ライヴ録音の拍手

 ユジャ・ワン久々のソロ・アルバム「ベルリン・リサイタル」が11月28日に発売された(グラモフォン UCCG-1818)。

 ベルリン・リサイタルの名前のとおり,ベルリンのフィルハーモニー室内楽ホールでのライヴ録音で,2018年6月に収録されたもの。曲は,ラフマニノフスクリャービンリゲティプロコフィエフと,得意とする作曲家の曲を集めていて,演奏はもちろん圧倒的。

 この手のライヴ録音なので,1曲ごとに拍手が入るのかと思ったら,拍手なしで,しかも会場ノイズはほとんどなし。言われなければライヴとは分からないくらい。このまま拍手なしで終わるのだと思ったら,最後のプロコフィエフの第8ソナタの後にだけ,突然,取って付けたように拍手が。

 はっきり言って,こういうのは非常に気持ち悪い。

 最後の曲だけ拍手をカットしないという神経が分からない。

 ほかの曲はカットしているのだから,カットできなかったというわけではないだろう。

 無神経だと思う。

 CDになる以上,できる限り拍手はカットしてほしい派なので,ほんと嫌なのである。

 最後に騙された感じがする。

 

 ドイツ・グラモフォンはときどきこういうことをやるようで,以前も似たようなおかしなことをやったCDがあった。

 10年以上前の録音だが,ポリーニウィーン・フィルを弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲で,17番と21番を入れた2005年録音の(UCCG-50065)と,12番と24番を入れた2007年の録音(UCCG-6220)。

 どちらも,1曲目は拍手なしで,2曲目の終わりにだけ拍手が入っている。

 不自然で,全く意味が分からない。

 大事なものを傷物にされた感じがして,聴く気も失せてしまう。

 

 そもそも,ライヴ録音といいながら,まるでスタジオ録音のような,いわば「ライヴもどき」のものをつくり出したのは,ドイツ・グラモフォンではないかと思う。

 おそらく,バーンスタインベートーヴェン交響曲全集あたりからだろう。

 しばらくは,バーンスタインの録音(ブラームス交響曲全集とか)くらいだったが,80年代後半くらいからはかなり一般化してきて,アバドベートーヴェン交響曲全集なども同様の手法で録音されていた。

 もっとも,アバドの頃はまだ珍しい感じがあったようで,当時のレコード芸術でも,ライヴなのに拍手もノイズもほとんどない,と月評であえて書かれていたように思う。そして,スタジオ録音のようなクオリティとライヴ勢いが同居する録音として評価されていたはずだ。

 

 その後,他のレコード会社でも,ゲネプロを含めて録音し,演奏会後に一部取り直しもする,ライヴもどきの録音が増えてきた。レコード会社がお金をかけられなくなったことによるものだと思う。

 それでも,スタンスは各社様々で,例えばデッカのショルティのものなどは,最後に拍手を入れることが多かった。

 その後は,CDをつくるのを前提にした場合は拍手なし,一発ものは拍手あり,というのが多くなってきたように思う。

 それでも,今回のユジャ・ワンのCDのように,奇妙なものも時々出てくる。

 ドイツ・グラモフォンとして,その辺のスタンスは一貫していないようだ。

 

 

 個々のCDで考えると,ライヴ録音で拍手を入れる,入れないは様々で,ポリシーをもって制作してくれていれば,それはそれでいいのだろうが,非常に困るのは,全集ものの場合である。

 

 まず,ライモン・ラトル指揮のマーラー交響曲を見てみたい。

 1986年の第2番から始まった録音は,当時首席指揮者をしていたバーミンガム交響楽団とのもので,決して一流オーケストラとは言えない手兵とともに,おそらくじっくり時間をかけて丁寧につくったのだと思わせる,非常に精緻でありながら若々しい勢いのある優れた演奏だった。

 それが,途中,第7番だけ,突然拍手入りのライヴ録音になる。

 拍手が入るのも興ざめだったが,はっきり言って一流とはいえないバーミンガム交響楽団の演奏は,ほかの曲と比べてもかなり荒くて残念な演奏になってしまっていたと思う。

 その後は再びスタジオ録音に戻るが,第9番はウィーン・フィルとのライヴ録音(拍手なし)になり,そしてラトルがベルリン・フィルに行ってしまったせいで事実上中断してしまう。

 そして,ベルリン・フィルと第10番(クック版)と第5番をライヴ録音(拍手なし)し,最後はバーミンガムに戻って第8番をライヴ録音(拍手なし)して完結した。

 その後,第2番と第9番をベルリン・フィルと再録音(拍手なしのライヴ)しているし,もっと前にはボーンマス交響楽団と第10番(クック版)を録音,さらに,つい最近にはバイエルン放送交響楽団大地の歌を録音しているが,これらは全集とは別に考えるべきだろう。

 つまり,第7番だけが拍手ありのライヴで,しかも演奏的にも問題あり,ということになっている。もっと言うと,第5番と第9番もイマイチで,ぜひバーミンガムでスタジオ録音してほしかった。

 何というか,宝箱の中に,1つだけ傷物が混じった感じで,非常に気持ち悪いのだ。

 

 アバドマーラーも似たような結果になっているが,こっちはもっと複雑だ。

 

 ラトルとはまた違うが,インバルと東京都交響楽団によるマーラー交響曲全集(2回目のもの。と単純には言えないのが難しいのだが)もそう。

 第5番だけ,最後に拍手が入っているのだ。

 チクルスで番号順に演奏され,エクストンがSACDで順次発売した全集だが,なぜか第5番だけ最後に拍手が入っているのである。解説書にもその辺の事情は何も書かれていない。確かに,この演奏は非常に優れた演奏で,最後も熱狂的なので,拍手をカットしたくない気持ちも分からないではない。しかし,それはほかの曲も同じ。静かに終わる曲以外は拍手をカットすべきでなかっただろう。

 こういう統一感のなさは,非常に気持ち悪く,やはり,一つだけ傷物が混じってしまったような感じがしてしまう。やめてほしかった。

 

 

 最近はスタジオ録音も復活しつつあるように思うが,やはり今は器楽曲・室内楽曲・歌曲など小編成のものを除くと,ライヴ録音が主流である。レコード会社には,拍手を残すのかカットするのか,しっかりしたポリシーをもって制作してほしい。

 CDの聴き手としては,歴史的演奏会と言えるようなものでない限り,極力拍手はカットしてほしい。