何のためにメモを取るのか

 加計学園の問題は相変わらず訳が分からないが,なので,特に気になる,おかしいと思うことに絞って「メモ」しておく。

 

 文部科学省から出てきた,萩生田光一官房副長官の発言を書いたという文書について,文書は存在したが,書いた方も記憶が曖昧で,真実かどうか分からないということになっているらしい。

 当たり前である。

 記憶はだんだん曖昧になるから,メモを取るのだ。

 曖昧な記憶と,当時書いたメモのどちらが信憑性が高いかと言えば,メモの方に決まっている。

 いくら頭のいい国家公務員だった,日々いろんな仕事をしている中で,いちいち全てを覚えてはいられないだろう。

 特に頭がいい(と世間から思われているような)人だって,国会に呼ばれたり裁判所に呼ばれたりすると,平気で「記憶にありません」と言うくらいなのだから,文科省の課長補佐(おそらくノンキャリ。ということで,バカにしている輩がいるんだと思うが)が全部覚えてる方がおかしい。

 だからメモを取るのだ。

 それを,記憶が曖昧だと正直に話したことをの揚げ足を取って喜んでいる奴らは,バカだ。

 

 メモを取るのは,記憶が日々薄れゆくためと,周囲と情報共有するためだろう。

 国の人たちと一緒に仕事をしたことがあるが,彼等はメールで情報共有するのが大好きである。

 いちいち,メモを印刷して上の人まで回覧してはんこを押してもらったりすることは,ほとんどないように思った。そのかわり,かなり偉い人にも平気でメールを送っていたようだった。

 今回の問題で,政権寄りの人たちが,出てきた文書の形式がどうだとか,内容が曖昧だったり雑だったりして,本物か疑いがあるというようなことを言っていたようだが,そんなのも,十分あり得る話だと思っている。

 国の人って,結構適当なのだ。

 政治家なんかは,きちんとした書類しか見たことがないのかもしれないが,役所内で出回っている文書はそんなもんじゃない。かなり怪しげなものが流通している。

 特に,やたらプライドが高いことで有名なK産省の課長補佐級の方が作るメモは本当にひどかった。

 いわゆる5W1Hが全くなく,その場にいた関係者以外は何のことだかさっぱり分からないようなメモをつくっては,メールでばらまいていた。

 だから,今回出てきた文書が多少アバウトでも,全く驚くに値しないというのが感想だ。

 それを,元官僚の御用学者や評論家が必死になって批判しているが,何を言ってるんだと思う。奴らの言うことの方が全く信用できない。本当に役所の中でちゃんと仕事をしてきたのかと思う。

 

 もう一つ,大臣,副大臣事務次官等が知らない文書は,怪文書だというようなことを言っている人がいたが,末端の職員が職務上作成した文書の全てを彼ら偉い人は全部承知しているというのだろうか。

 全く馬鹿げた話だ。

 そんな突っ込みどころ満載の発言を聞いても何も言わないマスコミって,何なんだろう。

 

 

 これまで,御縁があって読売新聞を購読してきたが,そろそろ本気でやめることを考えた方がよさそうだ。

 信じられない記事を各新聞に払う金はないし,そんなのを読んで時間を無駄にするほと暇でもない。