オーケストラ・ランキング2017

 レコード芸術2017年3月号の特集は,「オーケストラ・ランキング2017」。「またか」と思ったら,2008年以来9年ぶりになるという。そう言われれば,2008年からは随分様子は変わっている。

 30人の評論家がそれぞれ1位から10位までランク付けし,点数化する。その結果は,

 1位 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 2位 バイエルン放送交響楽団

 3位 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 4位 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 5位 ドレスデン国立管弦楽団(シュターツカペレ)

 6位 パリ管弦楽団

 7位 シカゴ交響楽団

 8位 ロンドン交響楽団

 9位 マーラー室内管弦楽団

 10位 ドイツ・カンマーフィルハーモニーブレーメン

 以下略

となっている。

 

 1位のベルリン・フィルは文句なしと思う。30人中14人が1位にランク付けし,ランキングに入れていないのは2人だけ。

 2位と3位はやや以外。4位のウィーン・フィルは,これまでは1位か2位が定位置だったが,このところの凋落ぶりからするとこれでも高い順位になってると思う。1位に入れた人が6人もいる。

 あとはどこがどう入ってもそんなに変わりはないと思うが,かつて5位以内が定位置だったシカゴ交響楽団は7位に落ちた。

 今時だなと思うのは9位と10位。9位のマーラー室内管はまだわかるが,10位のドイツ・カンマー・フィルはどうかと思う。

 

【1位 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ここだけは納得。どのオーケストラもレベルが上がったと言われるが,ベルリン・フィルほどの凄味が出せるオケはほかにはない。何だかんだ言って,凄い。

 レコーディング,映像配信,演奏会(旅行)などの活動ぶりをみても,ほかの一歩も二歩も先を行ってると思う。

 音は,カラヤン時代からは随分変わっているが,変わってないところもある。変わってないのはオーケストラとしての一体感のようなものか。それが凄味につながってると思う。

 日本人奏者が主要ポストをはじめ何人かいるのも魅力。コンサートマスターの樫本さんはすっかりオーケストラの顔になった。安永さんと違い(失礼!)イケメンなので,すごく見栄えもする。ぜひ長く続けてほしい。ヴィオラ首席の清水さんも美人なので見栄えは十分。

 ラトルの退任と後任の首席指揮者が既に決まっているが,キリル・ペトレンコは非常に期待できる。これまで接する機会は非常に少ないが,デジタル・コンサート・ホールでの演奏はどれも驚くほど素晴らしいものだった。特に変わった解釈などを聴かせる訳ではないのだが,とにかく凄い。本物感が半端でない。往年の指揮者と比べると,一番はカルロス・クライバーに似てる気がする。あるいは,若い頃のカラヤンがこんな感じだったのかなとも思う。就任まで間があるのが気になると言えば気になる。シャイで気難しいという噂もあるので,就任前に逃げ出さないことを祈る。

 

【2位 バイエルン放送交響楽団

 3位のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とともにヤンソンスがシェフを務めていたこともあって,最近はほとんどノーマークだった。元々レベルの高いオーケストラとは言われていたが,2位に入るほどのオケとは思っていなかった。評論家の6人が1位に入れている。

 はっきり言って,ヤンソンスは何がいいのか全くわからないので,最近のこの2つのオケはほとんど(録音でだが)聴いていなかった。これからいろいろ聴いてみたいと思う。

(追記)

 ヤンソンスとのマーラー交響曲第9番(2016年録音。BR KLASSIK)とハイティンクとのマーラー交響曲第3番(2016年録音。BR KLASSIK)を聴いた。

 どちらを聴いても,大したオーケストラとは思えなかった。2人とも「ぬるい」指揮者だが,それにしても,凄味は全くなく,音色的な特徴もなく,金管は雑で,やたらあっさりしており,名前を伏せて聴かされたらどこのオーケストラか全然分からないだろう。

 そういえば,2012年にヤンソンスと来日してサントリーホールベートーヴェン交響曲全曲を演奏し,NHKが放送したのだが,そのときにゲストでベルリン・フィルティンパニストのライナー・ゼーガースが参加していた。その際のインタビュー記事を読んだのだが,確か,このオケに比べるとベルリン・フィルは音を長くとる傾向があるといったことを言っていた。ヤンソンスの解釈というだけでなく,オケ自体にそういう傾向があるということなのだろう。なので,とてもあっさりに聴こえるのだろう。音を短めに取るだけでなく,金管などは音を早く減衰させる傾向もあると思う。これだとやはりマーラーなどでは物足りないだけになってしまう。

 もっとも,その時のベートーヴェンの演奏は,ただ楽譜を音にしましたという感じで,ヤンソンスの何の主張も感じられないぬるい指揮と相まって全然面白くない演奏だった(評論家には絶賛されていたようだが)。

 ということで,2位という順位には全く賛同できないし,よほど好きな指揮者が振った場合でもない限りは積極的に聴こうとは思わない。

 

 【3位 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 最近はRCOレーベルなどいろいろ頑張ってるのは分かるが,昔からどうも今ひとつよく分からないオーケストラだった。評論家で1位に入れた人が1人もいないというのが特徴的。そう,1位にはなれないオーケストラなのだ。

 シャイーの時代に音ががらっと変わり,カラフルで随分上手いオケになったとは思っていたが,ヤンソンス時代はほんとによく分からない。

 ヤンソンスは,オスロ・フィル時代はよかったが,病気をした後はほんとに何がいいのか全然分からないのだ。最近ベルリン・フィルに客演してやったショスタコーヴィチの10番なんて,縦の線がズレまくったり,ベルリン・フィルをこんなに下手くそにできる指揮者はめったにいないと思わせるできだったし。聴いていられなくて途中で止めたくらい。評論家受けは非常にいいようだが,ほんとに何がいいのだ?

 そんな指揮者が率いていたのでしばらくご無沙汰していたが,ガッティに変わったのでどうなるか。いろいろ言われているが,オケとしてはハイティンクの頃に戻るのではなく,シャイー路線で行くということなのか。ガッティはそれほど期待はできないと思っているが,予想は外れてほしいものだ。

 

 【4位 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 かつてはベルリン・フィルと1位,2位を争うのが常だったが,このところの凋落ぶりは目に余る。悲しい。クラシック音楽を聴き始めた頃,オーケストラと言えばウィーン・フィルだったのだ。文句なしに一番好きなオーケストラだった。

 この凋落の期間,長くコンサートマスターを務めたライナー・キュッヒルが退任したので,いい方向に向かうだろうか。カラヤンが死に,バーンスタインが死に,ヘッツェルが死に,アバドレヴァインを追い出し,キュッヒルの天下となり,そしてキュッヒルがこれでもかというほどの悪口を浴びせていたショルティが死に,いつの間にかウィーン・フィルはどうでもよいオーケストラになっていた。

 世間ではキュッヒルといえばウィーン・フィルの顔で,絶大な信頼を得ていたと思う。しかし,いつもあのブスっとした顔で弾いている様子を見ると,聴いていてとても楽しい気分にはなれない。今年のニューイヤー・コンサートの中継の中で,演奏中の表情についてコメントしていたと思うが,聴く方も一緒に演奏する仲間も,楽しくないのではないか。それで大コンサートマスターと言えるだろうか。先日,あるコンサートで,指揮者もオケもノリノリで実に楽しそうに演奏しており,聞いているこちらにもその気分が移ってしまうという素晴らしい体験をしたが,キュッヒルコンマスをやってる演奏会でこのような体験ができるとは思えない。

 キュッヒルというと,演奏中の様子のほか,友人である中野雄氏の本(『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』文春文庫,『指揮者の役割』新潮選書)の中で,読んでいて気分が悪くなるほど何人かの有名指揮者を罵倒していたのがとても印象に残っている。特にショルティに対しては酷い。しかし,ショルティとの演奏会や録音は素晴らしいものばかりだった。最近は《指環》を除いて忘れられた指揮者になりつつあるが。オーケストラからは嫌われていたのかもしれないが,ああいう指揮者とも一緒に仕事をしていたからこそ演奏レベルが保たれていたのではないか。自分たちに都合のいい指揮者ばかり呼ぶから,今のようになったのではないかと思う。

 そんなキュッヒルだが,それでも演奏が素晴らしいならいいが,はっきり言って全然上手いとは思わない。ここでも一つのエピソードを思い出す。1993年にカルロス・クライバーがライヴ録音したR.シュトラウスの《英雄の生涯》がお蔵入りになってしまった。NHK FMで放送され,以前は海賊版でも手に入った伝説的演奏だ。ソニーが録音していて,CDになるはずだった。お蔵入りになった理由は,ソロを弾いていたキュッヒルが自分の演奏を気に入らず,それでごたごたが起き,結局クライバーがリリースの許可を撤回したためだという。これが本当なら,キュッヒルの罪は余りにも重いと思う。この経過は,ややこしくて分かりづらいのだが,『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下』(アレクサンダー・ヴェルナー著,喜多尾道冬・広瀬大介訳 音楽之友社)320ページ以下に記載がある。

 そんなウィーン・フィルのCDは,ここ数年はニューイヤーとシェーンブルン宮殿でのライブだけという状況だった。シェーンブルンのライブなんて,CDでも映像付きでも,とても鑑賞に耐えるレベルではない。ただのつまらないお祭り。しかし,ここにきていくらか新譜が出るようになり,ドゥダメルとの《展覧会の絵》のようにライヴでないものも出るようになってきた。ネルソンスとのベートーヴェン交響曲全集の話もある。だが,なぜよりによってネルソンスなのか?ネルソンスのベートーヴェンなんて聴きたい人がいるのか?あの呆けたような表情,ヤンソンスのまねにしか見えない指揮姿,器用なんだとは思うが,さっぱりいいとは思わない若手の筆頭・・・。

 それでも今後のウィーン・フィルには期待したい。頑張ってほしい。

 

(追記)

 このところ,マーラー交響曲第3番ばかり聴いていて,ウィーン・フィルではブーレーズ盤(グラモフォン UCCG-90453~4)とアバド盤(グラモフォン UCCG-4474~5)を聴いた。

 後からアバド盤を聴いた(久しぶりに)が,ブーレーズ盤とは同じオーケストラとは思えないほど素晴らしかった。1980年の録音で,コンマスはヘッツェル。どこからも得も言われぬ香りが立ち上り,うっとりさせられる。弦も管も,音の一つ一つに表情を付けていて,ただ音を出しているのでないのがよく分かる。特に高音が何とも美しく,女性的と言いたくなる大人のだが,エッジが立っているので弱々しくはない。弦と管の絡みもうまくて,歌劇場のオーケストラだなと思わせる。それと,楽器間の音の受け渡しがスムーズで,「自分のパートは吹いた.後は勝手にどうぞ」ではなく,きちんと引継ぎがされているのがよく分かる。まさに一緒に音楽をしている感じがする。この点,バイエルン放送交響楽団(特に金管)とは全く違う。こういうのは指揮者の腕よりもやはりオーケストラの実力なのだと思う。

 しかし,ブーレーズ盤(2001年録音)では,以上のような特徴はほとんどなくなり,ほかの「普通の」オーケストラと変わりのないものになっていた。楽器や奏法に違いはあるのかもしれないが,それだけ。これだけ聴けば立派な演奏なのだが,指揮者でなくオケに注意して聴くと,かなり分が悪い。

 

(追記2)

 レヴァインとのことについて。

 中野雄氏の『指揮者の役割』70ページ以降に記載がある。

 すなわち,「1990年代の初め頃だったと思うが」「ウィーン・フィルの臨時公演を,改築直前の旧コンツェルトハウスで聴いた」「ジェームズ・レヴァインの指揮。ソリストにはアルフレート・ブレンデル」で「曲目がモーツァルトの《ハ短調・ピアノ協奏曲》とストラヴィンスキーバレエ音楽春の祭典》であった。」「結果は香しくなかった。『甚だ』と形容したいような出来で」「《春の祭典》はやはり『シカゴ響かクリーヴランド管で聴いた方が面白いかも』と思い通しのうちに終わってしまった。」「何日かのち,オーケストラ首脳部との会食の席で」「『申し訳ないけれど,この間のコンサートは感心しませんでした』と正直に感想を述べたら,間髪を入れずにその人は,『ご安心ください。もう招(よ)ばないことに決めましたから』と,私の眼を真っ直ぐに見詰めながら答えた。」とのこと。

 ということで,中野氏の本を読むと,この演奏会がきっかけで,その後レヴァインとは共演しなくなったかのように思える。確かに,1990年代半ば以降,共演していないように思っていた。

 しかし,中野氏の記述には記憶違いがあるようだ。

 まず,件の演奏会は,1990年代の初め頃ではなく,1989年6月12日のウィーン芸術週間でのもので,最初にモーツァルト交響曲第23番も演奏されている。

 そして,NHK FMエアチェックしたものを聴いた方の感想によると,いい演奏だったらしい。少なくとも,空中分解するような演奏ではなかったのだろう。

http://otsusan.cocolog-nifty.com/genki/2007/10/vpo_5a94.html

 しかも,レヴァインウィーン・フィルは,翌年のザルツブルク音楽祭(8月11日)でも《春の祭典》を演奏している。前半はブラームス交響曲第2番。こちらはNHK FMからエアチェックしたものがあったので聴いてみた。はっきり言ってイマイチ。第1部は,ウィーン・フィルの演奏技術を考慮してか,遅めのテンポで進むのだが,金管がメタメタ。第2部は前半がゆったり怪しげな雰囲気なのでウィーン・フィルにもマッチ。後半になると,だいぶ乗ってきた感じで,打楽器が盛大に炸裂してなかなかの演奏になってきたが,最後の方ではかなり危うい場面も。

 いずれにせよ,1989年の演奏会で愛想をつかしたのに,翌年にまた同じ曲で共演するというのは考えにくい。レコード会社との契約があったわけでもなさそうだ(ブラームスは1995年10月にムジークフェラインでライヴ録音しており,《春の祭典》は1992年にメトロポリタン管弦楽団と録音している)。

 そして,レヴァインとは,この後1995年までは共演していたことが確認できた。確認できた中で最後の演奏会は,東京での11月9日のもの。このときの日本ツアーでは,11月3日の京都での演奏会がNHKのBSでも放送されていた。

 ということで,中野氏の記述は時期的なものは怪しい。しかし,レヴァインと共演しなくなったのは確かなので,ウィーン・フィルの首脳部がああいった発言をしたことはおそらく本当なのだろう。

 で,何が言いたいかというと,レヴァインアバドショルティらと共演しなくなった辺りから,変わってきたのではないかということだ。そして,私見では,この3人との演奏は,1990年代半ばまでの共演者の中では,やはり抜群によかったと思う。

 それに対して,ず~っと共演しているメータとは,延々とだらしない演奏を垂れ流しているのだが,なぜ彼はそんなにオケから好かれるのだろう?

 

(追記3)

 アバドについては,やはり中野雄氏の『指揮者の役割』14ページに記述がある。

 「彼がウィーン国立歌劇場の音楽監督を辞任し,カラヤンの後継者としてベルリン・フィルの音楽監督兼常任指揮者に就任してからしばらく経った頃のことである。私はウィーン・フィルに4人いたコンサート・マスターのうちのひとりに,『そういえば最近,アバドさんがウィーン・フィルの定期公演に登場しませんね』と尋ねた。すると,軽い話題として何気なく訊いただけであったのに,その人は私にキッと目を向けて,『

ええ,あの方はベルリン・フィルの音楽監督になられてから偉くなってしまって,勉強しなくなりました。ですから,うちのオーケストラの定期公演にはお招(よ)びしないことにしたんです』と言い放った。厳しいものである。」と。

 アバドウィーン・フィルを指揮したのは,1997年11月10日である。ムジークフェラインでの楽友協会コンサートで,曲は,シューベルト交響曲第5番ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》から前奏曲と愛の死,R.シュトラウスの《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》であった。

 確かに,この頃は,ベルリン・フィルともうまくいかず,苦しい時期だったように思う。頭でっかちで,覇気のない演奏が続いていたように思う。いろんな凝った企画をぶち上げるが,音楽がついてきていなかった。ピリオド奏法の勉強もかなりしていた時期だと思う。アバドベルリン・フィルの演奏が変わったのは,胃がんの手術をする直前,1999年頃。その頃から,何か,一皮剥けて,独特の不思議な音色・音質のする演奏をするようになった。

 なので,誰かは知らないが(想像はつくが),コンサート・マスターの「あの方は…勉強しなくなりました」という言葉はそのままは信じがたい。ウィーン流の皮肉ではないのかと思う。すなわち,本当は,「勉強ばかりして音楽がつまらなくなった」と言いたかったのではないか。もし本当に言葉通りの発言だとしたら,「勉強しないのはあなたたちでは?」と嫌みを言いたくなる。

 今となっては,ベルリン・フィルルツェルン祝祭管のイメージが強いアバドだが,一番相性が良くていい演奏をしていたのはウィーン・フィルとだったと思っている。なので,復帰を期待していたのだが,それがかなわないまま亡くなってしまった。ウィーン・フィルとの業績が無視されてしまっている(ように思える)状況は,何とも残念だ。

 

【5位 ドレスデン国立管弦楽団(シュターツカペレ)】

 ティーレマンはちっともいいと思わないので,違う指揮者でもっと聴いてみたい。

 ブロムシュテットの頃のいわゆるざっくりした弦の音はやはり素敵だと思う。

 

【6位 パリ管弦楽団

 昔からどうもよく分からないオーケストラ。

 

【7位 シカゴ交響楽団

 ムーティになってもっとCDが出るかと思ったら,そうでもなかったので,今の様子はあまりよく分からない。でも,Youtubeに出ていた第九は案外よかった。

 やはりショルティの頃は凄かった。管楽器が注目されがちだが,弦も超強力だった。ただし,アメリカ風のティンパニの音だけは苦手。

 バレンボイムが引き継いで凋落していったわけだが,シカゴでは非常に好かれていたと聞く。パリ管もそうだったが,なぜかショルティからバレンボイムが引き継ぐというパターンがあった。そういえば,マゼールからヤンソンスというのもあった(ピッツバーグ交響楽団バイエルン放送交響楽団)。どちらの場合も,前任者と後任者で音楽性が全然違うのが面白いが,どちらもオケのレベルは落ちてしまった。

 

【8位 ロンドン交響楽団

 ラトルが首席指揮者になるようだが,誰がなってもあまり変わらないように思う。

 

【9位 マーラー室内管弦楽団

【10位 ドイツ・カンマーフィルハーモニーブレーメン

 こういうところを入れておかないと,という時代の流れなんでしょうな。

 

【番外編】

 以上10位までの中で,1位に入れた人がいるのは,コンセルトヘボウを除く5位までだった。しかし,下位のオーケストラで,1人だけが1位を入れたのが2つあった。どちらも,その票だけ(つまり,合計10点)というのが面白い。

 それは,矢澤孝樹氏が1位にしたウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(WCM)と,平林直哉氏が1位にしたチャイコフスキー交響楽団である。どちらも,ほかに票を入れた人はいない。

 WCMは,ほかの何人が票を入れない理由を書いているが,要は,アーノンクールが死んだ後どうなるか分からない(解散するかもしれない)からということと,そもそも,こういう特定の指揮者とのつながりでできあがってきているピリオド・オーケストラへの疑問からである。それなのにあえて1位に入れてきた矢澤氏は,確信犯だと思うのだが,本企画の趣旨からはやはり外れているんだと思う。矢澤氏は,2016年10月の特集「人生の50枚 私のリピート・ディスク・リスト」でも,一人,クラシック以外の音楽を多数入れ,その理由についてぐだぐだ屁理屈を書いていた。はっきり言って,企画の趣旨に賛成できないなら,断るべきだ。好きなことを勝手に書きたいならブログにでも書けばいい。吉田秀和先生のお気に入りだったからといって,いい気になっているのではないか。既にこの世界で飯を食ってる人間ではないというところにも原因はあると思う。それはそれで面白いことが書けるバックグラウンドになってるのだろうが,編集部も甘やかしすぎだ。残念ながら,矢澤氏の文章は既にかなりマンネリになりつつある。刺激的なことを書かないとというプレッシャーがあるのだろうか。その結果がこのとおりだ。

 平林氏は,奇をてらったつもりなのだろうが,完全に滑ったと思う。確かに,1974年から40年以上もフェドセーエフとやっているというのはすごい。オーマンディフィラデルフィア管弦楽団の記録を抜いたと思う。しかし,世界で一番のオーケストラかと言って,賛成する人はいないだろう。実際,ほかに1点でも票を入れた人はいない。