝ってしまう方が,本人にとっては幸せだろうか。さらには,シノーポリのように演奏中に逝ってしまうのはもっと本望か。

 長生きして,やり切ったと引退表明してその後穏やかな日々を過ごした後亡くなったハイティンクのような人生が,一番幸せだろうか。