読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ウィーン・フィルは変わったのか~新譜ラッシュに思う

 このところ,急にウィーン・フィルの新譜が出るようになった。

 ここ数年,出るものと言えば,ニューヤー・コンサートとシェーンブルン宮殿コンサートのライヴくらいで,まともな録音はほとんどなかた。何せ,小澤さんが国立歌劇場の音楽監督だった頃,正規の録音は1つもなかったくらいなんだから,どれだけ録音を忌避していたのかと思う。

 それが,ドゥダメルとの《展覧会の絵》,ビシュコフとのフランツ・シュミット,ノットとの《大地の歌》など,新しい録音が次々と(と言っていいのかはまだよく分からないが)出ている。しかも,ドゥダメルビシュコフはセッション録音である。

 さらには,ネルソンスとのベートーヴェン交響曲全集も進行中である(ライヴ)。

 こういった録音がこれから継続的に行われるとすれば,非常に嬉しい。

 

 そこで1つ気がついたことがある。『レコード芸術』2017年5月号の「先取り!最新盤レヴュー」でビシュコフとノットのCDが取り上げられているのだが,ビシュコフのフランツ・シュミットについては,佐伯茂樹氏が「久々に天上的に美しいウィーンの音世界を堪能することができた」と述べており,ノットの《大地の歌》については,中村孝義氏が「実際に聞こえてきたのは,そうした予想を遥かに上回る,全く新しい「絶美」の世界」と述べている。どちらも,音の美しさを絶賛しているのだ。

 ここ最近で言うと,あのウィーン・フィルが指揮者の「解釈」にどれだけ応えているか,という点が問題にされたと思う。それが,ストレートに「美しさ」を讃えられるというのは,何かが変わってきたと思わざるを得ない。

 これが,ウィーン・フィルの進むべき道を示している,というかオケ自身が「気づいた」ということなのかなと思うのである。すなわち,もはや「解釈」ということでは,オーケストラ自体の差別化は難しい。はっきり言って,今「最先端」と言われる指揮者の「解釈」に応えるということでは,ドイツ・カンマーフィルやマーラー室内管などにはかなわないと思われる。ウィーン・フィルが自らの存在価値を考えたときに,そこにあるのは,伝統と「音の美しさ」だということに気づいたのではないか。

 ライバルのベルリン・フィルは,おそらく,自らの存在価値を「モダン・オーケストラとしての最高の機能性」にあると考えているのではないかと思う。そして,それに向けて邁進している。それに比べて,ウィーン・フィルの方は,何を目指しているのかがここしばらくはよく分からない状態が続いていた。

 今回,そういった状況から脱し,進むべき方向性をはっきりと見定めたということなのではないか。

 

 ここ最近の新譜3枚はいずれも未聴だが,はっきり言って,ノットとウィーン・フィルとの《大地の歌》など,全く期待していなかった。しかし,中村氏の評を読んで,ぜひとも聴かなければと思った。

 《大地の歌》はテノールとアルトで歌われる方が好きだし,カウフマンだったら,アバド指揮ベルリン・フィルとの演奏(NHKでも放送され,デジタル・コンサートホールでも見ることができる)を是非CD化してほしいと思うのだが。

 

 それと,ベートーヴェン交響曲全集は,ネルソンスでなくドゥダメルとやるべきたったと思う。ただ,最近のドゥダメルは迷っていて伸び悩んでいる感じがするので,今のタイミングではやらなくて正解だったかもしれない。

 これも『レコード芸術』からだが,4月号の月評で,ドゥダメルのニューイヤー・コンサートのBD/DVDが取り上げられているが,ここで山崎浩太郎氏が書いていることは,まさに自分が思っていたことと同じで,やはりなと思った。すなわち,「ヨーロッパの伝統のなかで自分がどう進んでいくのか,30代半ばを迎えて迷いがあるようにも思えた。「偉大なるマンネリズム」のなかにあるウィーンに新風をもたらすことを,次回の挑戦の際には期待したい。」と。

 

 

【追記】

 ドゥダメルとの《展覧会の絵》ほか(グラモフォンUCCG-1756)を聴いた。イマイチだった。名盤がたくさんある曲なので,それらに比べて何か飛び抜けてすごいところがあるかというと,ない。録音も,セッション録音なのに今ひとつ冴えない。

 冒頭から音を短めに進めるのにまず違和感を感じた。オケはもっと伸ばしたいのだろうか,音の切り方が全体的に雑。本当はもっと粘りたいのだろう。ドゥダメルの解釈と齟齬があるように思えた。あっさりなのに雑,という感じ。迫力も足りず,物足りない。

 オケは金管が弱い。特にトランペット。昔からトランペットはヘタウマの部類に入るオケだったが,それでも独特の鄙びた音色と時折聴かせる鋭い音が特徴で,すぐウィーン・フィルだと分かったものだが,今は普通に巧くないだけになってしまった。

 ドゥダメルらしさ,つまり弾けた感じはほとんどなく,大人しい。ベルリン・フィルとの《ツァラトゥストラ》ほか(グラモフォンUCCG-1632)あたりから感じていたのだが,迷いが出てきているのではないか。2012年のシェーンブルン宮殿ライヴはまだ結構弾けていた。壁にぶち当たっているように思う。