N700S!?

 東海道・山陽新幹線の新型車両N700Sのデザイン等が公開された。

 それにしても,なぜ「N700S」なのか。N700系のときも思ったが,よほどJR東海はネーミングのセンスがないらしい。

 JR東海の新幹線は700から進化しないのだろうか。そんなに700という数字が好きなのか。

 何だかすごく情けない感じがする。開発に当たった技術者の方たちはどう思ってるんだろう。

 

 

何のためにメモを取るのか

 加計学園の問題は相変わらず訳が分からないが,なので,特に気になる,おかしいと思うことに絞って「メモ」しておく。

 

 文部科学省から出てきた,萩生田光一官房副長官の発言を書いたという文書について,文書は存在したが,書いた方も記憶が曖昧で,真実かどうか分からないということになっているらしい。

 当たり前である。

 記憶はだんだん曖昧になるから,メモを取るのだ。

 曖昧な記憶と,当時書いたメモのどちらが信憑性が高いかと言えば,メモの方に決まっている。

 いくら頭のいい国家公務員だった,日々いろんな仕事をしている中で,いちいち全てを覚えてはいられないだろう。

 特に頭がいい(と世間から思われているような)人だって,国会に呼ばれたり裁判所に呼ばれたりすると,平気で「記憶にありません」と言うくらいなのだから,文科省の課長補佐(おそらくノンキャリ。ということで,バカにしている輩がいるんだと思うが)が全部覚えてる方がおかしい。

 だからメモを取るのだ。

 それを,記憶が曖昧だと正直に話したことをの揚げ足を取って喜んでいる奴らは,バカだ。

 

 メモを取るのは,記憶が日々薄れゆくためと,周囲と情報共有するためだろう。

 国の人たちと一緒に仕事をしたことがあるが,彼等はメールで情報共有するのが大好きである。

 いちいち,メモを印刷して上の人まで回覧してはんこを押してもらったりすることは,ほとんどないように思った。そのかわり,かなり偉い人にも平気でメールを送っていたようだった。

 今回の問題で,政権寄りの人たちが,出てきた文書の形式がどうだとか,内容が曖昧だったり雑だったりして,本物か疑いがあるというようなことを言っていたようだが,そんなのも,十分あり得る話だと思っている。

 国の人って,結構適当なのだ。

 政治家なんかは,きちんとした書類しか見たことがないのかもしれないが,役所内で出回っている文書はそんなもんじゃない。かなり怪しげなものが流通している。

 特に,やたらプライドが高いことで有名なK産省の課長補佐級の方が作るメモは本当にひどかった。

 いわゆる5W1Hが全くなく,その場にいた関係者以外は何のことだかさっぱり分からないようなメモをつくっては,メールでばらまいていた。

 だから,今回出てきた文書が多少アバウトでも,全く驚くに値しないというのが感想だ。

 それを,元官僚の御用学者や評論家が必死になって批判しているが,何を言ってるんだと思う。奴らの言うことの方が全く信用できない。本当に役所の中でちゃんと仕事をしてきたのかと思う。

 

 もう一つ,大臣,副大臣事務次官等が知らない文書は,怪文書だというようなことを言っている人がいたが,末端の職員が職務上作成した文書の全てを彼ら偉い人は全部承知しているというのだろうか。

 全く馬鹿げた話だ。

 そんな突っ込みどころ満載の発言を聞いても何も言わないマスコミって,何なんだろう。

 

 

 これまで,御縁があって読売新聞を購読してきたが,そろそろ本気でやめることを考えた方がよさそうだ。

 信じられない記事を各新聞に払う金はないし,そんなのを読んで時間を無駄にするほと暇でもない。

 

 

MUSIC BIRD THE CLASSICのノイズ問題

 衛星デジタル音楽放送MUSIC BIRDの「THE CLASSIC」は,クラシック音楽ファンにはなくてはならないものと言っていいだろう。

 以前のリニアPCM放送(16bit,48kHz)ではなくなったが,最近は,2016年10月から一部で24bit放送(対応チューナーが必要)が始まったり,2017年3月27日からはビットレートが256kpbsから320kbpsに引き上げられるなど,高音質化に取り組んでいるところだ。なお,フォーマットは16bit,48kHzのMPEG1 Layer 2(MP2)である。

 

 そんなMUSIC BIRDだが,最近おかしなノイズが乗るときがあることに気づいた。気がつくと気になってしょうがないものであるが,主にオーケストラ音楽で,時々「ササササ…」というノイズが出るのだ。結構ボリュームを上げないと分からないが,気になる。ライヴ録音だと余計目立つ感じがするし,古い録音だと更に目立つ。

 また,拍手が入っていると,そのところでは「キュルキュル…」というノイズが出る。

 

 チューナーからアナログ出力した場合だけでなく,光ケーブルで他の機器に接続して聴いた場合も出るので,チューナーの故障ではないような気がする。もちろん,アンテナの受信状況は良好である。

 

 何とか原因を究明して,ノイズが出ないようにしたい。

 

 

宇野功芳さん1周忌

 音楽評論家・指揮者の宇野功芳さん(1930-2016)が亡くなってもう1年が経つという。レコード芸術6月号で特集を組んでいるが,評論家の特集を組むのは,宇野さん以外では(少なくともここしばらくでは)吉田秀和さんくらいだろう。それだけの人だったのは確かだと思う。

 はっきり言って全面的に好きというわけではなかったが,月評は必ず読んでいたし(面白いから),月評以外でも,宇野さんの文章は読む機会が多く,たくさん影響を受けたし,教えてもらったと思う。

 

 好きな演奏の傾向は必ずしも一致しなくて,むしろ外れの方が多かったように思う。感覚的には,宇野さんがベタ褒めしたものについては,6対4か7対3くらいで外れだったように思う。もちろん,例えばHJリムのベートーヴェン(録音は最悪)のような当たりもあった。宇野さんが褒めたおかげでその後大好きになった演奏家としては,ヴァイオリニストのギル・シャハムがいる。宇野さんがシャハムのチャイコフスキーシベリウスの協奏曲の月評で「妖刀の切れ味」と評したのを機に聴いてみてすっかりはまり,今では一番好きなヴァイオリニストと言っていい。もっとも,宇野さんはそのCDを褒めただけであって,シャハムが大好きだったわけではないようだが。

 一方,宇野さんが大好きなフルトヴェングラークナッパーツブッシュは苦手だ。苦手というより,モノラル録音ばかりなので聴く気にならないのである。貧弱な音では聴いていてストレスがたまるからだ。別にフルトヴェングラーが(人間的なことは別にして)嫌いなわけでも何でもない。余談だが,ああいう貧弱なモノラル録音を聴いても満足できる人というのは,ある意味人種が違うのかなと思う。自分には耐えられない。

 

 また,宇野さんというと,歯に衣着せぬ明快な物言いが特徴で,これでもかというほど褒める一方,メチャクチャにけなすことも多かったわけだが,不思議と,自分が好きな演奏がけなされても腹が立つことが少なかった。

 なぜだろうと考えると,宇野さんが音楽と演奏家に対して敬意を持って書いているのが何となく伝わるからなのかなと思う。おそらく,彼自身が演奏家であったからだと思う。「プロなんだからもっとできるはずだろ!」と叱咤激励しているように感じられるのだ。それと,宇野さんの場合,褒めてもけなしても,とにかく一度聴いてみようと思わせるということがある。むしろ,けなせばけなすほど,そんなにひどいんじゃ一度聴いてみたいなと思ってしまうのだ。これは,音楽評論で一番大事なことだと思っている。結局は自分で聴いてみないと始まらないからだ。「聴くに値しない」と言われても聴いてみるしかないのだ。

 ついでに言うと,よい音楽(レコード)評論だと思うのは,①どんな演奏家具体的にイメージできる,②とにかく1度聴いてみたくなる,③とにかく音楽が大好きである,④演奏家に敬意を持っている,といったことが伝わってくるもの。その上で,博覧強記だったり,情報通だったり,オーディオや最新テクノロジーに強かったり,文章がうまかったりすればなおよい。

 

 一般論として宇野さんが語ったことは,納得させられるものが非常に多かった。というか,大抵はそのとおりだなと素直に思えた。その中で「さすが,そのとおり!」と思ったものを,うる覚えであるが挙げてみる。

① 第一ヴァイオリンがきちんときこえないのはダメ

② 女声歌手のヴィブラートほど非音楽的なものはない

③ 変奏曲は嫌い

④ モーツァルトの《フィガロの結婚》では,第2幕のスザンナのアリア「おいで,お膝をまげて」が一番好き。

  ところが,④で宇野さんが一番好きな演奏として挙げるのはクレンペラー盤で歌っているレリ・グリストのものだが,聴いてみるとパッとしない。一般論と具体の演奏が一致しない例の一つである。

 

 

 さて,宇野さんは言ってないと思うが,最近の演奏(指揮者)の傾向について思うのは,音色やテンポの変化にはあまり興味がなく,ピリオド奏法をどう取り入れるかと強弱の付け方にばかり目が向いているように思う。

 そのうち,強弱について気になる演奏が多い。ラトルあたりが流行らせたように思うのだが,急に音を弱めてクレッシェンドさせたり,波状攻撃のように短い間隔で強弱を繰り返したり。どうも,音楽がせき止められるような感じがして,聴いていて気分が悪い。

 また,これもラトルがよくやるのだが,ほとんどの人が音を区切って演奏するところをダラダラとつなげて演奏させるのも嫌いだ。不良がズボンを引きずりながらダラダラと歩っているようで,気味が悪い。

 テンポについて言うと,曲想に逆らうようなテンポ変化で他人との違いを示そうとするような演奏が多いように思う。これも,音楽そのものの力を弱めてしまう。

 

 

バレンボイムのブルックナー

 ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンブルックナー交響曲全集の一部(第4番,第5番,第8番,第9番)を聴いてみた。

 グラモフォンの最新盤(4796985)だが,国内盤は未発売。売れないと見られたのだろう。レコード芸術では5月号の「View points」で採り上げられており,その前にも海外盤REVIEWでトップページで採り上げられている。レコード芸術は2015年6月号でバレンボイムを特集していて,日本で人気がないことを嘆くような内容だったので,編集部にバレンボイムの大ファンがいるのだろう。

 確かに,指揮者バレンボイムはよく分からない。今回聴いてみて一層謎だなと思った。ピアニストとしては評価している。特に,モーツァルトベートーヴェンは絶品だと思う。しかし,後期ロマン派になると,テクニックがかなり怪しくなるが。

 

 ブルックナーだが,ベルリン・フィル盤(テルデック)は全集を買った。ベルリン・フィルだから買ったのだが,さっぱりピンと来なくて,1度聴いたきり,ほとんど聴いていない。

 新盤はどうか。レコ芸では,バレンボイムブルックナーが日本で人気がない理由の一つとして,テンポを揺らすことを挙げている。確かに,ヴァントなどのブルックナーを信奉する人たちからはそうかもしれないが,それだけではないように思った。

 ブルックナーが苦手な人(自分もそうだ)は,ヴァントみたいなブルックナーが大嫌いだと思う。朝比奈はまだ聴ける。男の色気みたいなのがあるから。ヴァントはダメ。色気のかけらもない。で,聴くなら,ロマンティックに自由に演奏する方が聴ける。そういう意味では,ブルックナー嫌いに受け入れられる余地がありそうだ。

 しかし,バレンボイムブルックナー(実は,ブルックナーに限らないのだが)を聴くと,どうも違う。テンポが揺れるのはいい。でも,その揺らし方が問題なのだ。

 揺らし方が不自然なのだ。何でここで速くするの?みたいなのが続くのである。生理的に合わなくて,気分が悪くなるのだ。こちらの感覚とまるで正反対なような感じ。曲想に合ってないと思うのだが。

 テンポだけでない。金管を朗々と鳴らしてほしいところで抑えてしまったりすることも多い。欲求不満になる。クライマックスの捉え方がどうも違うように思う。往年の巨匠と言われるような人たちなら決して逃さない山場で,音量を抑えてしまうのだ。

 また,シュターツカペレ・ベルリンだと目立たないのだが,ベルリン・フィルとの以前の録音などを聴くと気になるのが,響きが雑然として整えられていないこと。旋律を弾いているパートに対して,内声部の弦楽器の扱いが雑で音が大きい(コリン・デイヴィスなんかもそうだった)ので,音のボディーがしっかりしていない割にうるさいのだ。

 あの指揮ぶりもヴィジュアル的によろしくない。アシュケナージなんかもそうなので,ピアニストに特有なのかと思うのだが,肘が曲がらなくて動きが硬い。見なければいいだけだが,見ちゃうと辛い。

 

 今回のブルックナー,聴く前は期待したのだが,今回も(バレンボイムブルックナーも)好きにはなれなかった。大いに時間を無駄にしてしまった。

 

 

辞めた人は物を言ってはいけないのか

 全くふざけた話だ。

 文部科学省事務次官の前川喜平さんの一連の発言について,菅官房長官をはじめとする内閣の関係者などが,辞めた人間は何も言うな,あるいは辞めた人間の言うことは信じられないといった発言を繰り返している。安倍総理も,「私に確認に来ればよかった」とか言ったらしい。

 これはまさにブラック企業の論理,いじめっ子あるいはいじめを防げ(が)なかった学校や教師の論理である。

 辞めないと言えないから,辞めてから言うのだ。いじめやパワハラで悲劇が起きたときに,社長や校長などが「言ってくれていれば…」なんて言うか?

 バカか,お前たちは。

 それに,辞めたからといって信憑性がなくなるということは,ない。むしろ逆だろう。そんなことも分からないのか,というか分かってて言ってるのだろうが,世間みんな分かってるということでもある。世間をなめている。

 

 今回の話は,みんな信じる・信じないどちらかに偏りすぎていて,公平中立で信じるに足りることを言う人はほとんどいない。しかし,安倍総理,菅官房長官やその取り巻き,右寄りのマスコミ・評論家などは,前川さんの個人人格攻撃ばかりで,言うことの信憑性は相対的に低いと言わざるを得ない。

 

 そもそも,前川さんが嘘をつく必要はない。というか,嘘をつくのはリスクが高すぎる。言うことに一つでも嘘があり,それがバレれば全てを否定されることにつながるからだ。だから,少なくとも言っていることは本当だろう。

 

 もう一度言う。辞めたから言えるのだし,辞めた人の話だから信用できるのだ。

 だいたい,前川さんを事務次官に任命したのは誰なのだ?

 

 これ以上は書かないが,問題の本質は,前川さんの発言の真偽自体ではない。それも国民は分かっている。一国を預かる者が,世の中をなめてはいけない。

 

 

ドイツ・グラモフォンのジャケット

 今年に入ったくらいから,ドイツ・グラモフォンのジャケットデザインが昔のものに戻ったようだ。全部ではないが。

 すなわち,例の上4分の1くらいに黄色い額縁のような曲名と演奏者名を大きく書いたものを出すスタイルのことである。

 グラモフォンといえば,廉価版や組物などを除いて基本的にはこのデザインだったので,すぐグラモフォンと分かったし,いかにも老舗っぽくてよかった。しかも,演奏者の写真を単に載せるのでなく,きれいな絵画などを使って,見た目がとてもよかったのだ。

 ところが,21世紀に入って数年経ったくらいからだと思うが,伝統のデザインをやめて,演奏家の写真にロゴマークを小さく入れるだけというスタイルに変わってしまった。

 もっとも,再発物はむしろオリジナルのデザインに戻す傾向が強くなったので,昔のデザインもよく見かけはするのだが,新譜は基本的に新しいつまらないデザインで,何とも残念だった。

 

 それが,今年あたりから元に戻ってきたのである。大歓迎だ。しかも,演奏家の写真ばかりでない凝ったデザインも目にするようになってきた。

 

 ジャケットデザインの変更と呼応するかのように,録音の傾向も変わったなと思っていたのだが,こちらはまだ相変わらずのようだ。

 このところ,特にピアノ曲で顕著なのだが,甘ったるくムード音楽のような録音になってしまっている。

 例えば,出たばかりのポリーニショパンで比べると,はっきり分かる。

 最近出たのは,後期作品集ということで,国内盤は今年の2月1日に発売された(UCCG-1753)。2015年から2016年にかけて,ミュンヘンのヘルクレスザールでの録音。ポリーニのいつもの録音会場である。バランスエンジニアはベテランのクラウス・ヒーマン。これに舟歌Op.60が入っているが,この曲は以前にも録音していた。

 舟歌の旧盤(UCCG-6231)の方は,1990年に同じヘルクレスザールで録音されており,バランスエンジニアはギュンター・ヘルマンスだった。

 この2つを聴き比べてみると,とても同じホールで同じ人が弾いたとは思えないほど音の傾向が違う。旧盤は,カチっとした固い音で,ポリーニだとすぐ分かる音になっている。一方,新盤は,残響が多く,音は残響に埋もれ,最近のグラモフォンのムード音楽ぽい音になっている。もやもやしていて,個人的には好きではない。

 演奏自体は,好きなのは旧盤の方だが,新盤も一筆書きのような演奏で(テンポも新盤の方が速い),悪くはない。

 ショパンは単発で出ているものだが,ようやく完成したベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は,数十年かかってしまったということもあるが,初期のものと後半のものでは録音の傾向が違いすぎて,違和感でいっぱいであった。

 この音の傾向は,これからどうなっていくのだろうか。オーケストラも含めて,もう少ししっかりした録り方をしてほしいなと思う。もっとも,この傾向はグラモフォンだけではないようにも思うのだが。

 

 

『キン肉マン』完璧超人始祖編完結

 平成23年11月から週プレNEWSで連載が続いていた,『キン肉マン』完璧超人始祖編が,やっと完結した。長かった。

 このダラダラした長さは,Ⅱ世でも感じたもので,Ⅱ世は耐えられずに途中で読むのをやめたのだが,こちらは何とか最後までお付き合いできた。

 Ⅱ世以降,マンガの絵は非常に精緻になり,初期のキン肉マンとは,とても同じ人が描いてるとは思えないほど立派なものになっていた。しかし,それで面白くなるかというと必ずしもそうでないのが難しいところだった。

 

 初期のキン肉マンを知っていて,そちらも愛してやまない人からすると,絵と舞台背景が精緻かつ立派になるにつれ,だらけて面白くないと思ったのではなかろうか。

 まだ全部コミック化されていないので,最終的に何巻になるか分からないが,38巻から始まって,60巻は下らないはず。

 だらけて感じるのは,セリフが長いことと,絵が立派で1つのコマが大きいせいかと思う。あんなに喋りながら闘えるのか!と突っ込みたくなるし,絵が精緻すぎて,かえってアップのところではどういう状態か分からないことがよくあった。

 まれにキン肉マンがふざけるシーンが出ると非常に浮くし,「友情」を振りかざしたりして立派なことを言うと何だか白けるという悪循環もあった。

 ネメシス戦の最後も取って付けたような終わり方でおかしい。さすがにあれはないと思う。

 最後が,キン肉マンの闘いでなく,悪魔将軍(ゴールドマン)の闘いだったというのも異常だった。尻切れトンボ感が強いし,これでは誰が主人公だか分からない。本当は,悪魔将軍が負けて,その後にザ・マンとキン肉マンの闘いを予定していたのが,長くなりすぎたので打ち切ったようにも思える。ネプチューンマンも,何をしに出てきたのか分からない。

 

 文句ばかり書いたのは,キン肉マンを愛するが故。

 最後に何か屁理屈を付けてまた復活すると思っていたロビンマスクが復活せず,全く忘れられたように終わってしまったのも意外。おそらく,次のシリーズのどこかで復活するのだろうが。

 相変わらずラーメンマンは強く,テリーマンは口ばかりで弱かったのが印象に残るが,完璧超人始祖の面々は,ネメシスとサイコマン以外はあまり印象に残らなかった。ザ・マンは,悪魔将軍とは,武道のお面と防具を脱いで闘うべきだったと思う。

 ロビンマスクなどが最後に復活しなかったのも,次のシリーズへの布石かもしれないが,残念。

 それと,これまでのシリーズでは,どこか切なく,ホロリとさせるエピソードがあちこちに挟まっていて,強い印象を残したものだが,そういうものもほぼなかった。

 

 次のシリーズでは,テンポのいい展開と,涙なしに読めないようなエピソードの挿入を期待したい。絵は多少雑でもいいから,ストーリーで勝負してほしい。

 

 

ATRACの終焉

 これまでずっと,CDのリッピングATRAC 3 Plusを使ってきた。

 その一番の理由は,ギャップレス再生に対応していること。それと,曲の分割・結合が容易なことであった。もっとも,ソフトによってはギャップレス再生に対応していなかった(BeatJamなど)のだが,Media Goが出るまでのソニーのソフト(SonicStagex-アプリ)やWALKMANでは完全にギャップレスだった。

 クラシック音楽を聴くのにギャップレス対応は必須なわけだが,以前のMP3やAACはギャップレス再生はできなかった。今でも,MP3やAACは完全にギャップレスに対応しているわけではない。機器やソフトによる。また,AACの場合は,互換性に問題があって,拡張子が複数あり,その拡張子によって再生できなかったり,アートワークが出なかったり,文字化けしたりと,いろいろ問題があった。

 そんな中でも,非可逆圧縮のフォーマットで一番互換性等の問題がないのはMP3だったが,この4月23日で特許ライセンスが終了し,今後はどうなるか不透明になってしまった。まあ,使えなくなることはないと思うが,不安材料ではある。

 非可逆圧縮を使ってきたのは,それしかなかったということと,あっても対応機器・ソフトが少ないこと,そしてPCやWALKMANの容量の問題だったので,これらが解決すれば,音質的に有利な可逆圧縮に移行するのは当然の成り行きではあった。

  ということで,今年からはATRAC3 Plusはやめて,FLACリッピングすることにした。ただ残念なことに,今使っている三菱のDIATONE SOUND NAVI(MZ-100シリーズ)はギャップレス再生に対応しておらず,ほんの短い時間だが,音が途切れてしまう。KENWOODの彩速ナビはFLACのギャップレス再生に対応しているそうなので,SOUND NAVIもアップデートで対応してほしい。高音質を売りにしているのだから,音質だけでなく再生環境も最先端を行ってもらいたい。

 もう一つ言うと,SOUND NAVIはSDカードやUSBメモリに入れた曲の検索機能が非常に貧弱で,フォルダ検索以外は使えないのが非常に不満である。カテゴリーサーチという機能があるのだが,これだと,例えばまず演奏者で検索した場合,アルバム名がABCとアイウエオ順で並び,次にアルバムを選ぶと,何と,曲がABCとアイウエオ順で再生されるのだ。通常は,アルバムを選んだ場合,曲はトラック番号順に並ぶのが普通である。というか,当たり前だろう。なので,カテゴリーサーチは全く使えない。トラック番号順に演奏させるには,トラック番号付きでファイルを作成し(普通はそのようにリッピングするだろう),フォルダ検索でやるしかない。これは結構不便だ。

 

 本題に入る。FLACへの移行は当然の流れだったとして,心配なのは,これまで録りためたATRAC(MDのATRACからATRAC3 Plusまでを含めて,以下こう言う。)のファイルがいつまで使えるのかということだ。MP3,AACWMAなどはほとんど心配ないと思うが,ATRAC系はそうではない。対応するソフトや機器が少ないのだ。しかも,ソニーの機器でも再生できない方が多いという,とってもふざけた状況になっている。このことについて書いておく。

 既に,スマホXperiaシリーズ)でATRAC系は再生できなくなっている(以前はできるように聞いていたが,持ってないのでよく分からない)。

 今,問題なく再生できるのは,WALKMANx-アプリだけなのだ(SonicStage CPも使っているが,サポートは終了していて,手に入らない。)。Media Goは,ギャップレス再生に完全対応していないし,再生だけでリッピングはできない。BeatJamも「for carrozzeria」以外は終了している。

 なぜこのようなことになってしまったのだろう。ソニーらしい問題があるように思う。

  ソニーは,WALKMAN,MDステレオ,moraではATRAC系を採用していたが,それ以外の,ネットワークオーディオプレーヤー,マルチメディアプレーヤー・レコーダー,AVアンプなどでは,早い段階からATRAC系を排除していた。おそらく,ソニー内部の縦割りのせいではないかと思う。ソニー全社挙げてATRAC系を盛り立てなければならないのに,そういう態勢になっていなかった。まるで,ATRAC系は使うなと言わんばかり。ユーザーを完全に置き去りにしていた。

 ATRAC系は,規格が乱立したきらいはあるが,MD(特に,Net MD)から移行しやすい,再生互換性の問題が少ないなどのメリットがあったが,特にソニーがmoraで強力な著作権保護をつけようとしたことが嫌われるということはあった。しかし,自分でリッピングするのであれば著作権保護はつけなくてもリッピングできたし,moraも後からは著作権保護なしの配信に切り替えた。

 しかし,ソニー全社を挙げた応援態勢が敷かれることはなく,どんどん劣勢になり,moraがAACに切り替えたことで,実質的に終わってしまった。

 

 MDとATRAC系のメリットは上記のほかにもあり,編集のしやすさ,扱いやすさ,PCに吸い上げることの容易さなどが挙げられる。

 PCへの吸上げについては,Hi-MD WALKMAN MZ-RH1(今聴いても,音質は素晴らしい!)を使うと簡単にでき,ATRAC系では著作権保護がかかって取扱いが不便であるが,吸上げと同時にリニアPCM(wav)に変換すると,著作権保護が外せるという裏技的な機能もあった。

 

 また,ATRAC系では,ロスレスATRAC3 Advanced Losslessというものもあったが,既にATRAC系が劣勢になった規格で,ロッシー部分を取り出して機器に転送できるなど,面白い機能はあったが,しかしそんな需要はほとんどなく,FLACなどよりファイルサイズが大きくなることもあり,carrozzeriaのナビに採用されたりはしたものの(現在は外されているようだ),ほとんど使われずに消えていった。

 

 このように,いいものを持っていながら結局天下を取れなかったのは,規格が乱立するといった戦略のまずさもあるが,一番は,ソニー内部でATRAC系を何とかしようという態勢が取れなかったということのように思う。

 こういう,フォーマット争いでの会社としてのだらしなさは,ベータマックスからずっと続いているように思う。DVDでは,独自に+R,+RWという規格を推したがほぼ相手にされず,メモリースティックもSDカードに敗れ,ブルーレイでは,HD DVDに勝利したものの実際は他社製品で作成したものとの間に互換性の問題があったり,全く懲りない会社である。

 

 今後,ATRAC系が復活することはまず考えられないが,少なくとも,WALKMANとPCのリッピングソフト(x-アプリMedia Go)では,未来永劫,間違いなく使えるようにしてもらいたい。そしてできれば,ソニー製のオーディオ機器やスマホでは,ATRAC系も再生できるようにしてほしい。

 

 

(追記)

 何と,2017年秋モデルのウォークマンSシリーズは,ATRAC系非対応となってしまった。許されざる暴挙と言ってよい。

 既にその前から,著作権保護された音楽ファイルは一部の機種で非対応となっていた(どれだけの人が実害を被るのだろうか)。しかし,まさかウォークマンATRACを再生できなくなるとは。

 同時に発売されるZXシリーズとAシリーズは対応しているが,この流れだといつ非対応となるか分からない。著作権保護された音楽ファイルは,全てのシリーズで再生できなくなった。

 録音はともかく,再生できなくすることでどのくらいコストダウンできるのだろう。著作権保護の方は,ウォークマンというよりも転送ソフトの問題かもしれないが。

 今回,PCでの録音・再生・転送ソフトがMedia GoからMusic Center for PCに変わるという,またSONYらしい訳の分からない状況については,別に書く。

 Media Goにはいろいろ問題があったが,x-アプリ系と比べて「軽い」,「ファイル管理が容易」といったメリットもあって,FLACでのリッピングには専らMedia Goを使ってきており,慣れたところだったので,どうしようか悩んでいる。

 なお,Media Goがダウンロードできるのは12月末までだという。その前にダウンロードだけはしておいた方がいい。

 

福島県飯舘村「ゑびす庵」のうどん

 福島県飯舘村の食堂「ゑびす庵」に行ってみた。

 飯舘村は,東京電力福島第一原子力発電所の事故で全村避難させられ,この3月31日に大部分の避難指示が解除されたばかり。

 その飯舘村で初めて食堂の営業が再開した。飯樋地区にある「ゑびす庵」で,4月23日に飯舘村の元の場所で営業を再開したのだ。原発事故後は福島市内で営業していたという。

 

 店内はリフォームしてきれい。テーブル席と座敷があり,座敷は掘り炬燵のようになっている。テーブル席の椅子は丸太なので,長時間座っているのはつらそう。

 営業時間は11時から15時だが,予約すれば夜もやってくれるらしい。定休日は火曜日(祝日の場合は営業)。

 お酒も提供しており,焼酎にはゑびす庵オリジナルのボトルもある。

 

 1番人気という「五目うどん」(950円)を注文した。

 茹で上がるまで結構時間がかかるので,行くときは余裕を持って行った方がいい。

 太めのうどんに野菜がたっぷり乗っている。お新香付き。うどんはそれほどコシの強いものではない。讃岐うどんみたいにコシが強くて固い麺が苦手な人には好まれるだろう。野菜はあんかけにはなっていない。ボリュームたっぷりで食べ応え十分。美味しくいただいた。

※後日,再訪したときは,麺がもう少しコシがしっかりしていて,よりおいしかった。

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 今度また行く機会があれば,2番人気だというの「肉うどん」を食べてみたい。ご飯ものもあるので,それもいいかも。丼ものだけでなく定食もある。

 

 難しいことは分からないが,被災地を応援するのに美味しいものは一番だ。気軽にできる。

 以前,飯舘村農家レストラン「気まぐれ茶屋ちえこ」のどぶろくを飲んだことがある。今は福島市飯野町に避難しているらしいが,甘さ控えめの甘酒にアルコールが入っているみたい。アルコール度数が高いのにいくらでも飲めて,かなりヤバイ。

 

 【ゑびす庵メニュー】

◎うどん 大盛100円増 特盛200円増

ゑびす庵うどん(海老+玉子) 1,100円

海老天ぷらうどん 850円

五目うどん(野菜たっぷり) 950円

鍋焼きうどん 850円

親子うどん 800円

肉うどん 700円

玉子うどん 700円

月見うどん 600円

かけうどん 500円

ざるうどん 550円

ぶっかけ皿うどん(夏季) 900円

 

◎丼・定食 大盛100円増

カツ丼 850円

肉丼 800円

親子丼 800円

玉子丼 600円

カツ定食 1,000円

野菜炒め定食 900円

煮込みカツ鍋定食 800円

焼き魚定食(つぼ鯛) 900円

 

◎飲物

生ビール(中) 500円

瓶ビール(大瓶) 600円

お酒(コップ) 300円

焼酎(グラス) 350円

焼酎900mlボトル(麦) 2,300円

焼酎900mlボトル(芋) 2,300円

焼酎720mlオリジナルボトル(麦) 2,000円

焼酎720mlオリジナルボトル(芋) 2,000円

ジュース(各種) 150円

 

◎単品

海老天2尾 350円

かきあげ 150円

ごはん(大) 150円

ごはん(小) 100円

 

ウィーン・フィルは変わったのか~新譜ラッシュに思う

 このところ,急にウィーン・フィルの新譜が出るようになった。

 ここ数年,出るものと言えば,ニューヤー・コンサートとシェーンブルン宮殿コンサートのライヴくらいで,まともな録音はほとんどなかた。何せ,小澤さんが国立歌劇場の音楽監督だった頃,正規の録音は1つもなかったくらいなんだから,どれだけ録音を忌避していたのかと思う。

 それが,ドゥダメルとの《展覧会の絵》,ビシュコフとのフランツ・シュミット,ノットとの《大地の歌》など,新しい録音が次々と(と言っていいのかはまだよく分からないが)出ている。しかも,ドゥダメルビシュコフはセッション録音である。

 さらには,ネルソンスとのベートーヴェン交響曲全集も進行中である(ライヴ)。

 こういった録音がこれから継続的に行われるとすれば,非常に嬉しい。

 

 そこで1つ気がついたことがある。『レコード芸術』2017年5月号の「先取り!最新盤レヴュー」でビシュコフとノットのCDが取り上げられているのだが,ビシュコフのフランツ・シュミットについては,佐伯茂樹氏が「久々に天上的に美しいウィーンの音世界を堪能することができた」と述べており,ノットの《大地の歌》については,中村孝義氏が「実際に聞こえてきたのは,そうした予想を遥かに上回る,全く新しい「絶美」の世界」と述べている。どちらも,音の美しさを絶賛しているのだ。

 ここ最近で言うと,あのウィーン・フィルが指揮者の「解釈」にどれだけ応えているか,という点が問題にされたと思う。それが,ストレートに「美しさ」を讃えられるというのは,何かが変わってきたと思わざるを得ない。

 これが,ウィーン・フィルの進むべき道を示している,というかオケ自身が「気づいた」ということなのかなと思うのである。すなわち,もはや「解釈」ということでは,オーケストラ自体の差別化は難しい。はっきり言って,今「最先端」と言われる指揮者の「解釈」に応えるということでは,ドイツ・カンマーフィルやマーラー室内管などにはかなわないと思われる。ウィーン・フィルが自らの存在価値を考えたときに,そこにあるのは,伝統と「音の美しさ」だということに気づいたのではないか。

 ライバルのベルリン・フィルは,おそらく,自らの存在価値を「モダン・オーケストラとしての最高の機能性」にあると考えているのではないかと思う。そして,それに向けて邁進している。それに比べて,ウィーン・フィルの方は,何を目指しているのかがここしばらくはよく分からない状態が続いていた。

 今回,そういった状況から脱し,進むべき方向性をはっきりと見定めたということなのではないか。

 

 ここ最近の新譜3枚はいずれも未聴だが,はっきり言って,ノットとウィーン・フィルとの《大地の歌》など,全く期待していなかった。しかし,中村氏の評を読んで,ぜひとも聴かなければと思った。

 《大地の歌》はテノールとアルトで歌われる方が好きだし,カウフマンだったら,アバド指揮ベルリン・フィルとの演奏(NHKでも放送され,デジタル・コンサートホールでも見ることができる)を是非CD化してほしいと思うのだが。

 

 それと,ベートーヴェン交響曲全集は,ネルソンスでなくドゥダメルとやるべきたったと思う。ただ,最近のドゥダメルは迷っていて伸び悩んでいる感じがするので,今のタイミングではやらなくて正解だったかもしれない。

 これも『レコード芸術』からだが,4月号の月評で,ドゥダメルのニューイヤー・コンサートのBD/DVDが取り上げられているが,ここで山崎浩太郎氏が書いていることは,まさに自分が思っていたことと同じで,やはりなと思った。すなわち,「ヨーロッパの伝統のなかで自分がどう進んでいくのか,30代半ばを迎えて迷いがあるようにも思えた。「偉大なるマンネリズム」のなかにあるウィーンに新風をもたらすことを,次回の挑戦の際には期待したい。」と。

 

 

追記

 ドゥダメルとの《展覧会の絵》ほか(グラモフォンUCCG-1756)を聴いた。イマイチだった。名盤がたくさんある曲なので,それらに比べて何か飛び抜けてすごいところがあるかというと,ない。録音も,セッション録音なのに今ひとつ冴えない。

 冒頭から音を短めに進めるのにまず違和感を感じた。オケはもっと伸ばしたいのだろうか,音の切り方が全体的に雑。本当はもっと粘りたいのだろう。ドゥダメルの解釈と齟齬があるように思えた。あっさりなのに雑,という感じ。迫力も足りず,物足りない。

 オケは金管が弱い。特にトランペット。昔からトランペットはヘタウマの部類に入るオケだったが,それでも独特の鄙びた音色と時折聴かせる鋭い音が特徴で,すぐウィーン・フィルだと分かったものだが,今は普通に巧くないだけになってしまった。

 ドゥダメルらしさ,つまり弾けた感じはほとんどなく,大人しい。ベルリン・フィルとの《ツァラトゥストラ》ほか(グラモフォンUCCG-1632)あたりから感じていたのだが,迷いが出てきているのではないか。2012年のシェーンブルン宮殿ライヴはまだ結構弾けていた。壁にぶち当たっているように思う。

 

 

追記2】

 ビシュコフ指揮のフランツ・シュミットの交響曲第2番を買った(ソニークラシカル SICC30428)。

 どうせならハイレゾを買おうかと思ったが,ブックレットが付かないのでやめて,CDにした。このCDのブックレットはなかなか気合いが入っていて,充実している。まずは,「ウィーンの森のささやき」と題したハラルド・ハルスマイア(木幡一誠訳)による解説が5ページ。次いで,木幡一誠による「閉じた解答としての音楽-ビシュコフウィーン・フィルで聴くシュミットの交響曲第2番」と題した解説が3ページ。その後に,フランツ・シュミットの年表が6ページ。そして,「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるフランツ・シュミット作品演奏記録」が8ページ。最後に,セミヨン・ビシュコフバイオグラフィーが1ページ。これだけ充実した内容のブックレットは,今時珍しいのではないか。

 演奏自体も,かなり時間をかけて丁寧に作り込まれたのではないかと思われる。というのも,CDの演奏は2015年9月1日~4日にムジークフェラインでセッション録音されたもので,これだけでも時間をかけているなと思うのだが,その前後にこのコンビはこの曲を何度も演奏会で採り上げているのだ。

 2014年5月17日,18日 ムジークフェライン(第9回定期演奏会

 2014年5月19日 ムジークフェライン(第5回ソワレ)

 2015年8月30日 ザルツブルク祝祭大劇場(ザルツブルク音楽祭

 2015年9月10日 ロンドン,ロイヤル・アルバート・ホール(プロムス)

 2015年9月20日 コンツェルトハウス

 2015年9月21日 リンツブルックナーハウス(リンツブルックナー音楽祭)

 これだけ,2年にもわたって,同じ指揮者と1つの曲(それもマイナーな曲)を何度も採り上げるというのは,珍しいのではないか。その辺の事情はブックレットには記載はなかった。

 なお,2015年9月20日の演奏はMUSIC BIRDのTHE CLASSICで今年の4月29日に放送されている。また,ブックレットでは,この9月20日の演奏会では,ほかにブラームス交響曲第3番が演奏されたと書かれているが,ハイドン交響曲第44番とワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集の誤りである。

 それで,演奏の方だが,ほかにはネーメ・ヤルヴィ指揮シカゴ交響楽団の演奏(シャンドス)くらいしかないので,善し悪しはよく分からない。どちらかというと,ヤルヴィ盤の方が元気がいいという感じがするくらい。

 曲は,第1楽章と第3楽章はゆっくりで茫洋とした感じ。特に3楽章はよく分からない。面白く聴けるのは,10の変奏曲からなる第2楽章。速いテンポで駆け回る部分があったり,《ノートル・ダム》間奏曲を思わせる,ゆっくりでとても美し部分があったりして,飽きさせない。

 このCDで1つ残念なのは,カップリングがR.シュトラウスの《インテルメッツォ》からの4つの交響的間奏曲の第2曲「炉端のまどろみ」だけという点。4つの交響的間奏曲全部でも25分に満たないくらいなので,どうせなら全曲入れてほしかった。

 

 

追記3】

 2018年に入って,またニューイヤーとシェーンブルン宮殿のライヴしかCDが出なくなってしまった。昨年のことは一過性だったのか。そうだとしたら本当に残念。

 

NHKに商品化を望むもの

 まずは,1987年3月にアバドウィーン・フィルが来日してサントリーホールで演奏したベートーヴェン交響曲全曲

 NHKがFMで放送していた(生中継と,11月3日に再放送)ので,音源が残っていれば何としてもCD化してほしい。特に第9番を。YouTubeで一部が聴けるが,全曲CD化してほしい。こういうのを火の玉のような演奏というのだろう。こういう演奏をするから,アバドは面白かったのだ。ウィーン・フィルも,きれい事の演奏をしておらず,すさまじかった。

 

 

 クラシックではないが,NHKが収録していた1983年12月のYMOの散開コンサートを。「AFTER SERVICE」でCD化されているのは別の日のもの。

 FMで生中継したらしいが,12月31日にテレビで「YMO SPECIAL」という番組が放送され,コンサートの様子だけでなく,メンバー3人それぞれの様子を映したVTRが面白かった。特に,伊武雅刀と遊んでいる細野晴臣のコーナーが最高!

 東風やSOLID STATE SURVIVORはアレンジが「AFTER SERVICE」のものとは異なっており(特に,坂本龍一のキーボードと高橋幸宏のドラム),SOLID STATE SURVIVORは頭にドラムの1撃があって最高に格好いいのだ。

 YouTubeで見ることができるが,是非,「完全版」としてブルーレイで出してほしい。

 

 ほんと,お願いします。

 

 

祝!レコード芸術創刊800号

 『レコード芸術』が2017年5月号で創刊800号を迎えた。

 1988年5月号以来,1号も欠かさず購読してきた。29年になる。これだけ長い間購読した雑誌はないし,全部取ってある。すごいことだ。田舎に住んでいたときは,発売日に買うのが大変なときもあった。452号からなので,349冊買い続けたことになる。半分までは行かないが,4割以上は購読していたことになる。

 452号の定価は850円。801号からは付録CDがなくなって本体価格が1,300円となる。単純に比較すると53%の値上がり。しかし,ページ数はかなり減っているので,実際はもっと値上がりしている計算になる。452号は数えると446ページ。800号は316ページ。800号の定価(本体価格)を1,300円とすると(実際は,付録CDと特別付録が付いているので,特別定価1,667円となっている。),1ページ当たりの単価は,452号が1.9円で800号が4.1円となる。ということは,116%の値上がりとなる。

 ちょうど,この4月から,MUSIC BIRDのTHE CLASSICで「片山杜秀パンドラの箱」の再放送をしており,この4月9日には2010年5月28日放送の「音楽雑誌と口蹄疫」が放送されたところだった。そこで片山さんは,「音楽雑誌が売れない売れないと言われ続けてもう10年以上経ちました」と,廃刊が続く音楽雑誌受難の時代について語っていた。そんな中,おそらく本質は変わらずに生き残ってきた『レコード芸術』は大したもんだと言っていいのだろう。

 

 452号をざっと見て思うのは,カラーページが多いのと,レコード会社の広告が多いこと。発行部数の推移は分からないが,やはりそれだけ売れていたのだろう。

 特集は「西ドイツのオーケストラ」。「西ドイツ」という名前自体が時代を感じさせるが,このときは壁が崩れるなんて全く想像もしてなかったと思う。<その1>として諸井誠さんの「西ドイツのオーケストラ随想」という文章が4ページあり,<その2>では「レコードでたどるその歴史と魅力」と題して,オーケストラごとの記事が書かれている。最初がバンベルク交響楽団(首席指揮者=ホルスト・シュタイン)で,最後がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(音楽監督=ヘルベルト・フォン・カラヤン)。当然,お勧めのディスクが紹介されているのだが,この当時はまだCD化されていないものも多く,ベルリン・フィルの「ベスト・5・レコード」では76年のカラヤン指揮のチャイコフスキー『悲愴』が紹介されており,早くCD化されないかと心待ちにしたものである。

 452号からの新連載は「レコード芸術名盤コレクション 蘇る巨匠たち」で,レコード会社とタイアップしてCD化されていない名盤を毎月1枚ずつCD化するというものだった。第1回はフルトヴェングラーベートーヴェン交響曲第5番と《エグモント》序曲。このシリーズでは,セルの《エグモント》全曲を買った。

 月評は,交響曲では特選盤がアバドベートーヴェン交響曲第7番・第8番,同じくチャイコフスキーの《悲愴》,シャイーのマーラー交響曲第10番ほか。ほかには例えばデュトワビゼー,マリナーのレスピーギ,ゲーベルの《ブランデンブルク協奏曲》,プリッチャードの《イドメネオ》などが特選盤になっていた。オペラだけで新譜が7組も出ており,今では考えられない状況。

 CDは簡単には買えないので,毎日,NHK FMでカセットテープにエアチェックしていたものだ。

 当時は時間もあり,どの記事も繰り返し読んだものだが,1つ取り上げると,「追跡レコード批評」というコーナーで三浦淳史さんと中矢一義さんが海外雑誌の評を紹介していた。今の「海外録音評パトロール」(今も中矢一義さん!)の前身と言える記事だが,452号では三浦さんがカラヤンブラームス交響曲第1番と第2番を取り上げている。どちらもずっと愛聴しているCDなので,とても懐かしい。特に,第2番の記事は思い出深い。『グラモフォン』誌のアラン・サンダース氏の「いうなれば秋を想わせるような熱情をもって指揮しており,BPOの演奏には豊かな白熱の輝きがある」という文章はよく覚えていて,今でも秋が近づくとこの曲(特にこの演奏)が聴きたくなるし,『ル・モンド・ドウ・ラ・ミュジック』誌のシェルスノヴィッチ氏の「カラヤン自身の1955年盤と比較すると,昔の踊るような感じは抑えられているが」という文章を読んで1955年盤がとても聴きたくなったが,当時はCD化もされておらず,実際に聴けたのは相当後になってからだったことなどを思い出して懐かしい。もっとも,今はこの1986年盤と,同時期に収録されたDVD(こっちの方が4楽章などは明らかにテンポが速く勢いがある),そして1977・78年盤の3つが自分にとってのベスト盤になっており,よく聴いている。

 

 

 800号での重大な告知の1つが,付録CDの廃止だった。元々いらないと思っていたので,廃止されて値段が下がるのはありがたい。

 今回の付録廃止で,定価(本体価格)は1,400円から1,300円になるという。100円の値下げである。

 では,付録CDが始まった頃はどうだったかというと,1996年3月号(通巻546号)から始まったのだが,2月号と比べて定価(本体価格)は243円(消費税3%込みで250円)の値上げだった。

 それが今回は100円の値下げなので,付録廃止にかこつけて値上げしてるんじゃないか!とも思うのだが,そこはCDの原価が下がったからだということにしておこうと思う。

 

 値段のことばかり書いたが,それはこれからも買い続けるから。まずは1000号を目指して頑張ってほしい。

 

 

今村復興大臣の「自己責任」発言に思うこと

 今村復興大臣が自主避難者について「自己責任」だと言ったことについて,マスコミなどがしたり顔で「本音が出た」などと書き立てているが,そんなことはみんな分かっていることだ。自主避難者とその支援者以外の多くはそのとおりだと思っているし,自主避難者たちもそのとおりだと思われていることは分かっている。

 今回の発言が怖いのは,その中身よりもあのキレ方の方だ。1国の大臣としての資質が問われる,というか全くないことを改めてさらけ出したということ。

 もし,実績を上げた大臣が,冷静に,落ち着いて,論理的に反論したのなら,随分違っただろう。

 しかし,実績もなく,威張り腐ってブチ切れた大臣がああいう場面でああいう態度を取ると,怖ろしさしかない。

 既に,避難指示が解除されて帰還しない人たちは,自主避難者だという人もいる。そのうち,今村大臣もそういうことを言い出すに違いない。

 

 【追記】

 やはりと言うべきか,新たな問題発言で今村氏が復興大臣を辞任した。発言内容からして,辞任するしかなかっただろう。それにしてもあんなことをわざわざ言って辞めることになるとは,本当のバカだ。早く辞めてもらってよかった。

 こんなバカはどうでもいいが,それより気味が悪いのは二階幹事長の方だ。そして,二階幹事長の発言をほとんど問題にしないマスコミである。

 何かものすごい嫌な予感がする。本当に危険なのは二階氏の方だろう。今村氏など,いてもいなくても大した害はないが,二階氏は違う。この辺が歴史のターニングポイントだった,なんてことにならないといいと心底思う。

 

 

ネルソンス指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン《英雄》

 3月25日にMUSICBIRDのTHE CLASSICでアンドリス・ネルソンス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会が放送された。

 曲目は,

ハイドン交響曲第102番変ロ長調Hob.Ⅰ:102

②イヴァン・エレート:3本のクラリネット管弦楽のための三重協奏曲Op.92(初演)

バリー・マニロウコパカバーナ(ザ・クラリノッツ編)(アンコール)

ベートーヴェン交響曲第3番変ホ長調Op.55《英雄》

 クラリネットは,ザ・クラリノッツ(エルンスト,ダニエル,アンドレアスのオッテンザマー親子)。

 2016年1月10日にウィーンのムジークフェライン大ホールでORF(オーストリア放送協会)が収録したもの。

 

 メインのベートーヴェンは,ネルソンスとウィーン・フィルドイツ・グラモフォンに録音する全集の第1弾となるもの。この後,1月12日にも同じプログラムで演奏しているようで,これらの演奏会にゲネプロの音源等合わせて編集したものをCDにするのだろう。

 

 ということで,《英雄》なのだが,演奏時間は,おおよそ,

第1楽章:18:14,第2楽章:16:04,第3楽章:5:40,第4楽章:12:06

といったところ。

 第1楽章と第2楽章が今どきの演奏としてはかなり遅め,第3楽章は早め,第4楽章はやや遅めといえるだろう。

 

 ネルソンスとウィーン・フィルなので,基本的にはモダン・スタイルの演奏。しかし,所々でピリオド奏法を意識したようなところがあり,何だか中途半端。

 テンポや強弱を不自然に動かすので,流れがとても悪い。

 そして,音が前に出てこない。特に木管が弱く,メロディを吹いているところでもほとんど聞こえなかったりする。弦も,第1ヴァイオリンが弱く,内声部とのバランスが整理されていないようで,聞いていて安定感がない。金管も所々では咆哮するが,全体的には弱め。

 メロディを意識していないようで,どんな曲なのか分からない。頭の中で補完しながら聞くことになり,すごく疲れた。

 第1楽章で何度か和音をトゥッティで鳴らすところがあるが,アーノンクールばりに力み返っている割に,本当の迫力は出ていないように思った。

 

 第1楽章は,演奏時間は長いが,第1主題は割と速めのテンポで始まるので,その後極端に遅くするところがあるということ。終わり近くのトランペットは,旋律を1回目は最後まで吹かせ,2回目は吹かせない,というやり方。それはいいとして,2回目は木管が旋律を吹くわけだが,これがほとんど聞こえず,弦の伴奏しか聞こえないという奇妙な演奏になっている。完全なバランスミスだろう。

 第2楽章は,葬送行進曲なのに妙に明るいのがネルソンスらしい。

 第3楽章でようやく乗ってきた感があり,主部は猛烈なテンポで進む。

 しかし,第4楽章に至っても不自然さは最後まで残ったまま。最後の和音は短く切って終わる。

 

 これから順次録音して全集になるわけだが,前途はかなり厳しいと思った。何というか,一本筋が通っていない感じ。これがCDになったとして,繰り返し聞くのはかなりしんどい。

 演奏後の拍手も随分と少ないように思った。

 

 

 この後,カラヤンウィーン・フィルによるブルックナーの7番と8番のCDを聞いたのだが,曲は最低だが演奏は極上だった。ネルソンスの演奏とは,同じウィーン・フィルとは思えないし,満足感が全く違った。

 

 

 また,ベルリン・フィル・デジタル・コンサート・ホールに3月23日のキリル・ペトレンコとの演奏がアップされており,モーツァルトの《ハフナー》とチャイコフスキーの《悲愴》の一部を見たのだが,かなり凄い演奏だったようだ。

 やはり,ペトレンコは,最近売れているほかの中堅・若手(ネルソンス,ソヒエフ…など)とは全く格が違うようだ。

 詳しくはじっくり見てから書いてみたい。