「岳飛伝」の第8巻まで来て

 北方謙三の大水滸伝シリーズはずっと文庫本で読んできた。途中で中断したくないので,それぞれ発売のタイミングを見て読み始めていたが,岳飛伝と楊令伝は随分間が空いてしまっていたので,岳飛伝に取りかかる前に楊令伝を読み直したところ,非常に時間がかかってしまい,岳飛伝を読み始めるのは随分遅くなってしまった。

 

 楊令伝を読みながら,岳飛伝への不安が高まるのを抑えられずにいた。

 楊令伝の途中から,おそらく童貫を倒したくらいからだと思うが,どんどんつまらなくなっていったからだ。登場人物も,誰が誰だか覚えられない。

 水滸伝ではもちろんこんなことはなかった。最後まで,決して飽きることはなかった。

 

 岳飛伝を読み始めて,不安は的中した。

 まず,岳飛のキャラが立っていない。楊令も今ひとつ顔が見えない感じがしたが,それでも圧倒的な強さがあり,何とか楊令(と呉用)を中心に物語がまとまっていた。しかし,岳飛は最初からずっと負け続け。決定的な負けはしないし,もちろん死ぬこともないのだが,楊令だけでなく,水滸伝に出てきたほかの英雄たちと比べても,強いという感じがしない。

 第5巻くらいに差し掛かって,史実を調べてみると,そろそろ岳飛は死ぬではないか。しかし,まだ10巻以上残っている。ということは,死んでなかった,ということにするしかない。さらに嫌な予感がした。

 その予感のとおり,岳飛は生き残った。そして,南に向かった。今,第8巻に差し掛かっているわけだが,相変わらず,それなりに強いが,何をしたいのかさっぱり分からない,主人公にしてはキャラが弱すぎる岳飛がいる。

 もちろん,岳飛が悪いわけではない。大水滸伝シリーズ51巻というのに,かなり無理があったと思う。もはや,物語が拡散しすぎて,岳飛に割ける分量が少なすぎるのだ。岳飛(岳都),梁山泊,小梁山,南宋,金,西遼・・・,膨大な登場人物・・・。岳飛だけの物語でないのは当然としても,岳飛が小さな駒の一つでしかなくなっている。しかも,相変わらず戦の準備はしているがちっとも戦は起きず,交易と街づくりの話が続く。

 一番分からないのは,秦容。準主人公的扱いをされているが,何をしたいのかまるで分からない。周囲の人間に対する態度はパワハラでしかない。読んでいてどんどん嫌いになる。

 ほかの登場人物も,どんどん小型化して,誰が誰だかさっぱり分からなくなってきた。北方先生の場合,読んでいると登場人物に対する思い入れの強さ,好き嫌いがよく分かるのだが,岳飛伝からの新たな登場人物でたいして思い入れの強い人はいないように感じられる。

 

 北方先生独特の言い回しや漢字の使い方も,物語がつまらなくなるにつれて気になって仕方なくなってきた。

 

 もはや惰性に近い状態で読んでいるのだが,まだあと9巻もある。全部買ってあるので読むしかないのだが,どうしよう。