クラシック音楽における表記の問題

 『レコード芸術』2020年7月号を読んでいて,書いておかないといけないと思った。レコ芸の誤字・脱字の問題は前にも何度も書いたと思うが,改めて書かざるを得ない。何せ天下のレコ芸音楽之友社である。

 

 クラシック音楽の表記の問題は難しい。ほかのジャンルは,よくは知らないが,いまだにこんなに混乱しているということはないのではないだろうか。

 元々外国の文化なので,仕方がないところはあるが,さすがにMozartを「モーツァルト」と書くのは定着していて,小林秀雄風に「モオツアルト」と書く人はまずいないが,Ludwig van Beethovenだと,「ベートーヴェン」か「ベートーベン」か「ベートーフェン」か,「ファン」か「ヴァン」「バン」か,「ルートヴィヒ」か「ルートビッヒ」か「ルードウィッヒ」か,は決着が着いていない。最近だと,「ドヴォルザーク」を「ドヴォルジャーク」と書くのも目にするようになった。

 

 クラシック音楽における表記の問題というと,大きく2つに分けられると思う。

 1つは,人名や地名の「音」の表記の問題。もう1つは,曲名,団体名,音楽用語などの訳語の問題である。

 これらについて,一般の人に大きな影響力のあるものとしては,NHK,レコード会社,そして音楽之友社が挙げられると思う。このうち,特に音楽之友社がヤバいことになっている。

 

 さらに,交響曲などにおける番号の問題もある。一番有名でいまだに混乱しているのはシューベルト交響曲だろう。「未完成」は第7番か第8番か,「グレイト」は第8番か第9番か。最近のレコ芸では,「未完成だと」「第8(7)番」と書くようだ。何とも意味不明で無責任にも見える。世間一般には「第8番」の方が多数はではないか。グラモフォン(ユニバーサルミュージック)は「第8番」と表記している。第7番が欠番になるとしても,「第8番《未完成》」と割り切ってしまった方が潔いと思う。

 ほかの例だと,モーツァルトの「プラハ」を「第38番」じゃなく「第37番」にしようとかいう話はないわけである。シューベルトだけ(?)こうなのも変な話だ。

 

 このところ気になっているのは,ピアノストのKrystian Zimermanである。

 元々,メディアによって,名は「クリスティアン」,「クリスチャン」,姓は「ツィマーマン」,「ツィメルマン」が混在していた。ポーランドの方なので,どう書くのが本来の発音に近いのかは分からない。そうでなくても,一般的には英語での発音にしてしまう人もいる(例えば,「ワルター」とか)ので,なおさら何が正しいのか分からないのだが。

 そんなZimermanだが,数年前から,レコ芸音楽之友社,と言っていいのだろう)の表記が変わっている。録音の少ない人なので,クラシック・データ資料館で調べると簡単にいつからかが特定できた。2014年までは「クリスティアン・ツィマーマン」だったのが,2015年は「クリスティアン・ツィメルマン(ツィマーマン)」,そして2016年から「クリスティアン・ツィメルマン」になった。それまでずっと「ツィマーマン」だったはずなので,非常に違和感があった。

 一方,ユニバーサル・ミュージック・ジャパンは,現在は「クリスチャン・ツィメルマン」と表記している。いつからこうなっているのか分からないが,手許にあったCDでは,1985年発売のものは「クリスティアン・ツィマーマン」となっていた。

 別に,表記が変わるのは,より本人の発音に近づけるためであれば,いいことだと思う。しかし,ツィメルマンクラスの大物であれば,表記を変えるのであれば一言あっていいと思うのである。

 ツィメルマンとツィマーマンのどちらが本人の(言う)発音に近いのか分からないので,なぜそのように変更したのか分からず,正しいのかの検証のしようもない。比較的発音が分かりやすい言語を母国語としている人だといいが,そうでないと,非常に困る。

 

 

 さて,問題のレコード芸術である。権威ある音楽之友社がこんなことで大丈夫なのか,とここ数年毎号読んでいて思ってしまう。

 2020年7月号で,主なところだけ(見つけた都度メモしておいたわけではないので,ざっと覚えていたものだけ)指摘しておく。

 38~39ページはブルックナー交響曲第9番についてのページだが,第4楽章の補筆者が本文では「コールズ」,CDの紹介欄では「コールス」となっている。

 50ページのショスタコーヴィチの歌劇《賭博者》では,増田氏の本文のみ《賭博師》となっている。31ページは《賭博者》である。さらに,同じ増田氏が書いている162ページのプロコフィエフの《賭博者》もまた,増田氏が書いている本文のみ《賭博師》となっている。

 148ページからの「View points-音盤ためつすがめつ」では,ラヴェルの《鏡》の中の曲名について,相場ひろ氏の表記がディスク紹介のところの表記とズレまくっていて,「蛾」を「夜蛾」,「悲しげな鳥たち」を「悲しい鳥たち」,「海原の小舟」を「洋上の小舟」,「鐘の谷」を「鏡の谷」と書いている。

 もちろん,ディスク紹介の方が一般的で,相場氏の書き方は一般的ではない。特に「海原の小舟」を「洋上の小舟」と書くのは,意味は分かるが,違和感を感じる人が多いのではないか。管弦楽版もあってよく知られているから。

 「鏡の谷」は単なる誤字かもしれないが,分からない。

 相場氏はフランス音楽に特に詳しいようで(レコ芸では,フランス音楽の記事を割り振られることが多い),そもそもフランス文学者なので,曲名の翻訳についても一家言あるのだろうが,この程度の違いだと,あえて一般的な表記と違う書き方をする必要性はないと思う。今回は,新型コロナのせいで「対談」ではなく「往復書簡」だったということがこのようなことになった理由の一つとしてあるのだろうが,記事にするときには編集者がきちんとチェックして,直すべきだ。

 

 以上を見て分かるのは,おそらく編集者が書いている曲名や演奏者名の説明の部分と,各執筆者の表記がズレているということだ。これまでも,海外盤の紹介記事などではよくあったが,それでも,マイナーな曲や人物についてのものについて稀にあるくらいだった。

 しかし,今回挙げたのは,マイナーなものばかりではない。

 要するに,単なる校正ミスと言っていいものばかりなのである。そもそも校正していないのか,編集者のスキルの問題なのか。あるいは,執筆者が編集部の言うことを聞かないのか。いずれにせよ,由々しき事態であることは間違いない。

 

 ついでに指摘しておくと,34ページのモーツァルトのレクイエムのクリストフ・シュペリング盤の録音時期は「<録音:●年●月>」と数字が抜けている。ここまで来ると笑うしかない。

 

 揚げ足取りのようで気が引けるところはあるが,この問題についてはこれからも注意して見ていくとともに,ここでも折に触れて取り上げたい。