レコード芸術は大丈夫か?

 このところ,「レコード芸術」を読んでいると,すぐに分かるような誤字・脱字,人名の不統一,記載内容の誤りなどがやたらと目立つ。そもそもの原稿が間違っているということもあるのだろうが,編集段階での校正が不十分なためではないかと思う。

 

 一々メモしていないのであるが,2018年6月号で気が付いたところを幾つか挙げてみる。

 まずは84~85ページの増田良介氏のゲルギエフによるプロコフィエフ全集の記事がものすごく酷い

①84ページの1段目に「協奏曲7曲」とあるが,ピアノ協奏曲5曲,ヴァイオリン協奏曲2曲,交響的協奏曲の計8曲である。

②《イヴァン雷帝》の語りを務めているアレクセイ・ペトレンコについて,85ページの1段目に「アレクセイ・ペトレンコ(1938~2016)」とあり,続いて「この演奏のときペトレンコは78歳だったが・・・ペトレンコはこの翌年に亡くなった」と書いてあるが,「この演奏」は2016年なので,矛盾しており,どちらかが間違っている。

③85ページの3段目に「第4番は長い改訂稿だけ・・・が演奏されている」とあるが,その後に「第4番はこのセットと同じく初稿のみだった」とまた矛盾したことが書いてある。どちらが本当かこの文章だけでは分からないが,タワーレコードのホームページを見ると,作品47の方とあるので,「短い方の初稿だけ」が演奏されているというのが正しいようだ。

④同じく85ページの3段目に「ロンドン響と録音した全集では・・・ボーナス・トラックとして第7番の初稿エンディングを収めていた」とあるが,ボーナス・トラックとして日本盤にのみ収録されていたのは,改訂版の方である。

 1つの記事の中で,ざっと読んでこれだけの間違いがあるというのは,信じられない。しかも,①~③は何の予備知識なしにこの文章だけ読んでも間違いに気付くものである。おそらく,全部増田氏の原稿が間違っていたのだと思うが,校正の段階で気付いていいものだ。ほかにも気付かない間違いがあるかもしれないと思うと,安心して読めない。

 増田氏は最近レコード芸術での原稿量が急激に増えている評論家の一人だ。やっつけ仕事になっているのかもしれない。

 

 もう一つ,別のページの例だが,32ページでは,本文では「ワインガルトナー」と,ディスク紹介のところでは「ヴァインガルトナー」となっている。これまで,レコード芸術で「ヴァインガルトナー」という表記はなかったと思う。筆者の芳岡氏がヴァインガルトナーと書いていたのかどうか分からないが,完全な校正漏れだろう。

 最近,この手の間違いが非常に多い。これまで見付けたのは,別ページの記事同士,しかもまだカナ表記が定まっていないような演奏家ばかりだったと思うが,ワインガルトナーのような有名演奏家で,しかも同一ページでこのような不統一が起きるというのは,深刻だ。

 

 ほかにも,校正の問題でないが,よく見られるのは,特集ページで必ず出てくる名盤紹介のページ(いろんな評論家の推薦盤に,短いコメントが付くスタイル)で,本文で別な評論家が書いているのと同じことを能書きとして言い訳のようにダラダラ書いて,どんな演奏かほとんど書いてないものがある。読んでいてうんざりするのだが,こういうのは編集者が書き直させるべきだろう。

 こういう,特集の中で評論家が勧める名盤を数ページにわたってならべるというスタイルは,レコード芸術でよく見られるものだが,はっきり言って読むのがしんどい。やめてほしい。ああいうのは,考えた方がいいと思う。情報量も少なく,うんざりする。

 

 以前も書いたが,昔に比べて値段がすごく上がっているのにページ数はずっと減っている。それなのに間違いが増えているというのは,(手書きで入稿する人も減っているだろうに)ゆゆしき事態だ。編集部の人員が減らされているのだろうか。

 発行部数がどうなっているのか知らないが,読者は減る一方なのではないか。

 新しい読者を集めないと,ますます酷いことになると思う。もっと初心者でもとっつきやすい記事を入れるべきではないか。ちょっとした雑学的なものとか。有名なエピソードでも,意外と知らないことも多いものだ。

 あるいは,ちょっとマニアックではあるが,5月号の「レコード誕生物語」のジャクリーヌ・デュ・プレエルガー:チェロ協奏曲の記事はよかった。藤野竣介氏は,三浦淳史さんの後継者たり得る人のように思う。これからも,曲・作曲者・演奏家に対する愛にあふれた記事をお願いしたい。

 あとは,下田幸二氏の「ピアノ名曲解体新書」も好きで,単行本化してほしいと思うが,このところ取り上げる曲がややマイナーなものばかりになってきているのが残念であり心配。有名曲でも取り上げていないものがまだまだあるはずなので,バランスを取って曲選びをしてほしい。

 

追記

 2018年9月号は,レナード・バーンスタインの生誕100年特集だった。発売日に大きな本屋2軒を回ったがいずれも売り切れで買えず,Amazonで2日遅れで入手。売れているならいいのだが,入荷した冊数が減らされているようだと心配だし,困る。

 さて,特集の43ページと52ページは,写真の上に記事の文字を重ねているのだが,ものすごく見づらい。26ページのように,白抜きの文字を使うのではなく,43ページは黒字の周りを白で縁取りし,52ページは黒字の周りを微妙に白でぼかしているのだが,どちらも恐ろしく見づらく,読んでいて頭が痛くなる。デザインも大事だが,まずは読みやすさを優先してほしい。

 それと,クラシック音楽ファンならすぐおやっと思うような誤りも。26ページで紹介している交響曲第1番と28ページで紹介しているセレナードは,1977年と1978年の録音とあるので,アナログ録音のはずだが,デジタル録音と表示されている。

 どちらも再発されたばかりで,この号の巻末の新譜一覧表に出ているので確認すると,交響曲第1番は1977年のアナログ録音,セレナードは1979年のアナログ録音となっていて,セレナードはどちらかが間違っているようだ。面倒なので確認はしないが,データの正確性はレコ芸の命とも言っていいと思うので,しっかりしてほしい。

 

 

ネルソンス指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン《田園》

 MUSICBIRDのTHE CLASSICで,2017年3月23日にアンドリス・ネルソンスウィーン・フィルを指揮した演奏会が放送された(4月22日)。

 曲は,ドヴォルザークのチェロ協奏曲(独奏:アマーシュ・ヴァルガ)とベートーヴェン交響曲第6番《田園》。ほかに,ヴァルガによるアンコールも放送された。

 

 《田園》は,現在進行中のベートーヴェン交響曲全集録音の一環で,先に第3番《英雄》が演奏されており,2曲目となる。

 《英雄》については以前書いたが,全然いいとは思わなかった。

 

 今回の《田園》は,《英雄》に比べるとかなりオーソドックスな演奏で,要は特徴のないのが特徴の演奏だった。特にピリオド奏法を意識したような感じはなく,尖ったところのない穏やかな演奏に終始していたように思う。また,驚いたのは,第1楽章のリピートを省略していたこと。今どきかなり珍しい。一方,第3楽章はリピートをしていた。

 最近のネルソンスは,ブルックナーの演奏などで顕著なようだが,柔らかい響きを志向しているようで,中・低域を重視した響きをつくろうとしているように思う。いわゆるドイツ風のピラミッド型というのとも違うようで,高域が羽ばたかず,メロディーを重視しないので,もやもやしている。高域のメロディーが聴き取りにくいことが多い。

 そのため,どうにも欲求不満になる。特に,ウィーン・フィルは,ヴァイオリンなどの高音がゾッとするような美音を出すのにゾクゾクさせられるので,その辺が抑えられているのが不満。

 

 初めから期待してないのでいいが,せっかくウィーン・フィルとやるなら,もっと違った表現をしてくれたらなと思う。

 それと,確かこのチクルスは4年で完成させるということだが,《英雄》と《田園》でこれだけアプローチが違うと,最終的にどんな全集になるのか,心配だ。

 最近だと,ブロムシュテットが一本筋の通った全集を作ったが,それとは随分違った趣になりそう。

 そうだとすると,全集として一気にリリースするより,1枚ずつ出していった方が,変わりようが分かっていいのではないかと思う。

 

 

いいたて村の道の駅までい館の新メニュー「しょうゆラーメン」を食べてみた

 久しぶりに,飯舘村にある「いいたて村の道の駅までい館」に行ってみると,軽食コーナーに新メニュー「しょうゆラーメン」750円があったので,早速食べてみた。

 メニューの所には,「あっさりスープにもちもち麺」との説明が。写真では,ごく普通の醤油ラーメンで,ネギ,ほうれん草(少々),メンマ(少々),チャーシュー(小さめ),なると,海苔が載っているだけ。麺がよく見える。

 ということで,これで750円とは相当食材に凝った高級ラーメンに違いないと思い,期待して注文し,待つことしばし。

 

 が,残念ながら,出てきたラーメンは,何の特徴もない,ただの醤油ラーメンだった。一言で言うと,安っぽい。昔のドライブインとかで出てきそうな麺にスープ。これで750円払ったら,みんな怒るんじゃないか。

 幸楽苑の一番安いラーメンの方がはるかにまし。

 

 何でも高いので有名なまでい館ですが,山の中の観光地じゃないんだし,世間の常識に合わせないとヤバいのではないかと心配になる。

 

 どうせなら,あと50円出して長崎ちゃんぽんを食べるのをお勧めする

 

公共施設のネーミングライツなんてもうやめるべき

 福島市の3つの公共施設で募集していたネーミングライツの契約相手と愛称が決まったのだという。

 桜木町にある「福島市児童公園」が「ふくしま児童公園SFCももりんパーク」に,山田(大森城山の南)にある「福島市パークゴルフ場」が「NCVふくしまパークゴルフ場」に,建設中の体育館・武道館が「NCVふくしまアリーナ」になるのだという。

 市役所には苦情の電話が殺到しているのではないか。

 

 特に,児童公園は開園して60年以上経つ施設で,福島市内で「児童公園」といえばここのこと,というくらい,長い間市民に愛されてきた施設だ。

 おそらく,これからも,誰も「ももりんパーク」なんていう呼び方はしないだろうし,まして「SFC」なんていう名前は誰の口からも出ないだろう。

 しかも,ネーミングライツを取得したエスエフシー(株)というのは,現在の児童公園の指定管理者なのだという。おそらく,児童公園の運営は赤字だと思う。何せ,乗り物は全て50円か100円なのだ。冬場は極端に利用者が少なくなる。黒字経営ができるわけがなく,その分は市から指定管理委託料として支払われているはず。そんな会社が,年間200万円を払ってネーミングライツを取得するというのはおかしくないか。エスエフシーの詳しいことは分からないが,一応,ネーミングライツ料は市からの委託料とは関係なく,会社のもうけから出しているということになるのだろうが,釈然とはしない。

 それに,名前が変わればパンフレットから何から全部変える必要があるが,そのお金は市とエスエフシーのどちらが負担するのだろう。エスエフシーが負担するとしても,結局は指定管理委託料に上乗せされる可能性がある。それでは,巡り巡ってエスエフシーの宣伝に税金が使われるだけ,ということになる。

 きちんと調べないと分からない話だが,市会議員なり,オンブズマンなり,調査できる人には,徹底的に調べてほしい。

 

 パークゴルフ場はよく分からないが,体育館と武道場は新しくできる施設なので,こちらもインパクトは大きい。市民が何と呼ぶようになるか分からないが,「NCV」なんていう名前を言う人はまずいないだろう。5年間の契約だというが,その後この会社が手を引いたら,呼び方に困るのは福島市民だ。

 

 福島市内の公共施設でネーミングライツによりおかしな名前に変わったのでよく知られているのは,県文化センターと県営あづま球場だろう。

 どちらも,地元の銀行である東邦銀行ネーミングライツを取得し,それぞれ「とうほう・みんなの文化センター」,「とうほう・みんなのスタジアム」という「愛称」になっている。しかし,こんな恥ずかしい名前で呼ぶ県民は,いない。センスがなさすぎる。金で名前を買った連中に,「みんなの」なんて言われたくない。

 マスコミにしてもそうで,今回,東京オリンピックの会場になったことから大規模改修されることになったが,新聞等を見ても,ほとんどの記事で「とうほう・みんなのスタジアム」なんていう名前は出てこない。「県営あづま球場」としか出てこない

 ネーミングライツなんて,無駄に混乱させているだけで,何の意味もないという証拠である。

 東邦銀行の顧客からすれば,そんなのに金を使うくらいなら,預金金利を上げるなり,貸出金利を下げろ,と思う。

 住民からすれば,自分たちの伝統ある大事な施設におかしな名前をつけやがって,となる。

 ネーミングライツを取得して,愛称に会社の名前を入れても,企業イメージのアップにはつながらないと思う

 

 何にしても名前というのは大事なもので,目先の金に目がくらんで魂を売るようなことをすべきではないと思う。

 仙台の宮城球場だって,コボスタの愛称がやっと定着してきたと思ったところで急に変更になり,騒ぎになったばかりだ。

 もう,いい加減こういうドタバタが起きるようなことはやめるべきではないか。名前がコロコロ変わって迷惑するのは,住民である

 

 福島市の今回の3件について言えば,おそらくは小林前市長のときにやることが決まっていたことだと思うが,特に児童公園については,木幡市政の汚点として長く残ることになりかねない。「結局,よそ者だからな」と。小林前市長もよそ者だったわけだが。

 今回の契約は途中で打ち切れないだろうが,木幡市長の英断により,2年後はネーミングライツをやめることを期待したい

 

 

我が町バンザイ

 古いカセットテープを整理していたら,1985年頃にラジオ福島でやっていた「我が町バンザイ」という番組のテープが出てきた。

 その頃,中学生を中心にかなり流行った番組なので,覚えている人も多いと思う。

 

 いつから聞き始めたか覚えていない(最初からではない)が,1984年10月8日から,東北六県のAMラジオ各局で放送が始まった番組で,終了時期は不明だが,残っていたテープでは,1986年夏頃のものが一番新しく,おそらくそれから1~2年以内くらいに終了していたのではないかと思う。

 毎週月曜日から金曜日の午後9時50分から10分間の番組で,リスナーが自分の住んでいる市町村の自慢話を書いて送り,それを読むというスタイルの番組だった。自慢話でなく,どこかの市町村の悪口を書いてよこす場合も多く,今だったらとても放送できないなという内容もあった。

 大塚製薬の提供で,いい内容だと「カ~ロリーメイト」というジングルが出て,ブロックタイプ6箱またはドリンクタイプ6缶がもらえ,さらに「バンザ~イ」などのジングルも出ると,TシャツやBパック(?)などももらえた。後からは週1回の「ポカリデー」もできて,その日は「ポカリスエ~ット~」のジングルが出るとポカリスエットが6缶もらえた。

 

 ラジオ福島のパーソナリティーは,福島市で活躍(?)していたバンド「弁慶と牛若丸」のリーダー高橋雅仁さんで,独特の語り口が人気だった。ほかの5県のパーソナリティーは,みなラジオ放送関係者らしく,AM放送のアナウンサーっぽい喋りで,高橋さんだけが非常に浮いていた。というか,福島県民からすると,ほかの5県の方が変だったわけだが。

 思うのだが,なぜAMラジオのアナウンサーというのはああいう独特の声を出すのだろう。ちょっと鼻にかかったような,不思議な発声をする。おそらく,ノイズの多いAMでもよく聞き取れるように編み出された発声方法なのだろう。ちょっと違うが,昔の車掌さんのようだ。なので,ラジオ放送じゃないところでAMラジオアナウンサー出身の方の話を聞くと,非常に違和感を感じてしまう。

 そんな人たちが,発声はAMラジオなのに,それぞれのお国なまりでしゃべるので,ますます違和感が大きかった。それに対して高橋さんの喋りはよかった。

 

 テーマソングは,弁慶と牛若丸の「ふる里ふくしま」という歌。これが,1985年8月からリニューアルされて雰囲気が随分変わってしまい,とってもがっかりしたものである。絶対古い方がよかった!どこかで古い方だけでいいから音源が手に入らないだろうか。

 最近YouTubeで,震災後に弁慶と牛若丸がこの歌を歌っている姿を見つけ,お元気そうでとてもうれしかった。

 このバンドは,高橋さんの3歳下の弟の剛さんと2人でやっているバンドで,1985年と1986年に開かれたファンの集いでは,ライブもやっていた。あの当時,結構年が行ってるんだろうなと思ったものだが,高橋さんは30代前半だったという。

 ということは,今は60代半ばだろうか。これからも元気で活躍していただきたい。

 

 そのファンの集いでは,読まれなかったハガキをタイムカプセルに入れて,21世紀になったら開ける,と言っていたのだが,やったのだろうか。その中には自分の出したものも何枚かあったはずなので,すごく気になる。

 

 もう一つ思い出深いものがあった。1985年の夏頃のポカリスエットのCMで,杏里が歌うデジャヴーという歌が使われていた。どうも,レコード化はされなかったらしいのだが,とってもいい歌で,これも何とかならないかなと思っている。何しろ,作詞が泉麻人,作曲が井上大輔。井上さんの作曲が悪いわけがない。音源が残っていたら,ぜひ商品化してほしい。

 

 続く,かもしれない。

 

 

ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート2018が意外によかったという話

 今年のニューイヤー・コンサートはリッカルド・ムーティの指揮だった。

 はっきり言って,何の期待もしていなかった。ムーティは昔から聞いているが,どうもよく分からないからだ。むしろ,ベルリン・フィルとの録音の方がいいものがあったと思っている。モーツァルトのレクイエムとか,ブルックナーの4番とか。

 

 ムーティは5回目ということで,もっと出ているかと思ったが,まだ5回目なのだった。

 録画していたのを暇つぶしに見始めたら,これが予想外にいい演奏だった。

 ムーティの表現に特別何かあるという感じではないのだが,ウィーン・フィルがよかった。久しぶりに,しっかりしたいい音のぎっしり詰まった音がしていた。

 何より,楽団員の表情がよかったと思う。リラックスしていてもダレてなく,ムーティを心から信頼しつつ,音楽に専念している様子が感じられた。

 ゲストのヘーデンボルク・直樹さんが,ムーティの音楽について「気品がある」とおっしゃっていたが,そのとおりだなと思った。こういう言葉をそのとおり素直に感じられることは珍しいのだが,今回はそうだった。

 

 こういうことがあるから,音楽を聴くのは楽しい。

 

 

「いいたて村の道の駅までい館」のお勧め3品

 久しぶりにまでい館を訪れた。随分お客さんが減っていた。特に食堂はガラガラ。あのメニューでは厳しいだろうなと思っていたが,案の定。駐車場にたくさん止まっている作業員さんたちはみな,セブンで弁当を買って車で食べ,寝ているようだ。客の取りこぼしがすごいということだろう。売れるメニューを真剣に考えた方がいいと思う。

 売店も,相変わらず何でここでこんなの売ってるんだというのが多い中,村内産,村民産のものが増えていたのはうれしい。

 そんな中から,実際に買って味わってよかったものを3つ紹介する。

 

どぶろく どぶちえ・白狼】

 福島県内のどぶろく特区第1号として認定されたというもの。内容量と瓶かペットボトルかで4種類くらいある。500mlのペットボトル入りが1,100円から。

 清酒でなく濁酒である。見た目は甘酒。でも中味は辛口。お酒好きならいくらでも行けるはず。何となく,ただの日本酒を飲むよりも,「飲んだ!」という満足感が高い。

 度数が18~19度と高いのに,意外と次の日残りにくい。

 製造者の佐々木さんは,村内に農家レストラン「氣まぐれ茶屋ちえこ」を再建準備中だそう。再開したらぜひ行ってみたい。

 

【高橋トク子さんのキムチ】

 地元では漬物名人として有名だという高橋さんが,本場韓国で修行してきたというキムチ。カットされてない白菜約4分の1に,ほかの野菜やいかの塩辛なども入った本格キムチ。1袋1,000円するが,大きめのタッパー2つ分くらいの量はある。

 さすがに本場で修行してきたというだけあって,スーパーで安売りしている国内産のキムチとは格が違う。塩辛の苦みがアクセントになっていて,とてもおいしい。辛さはそれほどではないが,きちんと感じられる辛さに仕上がっている。この辺の塩梅が見事。

 いつも売っているわけではないようだが,かぼちゃまんじゅうも見つけたら絶対買っておきたい。皮がもっちもちでとってもおいしい。中もかぼちゃの餡。

 

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【いいたて雪っ娘かぼちゃ】

 加工品もいろいろ売っているが,やはりかぼちゃそのものから味わうべし。

 作っている方は何人かいらっしゃるようだが,今,までい館で売っているのは渡辺とみ子さんのもの。結構すぐ売り切れるようなので,見かけたら買うべし。

 大きさによって値段が違うが,だいたい500円~1,000円。白い皮の独特の見た目と,サツマイモのような独特の食感が魅力。

 カットされていて,電子レンジで温めればすぐ食べられるものもあり,お手軽なのはこちら。確か1袋200円とお得。

 

 

なかにし礼の『音楽への恋文』

 クラシック音楽を聴くようになったばかりの頃に読んで大きな影響を受けた本に,なかにし礼著『音楽への恋文』というものがある。1987年に共同通信社から出たエッセイ集で,その後新潮文庫から『音楽の話をしよう』と改題されて出ていたが,現在はどちらも絶版のようである。

 そのエッセイの中で,非常に心に引っかかっているものがあるので,書いておく。

 

 それは,「ユダヤ音楽祭」というエッセイである。内容は次のとおり(ここで言いたいことに関係ない部分は割愛する)。

 年は明らかでないが,なかにし氏がCDプレーヤーを買った年の8月21日のこと。神奈川県民ホールにズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会を聴きに行った。曲は,ブラームス交響曲第4番,ブロッホヘブライ狂詩曲《シュロモ》,ワーグナーの《ニーベルングの指環》抜粋。当時メータは48歳。

 1曲目のブラームスが気に入らなかった。まず,メータの腕と指の動きが気にくわない。軽薄で,品がない。そして,いい音は鳴っているが,何も感じない。メータには繊細さ,思想性,哲学性…が欠けている,と思う。

 一方,ユダヤ人作曲家による《シュロモ》は,ブラームスとは魂の入れ方が違い,違いすぎて不愉快なくらい。指揮は入念であり,演奏はこまやかであり,クライマックスは星空に燃えあがる炎のような情熱のほとばしりを見せる。…(中略)…久方ぶりに,音楽を愛する人間で良かったと思った。音楽をやるとはこういうことであり,音楽を聴くとはこういうことだ。

 それに対して,ブラームスはなんだったのだ。君たちユダヤ人は古典音楽をもてあそんで,気の抜けた演奏を聴かせるのだ。古典音楽の衣でヘブライ精神の鎧を隠して,着々と勢力を拡大してきたのだろう。もはや,クラシック・イズ・ユダヤなのだ。そのおかげで,ブラームスが間抜けに見えて,ブロッホが賢者に見えたりするから,危険なのである。

 いっそ,第1回ユダヤ音楽祭というのを開いたらどうか。そのとき,世界は真っ白けに白けてしまうだろう。しかしユダヤ人たちは一堂に会しないだけで世界各地で,日ごと夜ごと,個別に,ユダヤ音楽祭を開き,ユダヤのにおいにみちあふれた音楽を振りまいている。

 

 その頃,なかにし氏と言えば,芥川也寸志氏,木村尚三郎氏とともにN響アワーに出演しており,初心者の自分にとっては神のような存在と言っていいほどであった。そのなかにし氏が上記のように書いていたら,信じるしかない。

 ということで,これを読んでからは,ドイツ音楽,特にベートーヴェンブラームスブルックナーを聴くときには,その演奏家ユダヤ人かどうかということばかり気にするようになってしまった。そして,可能な限りユダヤ演奏家によるものは避け,たまたま聴いていいなと思っても,これは偽物なんだと思うようになってしまった。

 何と言うことだ。

 今なら,こんな暴論は鼻で笑える。じゃあ,イタリア人のやるドイツ音楽はどうなんだ,とか,具体例を挙げていくらでも反論・反証できる。いや,そもそも今ならこんなエッセイは出版できないだろう。しかし,当時はそうは行かなかった。この呪縛から逃れるには,随分と時間がかかった。しかも,ヴァイオリニストのアンネ=ゾフィー・ムターのように,おそらく間違ってユダヤ人と書かれていた人もいて,更に迷惑したのであった。

 思い出してみると,あの頃,今より遥かに情報が少なかったにもかかわらず,なぜかある音楽家がユダヤ人かどうかというのはすぐに分かった。雑誌やその増刊号のようなもので音楽家のプロフィールが載る場合,ユダヤ系だと必ず「ユダヤ系○○人」と書いてあったからだ。今はあまりそういう表記は見ないように思う。とすると,なかにし氏に限らず,クラシック音楽界において,その人がユダヤ系かどうかということをひどく気にする勢力があったということだろうか。もちろん,自分が気にならなくなったからかもしれないが。

 今でも時々,この呪縛に引っかかっていた頃を思い出し,おぞましい感じがするとともに,実にもったいない時間を過ごさせられたと,怒りを感じるのである。

 確かにメータのブラームスは良くなかったかもしれない。実際,CDやテレビなどで,メータのベートーヴェンブラームスを聴いて,いいと思ったことは,ほぼない。だからと言って,ユダヤ系の人のドイツ音楽が全部ユダヤ的で気が抜けていてつならないなんてことはない。ドイツ人指揮者のやるドイツ音楽だって,気の抜けたつまらないものはある。

 なかにし氏のおかげで,いちいち「血の正統性」ということにひどく拘るようになってしまった。ドイツ音楽に限らず,フランスものでも,ロシアものでも,何でも。この指揮者は何人か?ユダヤ系か?と。今は違うが,そのおかげで失った時間は,あまりにも大きかった。

 

 この本では,もう一つ,その後の音楽の聴き方に強い悪影響を受けたエッセイがある。「さらばカラヤン」というエッセイだ。

 このエッセイのおかげで,カラヤンのCDを聴いて素晴らしいと思っても,どこか引っかかるものを感じるようになってしまった。もっとも,ユダヤ系の人のやるドイツ音楽よりはずっと早くにその呪縛から逃れることはできたが。

 

 この本には,まさに音楽への愛に満ちたいいエッセイも入っているので,惜しいのだが,残念ながら,上記2つのおかげで,現在は悪本としてお蔵入り状態である。

 このブログを書くために,30年ぶりくらいで引っ張り出したが,読む気はしない。むしろ,「ユダヤ音楽祭」を改めて読んで,気分が悪くなった。今回,「さらばカラヤン」も読んではいない。かといって,古本屋に持って行くつもりもないのだが。

 それにしても,若い頃に読んだものの影響というのはなかなかに大きいものだ。それなりの人は,それなりの責任感を持って文章を書いてほしいと思った次第である。

 

 

ブロムシュテットのベートーヴェン交響曲全集

 今年(2017年),NHK交響楽団の名誉指揮者でもあるヘルベルト・ブロムシュテットが,かつての手兵であるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と,ベートーヴェン交響曲全集のCDを出した。

 ドイツのアクツェントゥス・ミュージックの制作で,国内盤はキングレコードから出た(KKC5802)。2014年5月から2017年3月にかけてのライヴ録音。

 ブロムシュテットベートーヴェン交響曲全集は,2回目の録音で,1度目は1975年~80年にシュターツカペレ・ドレスデンと録音している(レコード芸術12月号の巻末新譜一覧表で,「ベルリン国立o.と全集を録音していた」とあるのは,誤り)。

 今回の全集は,いきなりライヴ録音ということで出てきたので,リリースのアナウンスを見たときは,どうせ放送用に録音されたライヴの寄せ集め(MDR KULTURのマークが入っている)で,たいしたことないだろうと思い,ほぼノーマークだった。ジャケットも,ブロムシュテットのアップの白黒写真で,デザインに凝ってるようには見えないことも,そう思わせる一因だった。

 ところが,MUSICBIRDで放送されたものを聴いて,それが全く誤りであることがすぐ分かった。とても気に入ってしまい,すぐに買ってしまった(輸入盤)。ついでに,ずっと買おうと思っていたシャイーとゲヴァントハウス管の全集まで買ってしまった。

 ライヴ録音とはいえ,きちんと丁寧に作られた全集であった。シャイーとは異なり,交響曲9曲だけで,序曲等はついておらず,第1番から第9番まで番号順に納められている。

 拍手は全てカットされていて,会場ノイズもほぼ皆無。演奏の傷もほとんどない(傷なのか解釈なのか分からないレベル)ので,言われなければライヴとは気が付かないほど。

 

 楽譜は,ベーレンライター版を基本にしているらしいが,第9番の第1楽章の第2主題ではB♭にするなど,ブライトコプフ旧版も部分的に採用している。この部分は,ベーレンライター版の音はどう聴いてもおかしいので,ブロムシュテットの見識の高さが分かる。ここは,アバドやシャイーも同様。

 一方,第3番の第1楽章の最後の所のトランペットによる旋律化はしていない(個人的には,思いっきりトランペットを吹かせてほしいが)。

 

 演奏は,いろんなところでベートーヴェンメトロノーム記号に従った非常にテンポの速い演奏であるように書かれているが,実際はそうではなく,第9番のように全体的にかなり速いものもあるが,多くは中庸のテンポである。むしろ,カラヤンなどの方が速い。例えば第5番の第1楽章とか,第7番の第1楽章,第4楽章など,メトロノーム記号に従っていることを売りにした録音が出てくる以前の録音と比較しても,全然速くない。もちろん,遅めのテンポを取っているわけではないが。

 シュターツカペレ・ドレスデンとの旧盤は,正攻法な表現の指揮と,いわゆるドイツ風の「ざっくりとした弦」に鄙びた木管,しっかり鳴っているが決して突出しない金管,ペタペタという独特のティンパニの音が絡む,いかにも東ドイツ風のオーケストラによる,独特の味のある演奏だった。

 今回の演奏は,それとは随分異なり,非常に洗練された演奏になっている。ライヴだが,隅々までコントロールされていて,「おやっ」という瞬間はほぼない。しっかりと手応えのある音だが,軽やかな音である。独特の雰囲気がある。聴いていてとても気持ちがいい。バスがしっかり土台を作っていて,とてもよく整理された響きである。ベルリン・フィルのような圧は感じない。

 モダン楽器による正攻法な演奏で,いわゆるピリオド奏法を取り入れたりはしていない。ラトルのように,突然部分的に(効果を求めて)ピリオド奏法を「擬態」(金子建志先生の表現)するようなこともないので,最初から最後まで安心して聴ける。

 ベートーヴェンを聴いたという充実感の得られる演奏である。

 なお,第9番では,合唱がとても美しい。マズア以来の伝統と言っていいと思うが,児童合唱も入っている(シャイー盤も同様)。アルト独唱が藤村実穂子というのもうれしい。それと,ブロムシュテットの演奏に限らず,いつも第九を聴くと思うのだが,もの凄く歌いづらそうだ。特に独唱がそうで,その中でもテノールは一番ひどい。朗々と歌っていて気持ちよく聴ける演奏は,ほとんど聴いたためしがない。第九だけでなく,ミサ・ソレムニスも,歌いにくそうに聴こえる。ベートーヴェンは,声を扱うのが苦手だったのだろうと思う。

 

 さて,このCDの解説(ユリア・スピノラ/余田安広訳)に「サウンドの温かさと演奏の精密さは両立しない,という誤った認識をブロムシュテットは捨てた」とあり,レコード芸術11月号160ページからの増田良介氏と12月号月評の満津岡氏がともに名言であるかのように取り上げているが,全くそうは思わない。増田氏は,この一文を取り上げて,「虚を突かれる思いがした」と述べており,満津岡氏は,「当セットのライナー・ノーツに~と記されている通りであり」と述べている。

 「捨てた」ということは,それまではブロムシュテットは「サウンドの温かさと演奏の精密さは両立しない,という誤った認識」を持っていた,ということになるが,そうではないだろう。そんなことを言われたら,ブロムシュテットは「そうじゃない!全然分かってないな!」と言うのではないか。

 これまでずっと両立させようと努力してきたからこそこれだけの演奏に到達できたのであって,認識を捨てればすぐ達成できるものではないだろう。しかも,おそらく,このCDも到達点(ゴール)ではなく,あくまで現時点でできるだけのことをした結果だ,と言うのではないか。

 この文章,傲慢な上から目線の評論家が自分の文章に酔いながら書いたように思えて,気分が悪い。また,その文章に目を付けたと得意気になっているように見える日本の評論家も気持ちが悪い。

 とここまで書いて,やはり釈然としなかったので,解説書の原文(ドイツ語)を読んでみると,次のように書いてあった。

 Blomstedt räumte mit dem Missverständnis auf, dass Wärme des Klangs und Präzision des Zusammenspiels einander ausschließen.

 問題は下線のところ,aufräumenとdemで,aufräumenは辞書を引くと,後にmitが続くので「排除する」「一掃する」という意味であり,ブロムシュテット(彼の)「~という誤った認識を捨てた」ではなく,ブロムシュテット(世間の人々の)「~という誤った認識を一掃した」という意味で,つまりは,ブロムシュテットは(世間の人々の)「~という認識が誤りであったことを証明して見せた」といった趣旨だろうと思う。

 そうすると,全くの誤訳であり,その一文を「いかにもそのとおりだ」というように取り上げた日本人評論家の評は,何とも恥ずかしい限りである。

 それでも,スピノラ氏の言いようは大仰で好きではない(ドイツ人らしい持って回って言い方,と言うべきか)が,そうは言っても,温かい響きと演奏の精密さが非常に高い次元で両立しているのは確かであり,その認識自体には全く賛成である。

 ここ十数年で発売されたベートヴェンの交響曲全集の中では,特に優れたものであることは間違いないと思う。

 

 

英デッカのアシュケナージ 協奏曲録音全集

 この2か月ほど,アシュケナージが録音した協奏曲のCDばかりずっと聴いていた。

 英デッカからCD46枚組+DVD2枚組のボックスセットが出て(4831752),発売と同時に買ったのだが,不良品が入っていることが分かったので,ほかにもないか,全部丁寧に聴くはめになったからである。

 普段だと,これだけの量のセットだと,一気には聴かず,ダラダラと時間をかけて聴くのだが,そうはいかなかった。

 

 結局,明らかにおかしいのが3枚あり,今,交換の手配をしてもらっている。

 明らかにおかしいのは3枚だけだったが(といっても,3枚もおかしいというのは,普通はまずないことだ),ほかにもノイズが気になるものがたくさんあって驚いた。

 会場ノイズでなく,電気的なノイズと思われるノイズが目立った。それも,80年代以降のデジタル録音のものでも結構あった。旧盤と聴き比べてみて,同じようにノイズが出ていたのもあった(ハイティンクとのラフマニノフ)ので,CDが不良品なのではなく,マスターをつくる過程での問題だと思われる。

 また,デッカの録音が鮮明なためか,会場ノイズも目立つ気がした。

 

 アシュケナージは,NHK交響楽団の音楽監督を務めたりと,日本ではなじみの深い音楽家であるが,指揮者としては見る機会が多かったが,ピアノを弾く姿は意外にほとんど見たことがない。

 今回のBOXセットでは,1974年のベルナルト・ハイティンクとのベートーヴェン/ピアノ協奏曲全曲演奏のDVDが付いており,貴重だ。もっとも,アシュケナージの弾く姿はそれほど印象に残らず,当時45歳にしては異様に老けたハイティンクの姿の方が印象に残った。髪が薄いというのが一番だが,それだけでない。今時,あんな45歳はあまりいないと思う。

 

 今回のアシュケナージのCDを聴いての印象,というかアシュケナージの特徴として思ったのは,①名曲主義,②全集主義,③100点主義,の3点である。

 

 「名曲主義」については,録音されたレパートリーが超有名曲に偏っているということ。これは珍しいなという曲は,プレヴィンのピアノ協奏曲ぐらいか。もっともこれはアシュケナージのために書かれた曲ということなので,他の曲と同列には語れない。

 強いて言えば,スクリャービンのピアノ協奏曲が比較的珍しいかもしれない。

 まず聴いたことのない作曲家の作品というのは,1つもない。今回の全集に入っている曲の作曲家を並べてみると(収録順),ラフマニノフチャイコフスキー,バッハ,ショパンブラームスモーツァルトスクリャービンベートーヴェンプロコフィエフシューマンバルトーク,プレヴィン,グラズノフ,フランクとクラシック音楽好きなら知らない人のいない名前ばかり。

 逆に有名曲なのに録音していないのは,ハイドン以前のものは別にすると,グリーグ,リスト,ラヴェルぐらいか。サン=サーンスショスタコーヴィチもない。

 

 「全集主義」については,複数のピアノ協奏曲を作曲した作曲家のもので,全曲を録音していないのは,バッハとチャイコフスキーだけ。

 アシュケナージのレパートリーからみてバッハは特殊なので,実質的にはチャイコフスキーだけと言っていい。そのチャイコフスキーも,第2番と第3番はあまり演奏されないので,意外と言えるほどのものではない。

 面白いのは,何度も録音しているものと,ある時期に集中的に録音していないもの。

 何度も録音しているのは,ラフマニノフベートーヴェン。全集ではないがモーツァルトも。

 たいていは長くても数年の間に全曲録音しているのだが,ショパンは,第2番を1965年に録音していながら,第1番は引き振りで1997年に録音するまで,ずっと録音していなかった。

 また,意外と再録音が少ない。先に挙げた3人以外では,ブラームスの2番を2回録音しているだけ。

 ショパンの2番やチャイコフスキーの1番など,初期に録音したきり再録音していないというのは,かなり意外な感じがする。

 何度も録音しているラフマニノフベートーヴェンだが,演奏の違いは,アシュケナージというより協演者の違いが大きいように思う。

 ラフマニノフの全集の指揮をしているのはプレヴィンとハイティンクだが,プレヴィンの方が上手だと思う。より緩やかなテンポで,表情豊かであり,盛り上げるところは力強く鳴らしている。一方のハイティンクは,速いテンポで直線的。ひたすら真っ直ぐという感じ。また,オーケストラもプレヴィンのロンドン交響楽団の方が上手いと思う。コンセルトヘボウの方は,新しいし会場のよさもあって録音はずっとよいが,管楽器はあまり上手くない。

 ベートーヴェンは,ショルティとのものはオケの演奏も録音も雑。勢いはあるが,ゴリゴリしていて,ほかのCDとは色合いが違うように思う。アシュケナージは相変わらずだが。メータとのものは,アシュケナージの演奏はうっとりするほど美しいし,ウィーン・フィルの音もやはり美しいが,メータの表現はひたすらぬるい。弦楽器中心で管や打楽器を強調しないし,ただただ弦を綺麗に鳴らすだけ。これがウィーン・フィルでなければ,聴くのはかなり辛いと思う。これを聴くと,メータがベートーヴェン交響曲を録音しない理由が分かるような気がする。録音しない,というより,周囲も録音しろと言わないのだろう。クリーヴランド管との弾き振りだけはちょと毛色が違う。かなり自由に弾いている感じがして興味深い。ただし,クリーヴランド管の音は固すぎてダメだと思う。

 

 「100点主義」については,どの演奏も模範的でどんな細かい音もきちっと最高の美音で鳴らしており,まさに100点満点の演奏。エキセントリックな解釈とも無縁。それでいてつまらないということはない。しかし,部分的に,あるいは曲によって120点の表現を狙うということはない。

 そのためだろう,名曲名盤○○みたいなもので,アシュケナージの録音が1位になることは少ないように思う。

 しかし,こうしてまとめて聴くと,どの曲の演奏ももやはり凄いと思う。

 

 最近はN響を振る機会も減っていて,忘れられつつあるような感じもするが,ナメてはいけない。大音楽家である。

 

 

 商品自体の特徴をまとめておく。

 しっかりした装丁の箱に入っていて,おそらく初出時のものを基本に,CDは紙ジャケットに入っている。デザインも初出時のものだろう。2枚組のものは2枚組の仕様,3枚組のものは3枚組の仕様になっているので,特に3枚組のものは非常に取り出しにくい

 紙ジャケットはつや消しの固い紙で,そのせいか印刷の色が薄い。かなり薄く見える。これは残念だ。

 ブックレットもしっかりした装丁で,データ類もきちんと書かれている。モーツァルトの協奏曲は,誰のカデンツァかも記載がある。

 今回のBOX化に際してリマスタリングがされているのかと思ったが,残念ながら,新たにリマスタリングされたものではなかった。1970年~71年録音のラフマニノフの全集だけは2013年か2014年のリマスタリング(日本のユニバーサルのHPでは2013年とあり,ブックレットにはP2014年とある)で,ほかは初CD化したときのままのようだ。中には1960年代のラフマニノフのように,ORIGINALSシリーズでリマスタリングされたのもあるわけだが,記載が何もないので,今回どのマスターが使われたのかは分からない。

 聴いた感じでも,前記のハイティンクとのラフマニノフように,初期のCDと同じマスターを使っているようで,いただけない。

 今回初出のものがあって,1974年にロンドン交響楽団を弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲第23番は,これまでリリースされたことがなかったと書いてある。ということで,非常に貴重なものということになる。同じCDに入っている第21番も,2003年にGreat Piano ConcertosというBOXセット(473 601-2)のボーナスCDとして出たことがあっただけで単売されたことはないので,貴重な音源だ。

 

 不良品が入っていたのは別として,全体として丁寧につくられているだけに,音質の改善がされていないのはとても残念である。

 今後,リマスタリングされたセットが出たりしたら,かなりショックである。

 

 

SONY Music Center for PCとMedia Go

 パソコンで音楽ファイルを管理するソフトは,ずっとソニーのものをメインに使ってきた。ウォークマンで聴くのが一番多かったので自然にそうなったわけだが,SonicStage (CP),x-アプリMedia Goときて,この秋からはMusic Center for PCを「使え」ということになった。ユーザーからすれば,まさに「使え」である。

 SonicStageはすでにリリースが終了していて,x-アプリに移行済み。これと併存する形でMedia Goがあって,ソニーとしてはどちらを使ってほしいのかよくわからない状況が続いていた。しかし,Media Goの方が新しく,設計思想がSonicStagex-アプリとは全く違っていて,ソニーとしてはMedia Goを使ってほしいのだろうとはみんな思っていたと思う。

 そんな中で,x-アプリの進化版といえるMusic Centerがリリースされたので,衝撃は大きかったわけである。

 

 SonicStage CPは既に手に入らないが,そうなる前にパソコンに入れていて,Windows 7でも問題なく動くので,FLACをメインに使うようになるまでは,つい最近までずっとSonicStageをメインに使ってきた。x-アプリの方が使いにくい点がいろいろあったからである。

 FLACをメインにするようになって,Media Goを本格的に使うようになったが,しばらくは使い勝手が違いすぎてなかなか慣れなかった。それがようやく慣れたところでMusic Centerを使えということなので,戸惑うのは当然である。しかも,今回はどうも本気でMusic Centerに移行させようという気らしい。というのも,x-アプリが出てもしばらくはSonicStageが使えていたし,Media Gox-アプリは併存していたわけだが,Media Goは今年いっぱいでダウンロードできなくなるという。x-アプリの方は聞こえていないが,使い勝手がほぼ変わらないので,あってもなくてもたいした影響はない。もっとも,x-アプリをなくすと,ATRAC系でリッピングできるソフトがなくなる(逆に,FLACではリッピングできない)ので,しばらくは残すかもしれないが。

 

 今のところ,音楽管理ソフトは,ファイルフォーマットによって数種類を使い分けてきた。ATRACSonicStage CP,ATRAC Advanced Losslessはx-アプリ,MP3はBeatJam,AACiTunesWMAWindows Media PlayerFLACMedia Goという具合である。

 これらのうち,MP3,AACWMAの3つは音楽管理ソフトで管理する必要がほぼなくなっている。ATRAC Advanced Losslessも,FLACに移行しているので,ほぼ管理不要になっている。残るのがATRACFLACということになる。これらを分けて管理すればよいということだが,ATRACは再生とウォークマンへの転送のみでもうリッピングすることはない。そして,Media Goはもう完全に見捨てられたソフトになってしまう。

 そんなこんなを考えると,FLACは完全にMusic Centerに移行させ,ATRACx-アプリまたはSonicStageを使うのがいいのではという結論に至った。慣れているからといつまでもMedia Goを使っていると,いまだにSonicStageATRACを捨てられない状況がいつまでも続き,最後は悲惨な状況になりそうな気がする。

 なお,SonicStagex-アプリは同時に起動することができなかったが,Music Centerとx-アプリは同時に起動することが可能である。

 このような状況の中,当面どのように使い分けていくのがよいか,Music CenterとMedia Goの使い勝手を中心に比較しておく。

 

【動作の軽さ】

 これは,圧倒的にMedia Goの方が優れているSonicStagex-アプリと使ってきて,初めてMedia Goを使ってみたときに,一番驚いたのはこの動作の軽さだった。

 SonicStagex-アプリも,管理する曲数が増えるにつれ,どんどん動作が遅くなっていった。これはもうどうしようもないのではないかと諦めていたのだが,Media Goはそういう先入観を完全になくしてくれた。

 Media Goは,とにかく軽い。特に,リッピングする際にサクサク動くのはとても気持ちがいい。リッピングした曲のプロパティを変更する場合もそう。ほぼリアルタイムで情報が更新されていく。SonicStagex-アプリだと,何かいじるとしばらく固まってしまうのだが,Media Goではそんなことはない。

 Music Centerは,x-アプリがベースなので,やはりMedia Goに比べると,圧倒的に遅い。x-アプリよりはましになった感じもするが,それでもやはりMedia Goには全然かなわない。

 何が原因でこういうことになっているのだろうか。ソフトの基本的な作りが違うのだろうと思うが。

 これから先,Music Centerを使わせたいのであれば,ソニーに一番に改善してもらいたいのは,これだ。

 

【CD取込みのフォーマット】

 どちらもATRAC系での取込みは対応していない。残念だが。

 それ以外では両ソフトで違いがあり,次のとおり。

①Music Center for PC

 WAV 1411kbps

 MP3 320kbps,256kbps,224kbps,192kbps,160kbps,128kbps,

    112kbps,96kbps

 AAC 320kbps,256kbps,192kbps,160kbps,128kbps,96kbps,80kbps

 FLAC 950kbps

 MP3とAACでは,「音質を優先する」と「取り込み速度を優先する」を選択できる。どの程度違いがあるかは,分からないが。

Media Go

 AAC 320kbps,256kbps,192kbps,160kbps,128kbps,96kbps,64kbps

 MP3 320kbps,256kbps,192kbps,160kbps,128kbps,96kbps,64kbps

 FLAC (ビットレート表示なし)

 このように,Music Centerの方が対応フォーマットは多い。特に,WAVで取り込めるメリットは大きい。

 また,どちらもWMAには対応していない。ATRAC同様,もはや終わったフォーマットだということだろうか。

 ちなみに,ビットレートを選ぶ際,数字の小さい方が上に来るか,数字の大きい方が上に来るか,両ソフトで違いがある。開発部署の違いがこういうところにも現れるということか。

 

【再生可能なファイルフォーマット】

 Music Centerの方が対応フォーマットはやや多い。これからのことを考えると,MQAに対応しているのは大きいかもしれない。

①Music Center for PC

 ATRAC (.oma/.aa3)

 ATRAC Advanced Lossless (.oma/.aa3)

 WAV (.wav)

 MP3 (.mp3)

 AAC (.3gp/.mp4/.m4a)

 HE-AAC (.3gp/.mp4/.m4a)

 WMA (.wma)

 DSD (.dsf/.dff)

 FLAC (.flac)

 MQA (.mqa.flac)

 APE (.ape)

 ALAC (.mp4/.m4a)

 AIFF (.aiff/.aif)

Media Go

 AAC (.3gp/.3gpp/.m4a/.m4b/.mp4)

 適応マルチレート(AMR)/ 適応マルチレート広帯域(AMR-WB)(.amr)

 AIFF (.aif/.aiff)

 ALAC (.m4a/.mp4)

 ATRAC/ATRAC Advanced Lossless (.aa3/著作権保護のされてない .oma)

 DSD (.dff/.dsf(2.8 または 5.6 MHz))

 FLAC (.flac)

 MP3 (.mp3)

 Ogg (.oga/.ogg)

 WAV (.wav)

 WMA (保護されていない .wma)

 Music Centerのヘルプでは明記されていないが,著作権保護されたATRACファイルは取り込めなかった。

 

リッピングしたデータの比較】

 FLACリッピングした場合のデータを比較すると,両ソフトに違いがあることが分かった。

 試しに,クリスティアン・ツィマーマン(ツィメルマン)のピアノ,レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるブラームスのピアノ協奏曲第1番(ドイツ・グラモフォン)で比較してみた。以下はMusic Centerでの表示である。

 演奏時間は,第1楽章24:39,第2楽章16:28,第3楽章12:59である。

①Music Center for PC

 第1楽章 ファイルサイズ86.5MB,ビットレート489kbps

 第2楽章 ファイルサイズ46.7MB,ビットレート397kbps

 第3楽章 ファイルサイズ46.4MB,ビットレート494kbps

Media Go

 第1楽章 ファイルサイズ85.7MB,ビットレート484kbps

 第2楽章 ファイルサイズ45.9MB,ビットレート388kbps

 第3楽章 ファイルサイズ45.4MB,ビットレート490kbps

  と,ファイルサイズ,ビットレートのいずれもMedia Goの方が小さい数字となった。ファイルサイズの差はわずかだが,ファイルの数が多くなると違いは大きくなるので,少しでも小さい方がいい。

 Media Goの方が圧縮率が高いということだが,正確に測ってはいないが,リッピングにかかる時間はMedia Goの方が短いようだ。

 ただし,このCDではないが,Media Goではきちんとリッピングできないトラックがあった(ものすごく時間がかかり,ノイズだらけ)が,Music Centerでは何の問題もなくリッピングできたものがあった。

 もちろん,同じPC(Windows 7)での比較である。

 

【Gracenoteの違い】

 同じサービスなので同じようになるのかと思ったら,違いがあった。

 ポピュラー音楽しか聴かない人は分からないと思うが,クラシック音楽の場合,1枚のCDに複数の登録があることは普通で,ひどいと10種類近くあったりする。

 上記ツィマーマンのブラームスの場合,Music Centerでは3種類,Media Goでは4種類出てきた。なぜこういう違いが出るのかは謎である。

 

【ジャケット写真の自動取得】

 リッピングする際に,Gracenoteのデータベースからジャケット写真を自動取得するかどうかである。

 Music Center,Media Goのどちらも,設定項目に自動取得するというのがあるのだが,実際には,Music Centerの方は自動取得してくれない。完全にインチキである。

 Media Goの場合,Gracenoteに複数の登録がある場合は,ジャケット写真も含めて,取り込む前に好きなものを選ぶことができる。ただし,クラシック音楽の場合,写真が間違っている場合が結構あって,そのまま取り込まれると困る場合があるのだが,そのときは,「アルバム」名か「アルバム アーティスト」名を修正すると,ジャケット写真が消える。取り込んだ後から間違った写真を消すこともできるが,トラック数が多いときはかなり手間である。

 Music Centerの方は,取り込んだ後にアルバム名のところで右クリックし,「ジャケット写真の取得」を選ぶと,写真が取得されるのだが,複数登録があっても自分では選べないし,間違った写真でもキャンセルできないので,そのときは後で1つずつ削除するしかない。Media Goに比べると,かなり不便だ。

 

リッピングした後のファイル管理】 

 Media GoとMusic Centerはファイル管理の方法(思想)が全く異なる。

 音楽ファイルに限らず,写真なども含めたメディアファイルを管理する考え方には,大きく2つあるように思う。

 1つは,ソフトに管理するファイルを個別に登録するもの,もう1つは,管理するフォルダを指定しておき,そこにあるファイルだけが管理(というか監視)されるもの。

 前者の考え方でつくられているのは,SonicStagex-アプリ,Music Center。後者の考え方でつくられているのは,Media Goソニーのソフトだと,画像管理ソフトのPlayMemories Homeも後者の考え方でできている。

 Music CenterとMedia Goとの違いで大きなものとしては,このほか,登録(編集)できるメタデータの項目や,リッピングした後に曲名や演奏者名を変更したりファイルを移動したりした場合の動作といったこともある。

 こうしたことは,専門家のレビュー等では取り上げられることがほとんどないが,日常的に使おうとする場合は,それによって手間暇のかけ方が随分違ってくるので,非常に重要である。

 以上のようなことは,やはりポピュラー音楽しか聴かない人には理解できないかもしれない。Gracenoteには通常1種類しか登録がないし,手動で曲名や演奏者名を変更するということは必要ないからである。

 しかし,クラシック音楽の場合は全然違う。

 前述のように,Gracenoteで1枚のCDに複数の登録があるのはざらだし,そもそも表記の仕方が全くバラバラだからである。英語かドイツ語か日本語かといった話ではない。

 例えば,先にファイルサイズ等の比較に使ったツィマーマンのブラームスの場合,Media Goで取得される4種類のアルバムタイトル名とアルバムアーティスト名は,次のとおりだった。

(アルバムタイトル名)

Brahms: The Concertos [Disc 1]
②1983.11 DG ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
バーンスタイン:ドイツ・グラモフォン録音集 Vol.1 [Disc 39]
ブラームス ピアノ協奏曲No.1(バーンスタイン,ツィメルマン)

アルバムアーティスト名)

①Krystian Zimerman; Leonard Bernstein: Vienna Philharmonic Orchestra
②ツィマーマン、バーンスタイン & VPO
③ツィマーマン(Pf)/バーンスタイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
バーンスタイン/ウィーン・フィル,ツィメルマン(p) (1983.11)

これは決して多い方ではない。このCDでは欧文表記のものが1種類だけだったが,欧文表記だけでも数種類あるのは全然珍しくない。

 これらから漫然と選んでリッピングしていたら,曲を探すことはほぼ不可能になる。したがって,リッピングする際には,自分でルールを決めて,そのルールに従って名前を付け直して管理しないといけない。自分でリッピングする場合だけでなく,ダウンロード購入する場合も同じである。そもそも,購入するために検索するだけでも非常に苦労するものだ。

 曲を管理するのに,名前などを自分のルールに当てはめようとすると,Gracenoteのデータはほぼ使い物にならないので,全て変更しないといけないことになる。

 したがって,この辺の使い勝手は非常に重要である。

 しかし,レコード芸術などを見ても,我々一般人よりはるかに多くの曲を管理しているはずの音楽評論家から,こうしたことの問題点や,便利なやり方の解説などの話は聞いた(読んだ)ことがない。みなさん,一体どのようにされているのだろう。

 前置きが長くなりすぎたが,どちらも一長一短があるものの,総じて言えば,Media Goの方が使いやすいように思う。何と言っても動作が軽いのが大きい。

 Music Centerでは,アーティスト名とジャンルはプルダウンメニューから既に登録されているデータを参照できるのが便利だ。Media Goは,リッピングする際はそういうことができないが,リッピング後は,タイトル名とアーティスト名は,頭の数文字を入力すると既に登録されているデータを参照して省入力することができ,便利になっている。

 メタデータだけでなく,ファイル名も合わせて自分のルールで変更しないと,後の管理が面倒になるので,それを考えると,リッピングする時に全部変更しておかないといけなくなりそうだ。Music Centerはまさにそうで,ファイルの移動も含め,リッピングしてしまった後はファイルをいじるのは面倒なところがあるので,全部やることをやってから取込みを開始しないといけない。設定で,「楽曲のタイトルを変更したとき,保存先のファイル名をタイトルに合わせて変更する」という項目があるのだが,フォルダ名は変更されないので,あまり役に立たない。

 一方,Media Goは,取り込んだ後でタイトル名やアーティスト名を変更すると,フォルダ名とファイル名が自動的に全部変更されるとりあえずリッピングだけしておいて,後からファイル名等を変更することができるので,時間がない時は非常に便利である。

 

【ファイルの保存場所】

 Media Goでも,Music Centerでも,デフォルトでリッピングしたファイルをどこに保存するかを指定することは可能である。しかし,ファイルのつくられ方は結構違う。

 Media Goの場合,指定したフォルダの直下に,アルバムアーティスト名のフォルダがつくられ,その中にアルバム名のフォルダができ,その中に音楽ファイルがつくられる。

 一方,Music Centerの方は,指定したフォルダの直下に「Shared」というフォルダが作られ,更にその下に「Music」というフォルダが作られて,その中にアルバムアーティスト名のフォルダ,アルバム名のフォルダができて,音楽ファイルがつくられる。「Shared」と「Music」というフォルダは邪魔だ。Media Goのように余計なフォルダがつくられなくなるよう,改善してほしい。

 

【ジャケット写真のファイル】

 Media GoでもMusic Centerでも,ジャケット写真は,アルバムに登録することも各ファイルに登録することもできる(分かりにくいので,実際にやってみないと分からないかもしれない)。

 Media GoでGracenoteからジャケット写真を自動取得したときは,各ファイルごとに登録される。自動取得しなかったときは,アルバムに登録した方が楽である。ファイルごとに登録しなくても,ウォークマン等で再生する場合に支障はない。

 Music Centerでは,アルバムに登録すると,各ファイルごとにも登録され,連動しているようなのだが,挙動にはよく分からないところがある。各ファイルのジャケット写真を全部削除すると,アルバムのジャケット写真もなくなってしまう。この辺はもう少しよく検証してみたい。

 大きな違いは2つある。

 1つは,Media Goはジャケット写真の登録がバックグラウンドで行われること。その分動作が軽く感じられる。

 もう1つは,Music Centerでは,アルバムのジャケット写真の管理用の画像ファイルが別に作成されるということ。設定で楽曲ファイルの保存場所に指定したフォルダの中に,「Shared」というフォルダが作られ,更にその中に隠しファイルで「Fringe」というフォルダができ,また更にその中に「0」から「9」のフォルダができて,それぞれフォルダの中に1辺が最大200ドットの画像ファイルの入ったフォルダが作成される,という複雑な構造になっている。画像ファイルの名前は,全て「coverart-01.jpg」で同じ。「0」から「9」のどのフォルダにどのトラックの写真が入るのかは,規則性はあるようだが,分からない。その中にできるフォルダの名前も,規則性はあるようだがやはりよく分からない。つまり,どの写真がどのトラックに対応しているかは,一見しては分からないようになっている。

 この画像ファイルを削除すると,Music Centerの画面で出ているアルバムのジャケット写真が消えてしまう。この画像ファイルを作成することで,動作を速くさせているのではないかと思うのだが,Media Goより全般的に動作が遅いので,どれほど効果があるのかは分からない。

 一番の問題は,このファイルがハードディスクを圧迫していることで,3万2千曲余り登録している状態で,800MB以上のハードディスクを占領されてしまっている。

 なお,あくまでMusic Centerでの表示上で使われているだけのようなので,ファイルを削除したとしても,ウォークマン等に転送してしまえば,特に問題はないようである。

 

【編集機能①:ファイルの変換】

  FLACをメインにしているはいえ,まだFLACに対応していない機器も持っているし,ファイルサイズが大きいという欠点もあるため,よく聴く音楽はいろいろなフォーマットで持っていたい。一度FLACで取り込んだものを変換する方が,別なフォーマットでCDからリッピングするよりも圧倒的に速いので,ファイルの変換機能は重要である。

①Music Center for PC

 何とこれが,WAV(リニアPCM)にしか変換できないのである。これではお話にならない。SonicStageでも,WAVかATRAC系にしか変換できなかったので,この流れを汲んでいるのだろうか。

Media Go

 AAC,MP3,FLACの3種類に変換できるAACとMP3はビットレートを選択化(96k~320k)。ただし,FLACをMP3に変換したところでは,ギャップレスにならないことが分かった。切れ目にノイズが入ってしまう。ファイル次第では,たまたまノイズが出ない場合もあるが。これは改善してほしかった。WAVからMP3に変換した場合も同じで,切れ目にノイズが入る場合がある。これを避けるには,サンプリング周波数とビット数がCDと同じであれば,一度CD-R(W)に焼いてからMP3にリッピングし直すしかない。

 一方,試してみた限りでは,WAVからFLACに変換した場合は,ギャップレスになっているようである。既に持っているWAVファイルをFLACにして,容量を小さくして保存しておきたいときも,安心である。

  また,FLACからFLACにも変換できるのだが,それでどうするのかと思いきや,44.1kHz/16bitか48kHz/16bitかを選択できる。もっとも,あまり意味はないと思うが。高性能なアップコンバート機能がついているのだろうか。だったらもっときちんと宣伝してほしい。

 

 一方,WAVには変換できないSonicStageでは,著作権保護されたファイルをWAVに変換することで,著作権保護なしにできるという裏技があったが,Media Goではそもそも著作権保護されたファイルは扱えないので,あまり使い道はないかもしれないが,ある種の保険として,WAVにも変換できた方がよい。

 

【編集機能②:ファイルの分割】

①Music Center for PC

 Open MG Audio(ATRAC系)と,MP3だけで,FLACは分割できない

Media Go

 分割でなく,トリミングという方法を使う。したがって,単純にある1点で分割しようと思えば,開始位置と終了位置を正確に覚えて(メモして)おかなければならないので,気を遣う。ただし,続けて作業を行う場合は,終了位置をMedia Goが記憶している(開始位置になっている)ので,その辺は考えて作られている。

 この方法でFLACを分割した場合に,続けて再生してギャップレスとなるかを確認したところ,試した限りでは,ギャップレスになっているようである。

 

【編集機能③:ファイルの結合】

 車で音楽を聴く場合など,カーナビ等の再生機器がギャップレス再生に対応していないと,聴いていてひどくイライラするので,よく聴くものは結合して1つのファイルにしておいた方がよい。

①Music Center for PC

 ファイルの分割と同じで,Open MG Audio(ATRAC系)と,MP3以外は結合できないなぜFLACに対応させないのかSonicStage以来の機能を引き継いだだけで,最新・最良のものにしようという意欲を感じない。サボっているだけか。

Media Go

 FLACとMP3は,結合可能(ほかはまだ未検証)。FLACでは,結合部分にギャップやノイズが入ることはない。MP3ではどうなるかは未検証。少なくとも,Media GoリッピングしたのでないMP3では,ギャップかノイズが発生する可能性が高いと思う。

 

 

【結論】

 既に約40,000曲を取り込んだ状態で比較すると,リッピングFLACの場合)と取り込んだ音楽の管理・再生とに分けて考えると,リッピング・編集はMedia Go,管理・再生はMusic Centerを使うのがベストであった。

 リッピングMedia Goの方がいい理由は,①動作の圧倒的な軽さ,②ジャケット写真の自動取得,③ファイル管理(名前の変更,移動,無駄なファイル・フォルダがない),④リッピングのスピード,⑤編集機能(FLACの分割,MP3等への変換も可能,FLACならギャップレスでの変換・分割に対応),が優れているから。

 管理・再生がMusic Centerの方がいい理由は,①一覧画面の見やすさ,②音質,③ギャップレス対応(MP3はダメだが),④対応フォーマットの多さ,⑤WAVへの変換が可能,が優れているから。ただし,管理曲数が多くなってきたら,起動に異常に時間がかかる場合がでてきた。毎回ではないので,どういう状況でそうなるのか,これから先が心配ではある。

 

 当面,ダウンロードしておけばパソコンを買い換えたりしてもMedia Goを使い続けることは可能のようなので,その間に持っているCDをリッピングしつくすしかなさそうだ。

 

 

SONY Music Center for PCのギャップレス再生対応状況

 SONYのPCでの音楽管理ソフトが,Music Center for PCというx-アプリベースのソフトに変わった。

 今のところはMedia Gox-アプリもダウンロードでき,同一PC上で共存もできるが,いずれはMusic Centerに一本化されるのだろう。順調にいけば。SONYのことなので信用できないが。

 

 Music Centerは,x-アプリをベースにしていて,対応フォーマットについてざっくり言うと,ATRACATRAC Advanced Lossless,WMAHE-AACでのリッピングと音楽CDの作成ができなくなり,FLACでのリッピングが可能となった。

 再生はATRACATRAC Advanced Lossless,WMAHE-AACのほか,DSDやMQAにも対応している。

 

 まだ使い始めたばかりなのではっきりとは分からないが,x-アプリは重かったので,そこが心配である。また,ファイル管理に癖があって使いづらい。この辺は,Media Goの方がよかった。

 

 いろいろ検証すべきことはあるが,まずはギャップレス再生の対応状況を調べてみた。

 なお,SONYのサポートのサイトには,「ウォークマン本体で,曲間を空けずに再生する「ギャップレス再生」ができません。(ウォークマンA/E/F/S/X/WM1/Z/ZXシリーズ)というQ&Aが載っていて,まとめてあるが,ウォークマンで再生する場合であって,Music Center for PCでの再生については書いていない。

 

 まず,Music Center for PCでリッピングして,Music Center for PCで再生した場合を調べた。

 その結果,なぜかMP3はギャップレス再生ができなかった。ただし,それをウォークマン(F880シリーズ)に転送すると,ウォークマンではギャップレス再生ができた

  FLAC  ○

  MP3(速度優先)  ×

  MP3(音質優先)  ×

  AAC(速度優先)  ○

  AAC(音質優先)  ○

  WAV  ○

 

 次に,他のソフトでリッピングしたのも再生してみた。

  ATRAC3 Plus(SonicStage CPで作成)  ○

  ATRAC Advanced Lossless(SonicStage CPで作成)  ○

  MP3(Media Goで作成)  ×

  AACMedia Goで作成)  △(ギャップレスだが,ノイズが出る場合あり)

  FLACMedia Goで作成)  ○

 ATRAC系が大丈夫なのはx-アプリベースだからだろう。Media Goはギャップレス再生できなかった。

 やはりMP3はダメ。AACは謎。

 FLACが大丈夫なのには安心した。

 

(続く)

 

 

googleマップで福島県飯舘村内の施設・事業所がなくなっている件

 googleマップを見ていたら,福島県飯舘村内の施設や事業所が表示されなくなっているのに気が付いた。

 例えば,8月末にオープンしたばかりのローソン飯舘臼石店。試しに検索してみると,「閉鎖」,「閉業」となっていた。つい昨日,営業しているのを確認したばかりである。

 ほかにも,営業しているはずの施設や事業所が軒並み消えていて,検索して見てみるとやはり「閉鎖」,「閉業」となっていた。

 誰かの悪いいたずらか。酷いものだ。

 

 どうも,閉業の修正提案をするのは簡単だが,その後元に戻すのは審査に時間がかかるようだ。

 しかし,閉鎖にされてしまうと検索しない限り出てこないので,一つ一つ探して元に戻すのは容易ではない。

 googleには,こういうことが起きていることを把握して,きちんと対応してほしい。そもそも,おそらく一人が大量にやっているはずなので,おかしいと気付かないのはおかしい。危機管理上も問題だ。

 

 

トスカニーニ生誕150年

 今年はイタリアの指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)の生誕150年になる。と言われてもさっぱりピンと来ないのは,なかなか聴く機会がなかったからだろう。

 後の指揮者に与えた影響からすると,フルトヴェングラーなんかよりも遥かに大きな存在だったのではないかと思うのだが,例えばMUSIC BIRDのTHE CLASSICでも,放送される機会は非常に少ない。フルトヴェングラーワルターがわりと定期的に新譜(再発も含め)が出て放送されるのに対し,トスカニーニはめったにない。クナッパーツブッシュなんかに比べても少ないと思う。

 しかし,後の指揮者に与えた影響は絶大だと思う,フルトヴェングラーの信奉者はたくさんいるが,第2のフルトヴェングラーはついに現れなかったと言っていい。現代の指揮者で言えば,フルトヴェングラー信奉者として有名な指揮者にダニエル・バレンボイムがいるが,彼の演奏を聴いてフルトヴェングラーの後継者だと思う人はいないだろう。あのクラウディオ・アバドだって,「アバドは自分に最も大きく影響を与えたベートーヴェン演奏として,フルトヴェングラーによるものを上げている」のだそうだ(ウィーン・フィルとのベートーヴェン交響曲第9番のライナーノーツより)。しかし,これまたフルトヴェングラーとは全く似ても似つかない。

 しかし,トスカニーニの演奏の影響を受け,それを(一部でも)引き継いだと言われる指揮者は山ほどいると言っていいと思う。

 それほどの指揮者なので,いろいろ聴いてみたいと思うのだが,音が悪いと評判のモノラル録音ばかりではなかなか買おうとは思わないし,放送される機会も少ないので,ほとんど聴けないまま来ていた。

 

 そのトスカニーニの特集がレコード芸術2017年8月号で組まれた。

 なかなか充実した内容だったと思う。それで,そういえばトスカニーニの特集なんて読んだことないなと思ったら,10年前にも生誕140年&没後50周年で特集が組まれていたという。全く記憶になかったが,確かに2007年12月号を引っ張り出してみたところ,特集が組まれていた。

 それはさておき,いつもレコード芸術でこの手の企画を読むと気になることがあるので,書いておく。

 時代背景,演奏の特徴,他の指揮者への影響,代表的名盤などは,当然いろいろな観点からいろいろな評論家の方が書いているが,人間的な部分,すなわち,プライベートなことや内面的なことについては,あえて触れないようにしているように思う。様々な面白い逸話なども,あえて載せないようにしているのではないか。

 なので,どういう演奏の特徴があったのかは分かるが,なぜ彼が(ほかの指揮者と違って)ああいう演奏をするようになったのかや,どういう人たちと個人的なつながりがあったのかなどは,ほとんど触れられない。人としての面白さが全く見えてこない。その辺がいつも不満に思うところである。

 他の演奏家の企画でも,例えばもう数年前になるが,クラウディオ・アバドの特集でも強く感じた。

 やはり,編集方針として,あえてそうしてるのだと思うが,そこは何とも物足りないのだ。客観的な記事を載せることに拘りすぎているのだろうか。もっと踏み込んでもいいのではないか。

 既にクラシック音楽好きになっている人ばかり相手にするのでなく,これから好きになる人を増やすということからも,そういう観点からの記事があってもいいと思う。

 今度,一人の音楽家を特集として取り上げる際は,ぜひ御一考願いたいものだ。

 

 

 ちなみに,「名盤対決!」のレスピーギ:ローマ三部作では,ぜひアンドレア・バッティストーニ/東京フィルの演奏(DENON COGQ68)も取り上げてほしかった。特に「ローマの祭り」は涙が出るほどもの凄い演奏なので。いろいろ聴き比べたことがあるが,この曲だけはトスカニーニのものも聴くことができて,バッティストーニに並びうるのはトスカニーニだけだと思った。これがステレオの鮮明な録音だったらどれだけ凄かっただろうと残念に思ったものだ。相場さんも「《ローマの祭り》に触れる紙幅がすっかりなくなってしまった」と書いているが,写真を削ってでも《祭り》に触れてほしかった。

 

 

MIKIKO先生のSWITCHインタビュー

 Perfumeの振付で有名なMKIKO先生が,NHKの「SWITCH インタビュー 達人達」に出ていた(8月19日)。お相手は,美術監督種田陽平さん。

 

 最近のPerfumeの振付にはすごく違和感を感じていたので,興味深く見た。違和感というのは,手話?とカンフー?ばかりじゃないか,ということ。カンフーのような動きについては言及がなかったが,手話か?ということについては,先生自身が実際に「TOKYO GIRL」や星野源の「恋」を例に解説されていたので,意図するところはよく分かった。

 分かったというか,言われないと全然分からなかった。一つ一つに動作に歌詞と連動した動きがあるということは分かったが,そこにこだわりすぎて,ダンスとしての純粋な楽しさが損なわれているのではにないかと思った。

 確かに「恋ダンス」は大ブレークしたが,ずっとPerfumeの踊りを見ていた人間からすると,どんどん細かくなってきて,しかもどういう意味があるのかよく分からない動きが多くて,面白くないなと感じていたからだ。

 「チョコレイト・ディスコ」の解説もあって,ここでも今まで分からなかった謎が解けた。指で「2」,「1」…と示す動作があるのだが,「2」,「1」,「4」で2月14日のバレンタインデー意味していたのだそう。今まで数え切れないほどPVを見ているが,全く分からなかった。あそこだけ違和感があったので,「そんなことだったのか」という思いと,「何もそんなことしなくても」という思いの両方を感じた。

 Perfumeの踊りを見ている人は,みんな何も言われなくても理解していたのだろうか。理解できたとして,だから何なの?と思ってしまった。

 その「チョコレイト・ディスコ」の頃と比べと,本当に最近の振付は謎だらけである。あの数字の部分を除けば,「チョコレイト・ディスコ」の振付は本当によくできていると思う。シンプル(といっても踊るのが簡単というわけではないが)でかつPerfumeの3人の魅力に溢れている。だから今でも人気なのだと思う。

 

 そんなに歌詞と連動した踊りをさせたいのであれば,いっそ本物の手話で振付をしたらどうだろう。そういうのってあると思うのだが,MIKIKO先生が振付をしたら,手話をやられている方は喜ぶのではないか。

 

 そうでないなら,もう手話っぽいのとカンフーはたくさんですMIKIKO先生。