レコード芸術の思い出(1)

 初めて買った「レコード芸術」を読み返している。

 

 初めて買ったのは1988年5月号。

 ぱっと見てすぐ分かるのは本の厚さの違い。分厚い。記事も多いが,広告の量が全然違う。例えばグラモフォンだけで8ページあった。今のユニバーサル系のレーベルだと,デッカ(当時はロンドン)は6ページ,フィリップス(オルフェオ,テラークを含む)は7ページあった。今はユニバーサル全体で2ページしかない。ほかのレーベルも同様。

 レコード会社だけでなく,地方のレコード店の広告もたくさん載っていた。今はほぼ無くなってしまった。

 これらの広告料がこの雑誌をかなり支えていたことが分かる。

 

 今回は記事一つ一つは取り上げないが,読者層の移り変わりが分かるものを挙げる。

 読者投書箱の4人の投稿者のうち,1人目は20歳の学生,2人目は22歳の学生,3人目は24歳のアルバイト,4人目は57歳の会社役員だった。何と1人目の20歳の学生は,今はレコ芸のメインライターの1人と言ってもいい増田良介氏だった。「ショスタコーヴィチの「賭博師」」と題して投稿されていた。

 今はなき「レコード相談室」のコーナーも,10人の質問者のうち最年少は14歳で,17歳が3人もいた。

 今では考えられないことだ。

 

 内容も分厚かった。

 一つ一つの記事が充実していて,今読んでも十分読み応えがある。その一方で,「名曲への旅」のように初心者でも楽しんで読める(クラシック音楽の世界に入っていける)連載も充実していた。海外の最新事情についての記事も多く,オーケストラやその指揮者の動向や見通しなど,今何が起きているのかがよく分かった。それに対して,最近はメジャーなオーケストラや歌劇場の常任指揮者や音楽監督が誰なのかもよく分からない状況になってしまっている。

 懐かしかったのは,音盤の紹介ではこの頃はまだCD化されていない名盤がたくさんあって,LPの番号が書かれていたり,廃盤マークの付いたものが多かったこと。カラヤンなどはまだ新譜がどんどん出ていたので,旧録音のCD化は遅れていたのだ。早くCD化されないものかと,首を長くして待っていたことを思い出す。

 

 こうしたことの変化が積み重なって,休刊につながっていったのだろう。

 

 この頃は,毎号ワクワクしながら読んでいた。本の厚さは気にならなかった。だが,いつからか,1冊読み通すのがしんどいなと感じることが多くなっていた…。