レコード芸術2019年12月号「モーツァルト三大交響曲の魅惑」

 『レコード芸術』の2019年12月号の特集は,「モーツァルト三大交響曲の魅惑」。本屋で見た瞬間,大いに期待した。こういう企画は購読し始めてからはおそらく始めてだし,何よりモーツァルトが大好きだし,どうも最近,モーツァルトが軽く扱われているような気がしてならなかったので。

 

 しかし,期待は脆くも裏切られた。ざっとページをめくった瞬間,ダメだと思った。

 

 まずは,矢澤孝樹氏の「「3」の魅惑と迷宮」という,いつものようにどうでもいい文章が4ページも続く。三大交響曲とほとんど関係ない話が延々と。ほんと勘弁してほしい。

 

 次が西原稔氏による「18世紀交響曲史」。これは10月号の交響曲特集でやる内容だろう。内容は立派だが,モーツァルトの三大交響曲には直接関係ないことがこれまた延々と4ページも。

 

 そして,安田和信氏による「モーツァルト交響曲史」。ここからが本題。導入としてはこれだけで十分。4ページ。

 

 そしてやっと三大交響曲のページ。それぞれたった3ページずつ。

 第39番が相場ひろ氏,第40番が広瀬大介氏,第41番が寺西肇氏。広瀬氏だけ毛色が異なり,編集者がコントロールできてないことがはっきり分かる。

 

 その後は落穂拾ひで,本田裕暉氏による「三大交響曲の先駆け」が3ページ。

 

 と思いきや,小室敬幸氏による「《ジュピター》フィナーレ徹底解剖」が来る。まさにこの特集ならではだが,《ジュピター》の第4楽章だけで4ページは長い。いや,いいのだが,《ジュピター》の第4楽章だけ?

 タイミングを示すのに使われるCDがアーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス盤なのだが,アーノンクールの演奏の特徴を書いているわけではないので,こういうときはもっと広く知られている(売れている)CDにすべきではないか。10月号の交響曲の特集のときもそうだったが,読者のことを考えてない。編集者と執筆者の自己満足にしか思えない。どうしてもアーノンクールのを使いたいのなら,レコ芸読者なら誰でも持ってそうなCD(例えば,《運命》ならクライバーとか)のタイミングも併記すべきだ。

 

 最後は小宮正安氏による「1788年のモーツァルト」。これが一番まともな内容だったかもしれない。

 この文章の内容を分解して,より詳しくすれば,充実した内容になったと思う。

 

 つまり,せっかく三大交響曲の特集をしているはずなのに,三大交響曲のことはちっとも書いておらず,どうでもいいことばかりで,欲求不満になる。明らかに編集者の力量不足だろう。

 各交響曲の基本データも書いてないし,謎とされてきた作曲の経緯のは,それぞれの記事に最近の説が断片的に書いてあって(小宮氏のものが一番詳しいが),重複している。名盤を挙げていてもわずかなコメントだけで比較した書き方にはなっていないし,そもそも各交響曲の魅力や聴き所,逸話,往年の指揮者などによる評価(コメント)といったものがほとんど書かれていない。

 もっとも,こういうことを書ける評論家が減ってきているということもあるのかもしれない。例えば,かつての三浦淳史さんとかが書いてくれたようなもの。

 

 

 このところ,題材はいいが中身が全然ダメという特集が続いているので,残念だ。

 もっと,初心者でも取っ付きやすい記事(そして,マニアでも「そうだったか!」とうならせるような)を載せないと,読者はどんどん減ってしまうのではないか。

 

 結論。「モーツァルト三大交響曲の魅惑」というタイトルには偽りあり。全然魅力について書いてない。