原発事故の前橋地裁判決は本当に一部「勝訴」なのか

 3月17日に,福島県から群馬県に避難した45世帯137人が東京電力と国に慰謝料などの損害賠償総額約15億円を求めた訴訟の判決があった。

 大方の新聞は,東電と国の「過失」を認め,損害賠償責任を認めた画期的な判決であると評価しているが,果たしてそうだろうか。

 東電の責任は,「原子力損害の賠償に関する法律」で無過失責任とされており,過失の有無は損害賠償責任の有無自体には関係がない。国の責任も,東電が無資力ならともかく,資力がある以上,賠償金をもらえるかどうかには直接関係がない。

 

 住民からすれば,幾らもらえるかが問題なのであって,原告団の弁護士や代表が言うような「東電と国の過失の有無」はどうでもよいのである。

 

 そういう意味からして,今回の判決が勝訴とは到底言い難いと思う。

 原告のうち,請求が一部でも認められたのは62人に過ぎず,賠償金の額も3855万円に過ぎない。

 1人当たりにすると,7万~350万円でしかないという。この中には,避難地域の方も自主避難者の方も入っており,総じて自主避難者は金額が低いようだ。これでは,別に東電と国の過失などには関係なく,事情を丁寧に主張・立証すれば,個別にADRで戦っても認められた金額ではないのかと思う。

 

 このように,実際には勝ったとは到底言えない判決内容で,勝った勝ったと書き立てるマスコミに気持ち悪さを感じる。

 「お金が欲しいんだ(必要なんだ)」という生々しいところにあえて蓋をして,金額でなく国の責任を問題にしているんだという高邁な主張をしているかのように書くマスコミは,何を意図しているのだろう。

 こんなことでは,避難住民が本当に救われることはないと思う。

 この判決で,国の避難者支援の政策が充実するとは思えないからである。

 

 

インバル指揮 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団演奏会

2017年3月15日(水)

福島市音楽堂

開場:18時

開演:18時30分

曲目:

 ①モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466

 ②マーラー交響曲第1番ニ長調《巨人》

 (アンコールなし)

演奏者:

 上原彩子(ピアノ)

 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

 指揮:エリアフ・インバル

 

 マーラーといえばインバル。インバルといえばマーラー。そのインバルが来てくれるとは!!!見た瞬間,背筋がゾクゾクした。そういえば,現役の指揮者で一番好きな指揮者って,インバルかも,って思った。

 オケは,旧東ドイツ(東ベルリン)のベルリン交響楽団が2006年に改称したもの。インバルは2001年から2006年まで首席指揮者を務めていた。ピアノは2002年の第12回チャイコフスキー国際ピアノコンクールで1位を取った上原彩子

 

 ステージに現れたインバルは意外と小柄だな,と思ったら,上原彩子はもっと小柄だった。スカイブルーの素敵なドレスを着て,颯爽と現れる。

 オケは今時にしては大きめの編成。コントラバス4本。こうでなくては,見栄えがしない。演奏が始まると,インバルらしく,ピリオドスタイルなど全く関係なしの演奏。上原のスタイルにもマッチする。

 このホールは残響がありすぎるせいか,ピアノは細かい音が聞こえず,オケは特にヴァイオリンの音が聞こえないのだが,この日の演奏は随分ましだった。それでも聞きづらいのには変わりなく,頭の中で,響いているであろう音を補完しながら聞くしかなかった。

 1楽章が終わったところで,遅れてきた人を2階のバルコニーに入れたが,靴の音が響いて,上原はなかなか演奏を始められず,気の毒だった。だが演奏は極上で,特に昼間部でのピアノとオケのからみがよかった。

 3楽章のカデンツァは聞いたことのないもの。上原のオリジナルかどうかは,プログラムを見ても不明。よく演奏されるベートーヴェンのものは,音楽の流れが一旦断ち切られて好きではないので,こちらの方がいいと思った。

 有名曲すぎて最近はあまり聞いていなかったが,すごくいい曲だと改めて思わされた。

 終わった後,上原は観客よりも先にオケのメンバーにこれでもかとお礼のご挨拶。客としては微妙な感じがするのだが,それだけオケの出来に満足したのだろうと思う。

 

 20分の休憩の後のマーラーは,本当にもの凄い演奏だった。

 冒頭は,聞こえないようなピアニッシモでなく,しっかり聞こえるように弾かせていたのがインバルらしい。一筆書きのように,神経質にならないで進む。トランペットのファンファーレは舞台の袖で吹かせていて,主部に入ると奏者3人がステージに現れた。ところどころでインバルの歌う声が響く。元東ドイツのベルリン交響楽団ということで,技術的にはどうかなと心配したが,金管をはじめここぞというときはビシバシ決まり,不安定なところはなかった。都響とのCDに比べると,ホルンが強力で,ここぞというときはバシッと決めてくれて気持ちよかった。

 ステージに溢れんばかりの大編成だが,この日のコントラバスは6本。ティンパニなどはオルガンの下に入ってしまい,音響的にどうかと思ったが,うまくバランスを取って演奏していたように思う。

 あっという間に1楽章が終わり,都響とのCDのようにアタッカで2楽章に入るのかと思いきや,指揮台を降りて何か始めたので,何だろうと思ったら,オケのメンバーに手伝わせて指揮台を少し前に出した。この日は暗譜で,譜面台なし。

 2楽章はノリノリで,冒頭からインバルもオケもスイングしまくっていた。コントラバスとチェロがキッパリしてて最高。こんなに楽しいこの曲の演奏は聞いたことがない。

 ところがここで事件が!後ろの席のジジイが,2楽章が終わったところで隣のばあさんに喋りだし,3楽章が始まってもやめようとしないという,信じられないことが起きた。「金髪が何とか」とどうでもいいことを喋っていた。ばあさんが注意して喋るのはやめたが,最最最低限のマナーも分からないなら来るな!喋りだす前にも,何かをゴソゴソさせて音を出していた。そもそも,来たくて来たような感じではなく,誰かに券をもらったのでヒマだから来たというような感じに見えた。

 そんなイライラさせるような状況で3楽章は始まったが,ここでも,今まで聞いたことのないような素晴らしい演奏で,普通なら眠くなるのだが,全然眠くならないで最後まで聞けた。途中,曲想が変わるところでインバルは切り替わりがはっきり分かるよう演奏していて,この曲の分裂症的なところがはっきり分かった。

 4楽章も,冒頭からオケが乗りまくっていて,20分近くかかる長い楽章が,あっという間だった。弦楽器奏者の何人かが,弾き終わるたびに弓を高く上げる動作をして,楽しくてしょうがない様子がよく分かった。トゥッティのドカんというところが一々ビシッと決まるのも聞いていて気持ちよかった。コーダではホルン全員とトランペット1人が立ち上がって演奏し,最後の1撃はティンパニ入りで終わった。

 この日のコンマスは日下紗矢子さんで,見栄えがするだけでなく,ソロの演奏もとてもよかった。いつもこのホールでは聞こえなくてイライラするヴァイオリンのパートが,はじめてというくらいよく聞こえた(といっても,やはりもやもやするのだが)。尻上がりに聞こえがよくなったように思うので,インバルとオケのメンバーが演奏しながらよく聞こえるように修正していったのだろうか。

 こうして実演を聞くと,マーラーのいろいろな仕掛けがよく分かる。CDはもちろん,テレビ中継でも分からないことがたくさんあるんだと,今回初めて分かった気がする。

 とにかく,オケのメンバーが楽しそうに演奏しているのが印象的だった。終わった後もみな満足そうな表情。この演奏の後にアンコールはあり得ないなと思った。

 今までこのホールで聞いたオーケストラの演奏会の中では,間違いなくナンバーワンだった。

 

 会場では,オーケストラからのプレゼントということで,幾つかのグッズをプレゼントしていた。そのうち,ポストカードをもらってきた。

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 また,パンフレット(500円)と一緒に,会場限定(と思われる)CDも売っていた(2,000円)。

ブゾーニ:踊るワルツOp.53

R.シュトラウスアルプス交響曲Op.64

ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

指揮:エリアフ・インバル

①は2001年8月31日,②は2003年10月24日,どちらもベルリンのコンツェルトハウスでの演奏。①は自由ベルリン放送,②はベルリン・ブランデンブルク放送の音源。©2017年となっているので,今回のツアー向けに作られたつくられたものと思われ,日本語の解説がついているばかりか,ジャケット表紙に日本語で曲名が書いてあるというレアもの。

 残念なのは,アルプス交響曲が1トラックなこと。また,どうせならマーラーがよかった。

 演奏は,アルプス交響曲は演奏時間が約45分52秒(拍手なし)と速いテンポでぐいぐい進めていき,初めのうちは今ひとつオケが乗らない感じだが,徐々に乗ってきて,所々でインバルの濃い表現が聞かれる充実した演奏だった。

 ブゾーニは,初めて聞く珍しい曲なのでコメントできないが,最後は拍手入り。

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 今回のツアーでは,3月13日から22日にかけて,東京,高崎,福島,福井,横浜,大阪,名古屋,東京と回るようだが,どこかの演奏会をNHKで収録して放送してくれないだろうか。

 

 それと,1987年11月3日のフランクフルト放送交響楽団との来日公演をブルーレイで復刻してほしい。NHKが収録,放送したもので(確か,今はなき教育テレビとFMの同時放送だった),以前,DENONからLDが出ていたが,DVD化はされずにそのままになっている。LDでは前半の《ハフナー》交響曲はカットされていたが,あわせてブルーレイ化してほしい。もの凄い演奏なのだ(最後の方でティンパニが間違うというハプニングがあるが,逆にすごくハマっている)。

 

 

【追記】

 4月2日(日)夜9時からのEテレクラシック音楽館」で3月13日にすみだトリフォニーホールで行われた演奏会が放送されることが分かった。

 曲目は,ワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》から前奏曲と愛の死,そしてマーラー交響曲第5番。楽しみだ。

 

 

森友学園との交渉記録は本当に廃棄されたのか?

 森友学園の問題で今一番気になるのは,財務省が交渉記録を1年の文書保存期限を経過したので廃棄したと言っていることだ。

 

 佐川理財局長が繰り返し答弁しているが,これが本当なら,財務省というのは相当デタラメな役所だということになる。感覚的に,とても本当のこととは思えない。

 そう思っていたところ,今日のNHKの「クローズアップ現代」で近畿財務局のOBが匿名で取材に応じ,おかしいと異議を唱えていた。通常は捨てたりしないと。もし文書は廃棄したとしても,交渉記録はパソコンで作成するので,そのデータがパソコンに残っているだろうと。ちゃんと探せば出てくるのではないかと。

 そのとおりだと思う。が,本当にデータまで消していたとすれば,逆に,おかしなことをやっていたことの間接的な証拠と言えるだろう。やばいから消したのだ。

 

 あくまで通常どおりの処理をして廃棄したというなら,やはり財務省はデタラメな役所だと批判を受けてもしょうがない。常識的にあり得ないからだ。財務省は,ということは,財務省の役人は,ということだ。

 そんなことはないと思う。だからOBも声を上げたのだと思う。財務省の職員は怒るべきだ。世間に対して自分たちがデタラメな連中だという印象を広めた佐川理財局長を怒るべきだ。

 佐川理財局長は,あの答弁で多くの財務省の職員を敵に回したのではないかと思う。自分(たち)の保身のために,多くの職員の誇りを大きく傷つけたのだ。既に,佐川局長(たち)のために,内部でトカゲの尻尾切りが行われているかもしれない。そう,このままだと,次はあなたかもしれないですぞ。

 財務省の真面目に仕事をしている優秀な職員の方々には,ぜひ声を上げてほしい。パソコンに残ってるだろうデータを引っ張り出して,世間に明らかにしてほしい。そして,佐川局長に汚された誇りを取り戻してほしい。それでこそ公務員でしょう。

 

 

オーケストラ・ランキング2017

 レコード芸術2017年3月号の特集は,「オーケストラ・ランキング2017」。「またか」と思ったら,2008年以来9年ぶりになるという。そう言われれば,2008年からは随分様子は変わっている。

 30人の評論家がそれぞれ1位から10位までランク付けし,点数化する。その結果は,

 1位 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 2位 バイエルン放送交響楽団

 3位 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 4位 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 5位 ドレスデン国立管弦楽団(シュターツカペレ)

 6位 パリ管弦楽団

 7位 シカゴ交響楽団

 8位 ロンドン交響楽団

 9位 マーラー室内管弦楽団

 10位 ドイツ・カンマーフィルハーモニーブレーメン

 以下略

となっている。

 

 1位のベルリン・フィルは文句なしと思う。30人中14人が1位にランク付けし,ランキングに入れていないのは2人だけ。

 2位と3位はやや以外。4位のウィーン・フィルは,これまでは1位か2位が定位置だったが,このところの凋落ぶりからするとこれでも高い順位になってると思う。1位に入れた人が6人もいる。

 あとはどこがどう入ってもそんなに変わりはないと思うが,かつて5位以内が定位置だったシカゴ交響楽団は7位に落ちた。

 今時だなと思うのは9位と10位。9位のマーラー室内管はまだわかるが,10位のドイツ・カンマー・フィルはどうかと思う。

 

【1位 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ここだけは納得。どのオーケストラもレベルが上がったと言われるが,ベルリン・フィルほどの凄味が出せるオケはほかにはない。何だかんだ言って,凄い。

 レコーディング,映像配信,演奏会(旅行)などの活動ぶりをみても,ほかの一歩も二歩も先を行ってると思う。

 音は,カラヤン時代からは随分変わっているが,変わってないところもある。変わってないのはオーケストラとしての一体感のようなものか。それが凄味につながってると思う。

 日本人奏者が主要ポストをはじめ何人かいるのも魅力。コンサートマスターの樫本さんはすっかりオーケストラの顔になった。安永さんと違い(失礼!)イケメンなので,すごく見栄えもする。ぜひ長く続けてほしい。ヴィオラ首席の清水さんも美人なので見栄えは十分。

 ラトルの退任と後任の首席指揮者が既に決まっているが,キリル・ペトレンコは非常に期待できる。これまで接する機会は非常に少ないが,デジタル・コンサート・ホールでの演奏はどれも驚くほど素晴らしいものだった。特に変わった解釈などを聴かせる訳ではないのだが,とにかく凄い。本物感が半端でない。往年の指揮者と比べると,一番はカルロス・クライバーに似てる気がする。あるいは,若い頃のカラヤンがこんな感じだったのかなとも思う。就任まで間があるのが気になると言えば気になる。シャイで気難しいという噂もあるので,就任前に逃げ出さないことを祈る。

 

【2位 バイエルン放送交響楽団

 3位のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とともにヤンソンスがシェフを務めていたこともあって,最近はほとんどノーマークだった。元々レベルの高いオーケストラとは言われていたが,2位に入るほどのオケとは思っていなかった。評論家の6人が1位に入れている。

 はっきり言って,ヤンソンスは何がいいのか全くわからないので,最近のこの2つのオケはほとんど(録音でだが)聴いていなかった。これからいろいろ聴いてみたいと思う。

(追記)

 ヤンソンスとのマーラー交響曲第9番(2016年録音。BR KLASSIK)とハイティンクとのマーラー交響曲第3番(2016年録音。BR KLASSIK)を聴いた。

 どちらを聴いても,大したオーケストラとは思えなかった。2人とも「ぬるい」指揮者だが,それにしても,凄味は全くなく,音色的な特徴もなく,金管は雑で,やたらあっさりしており,名前を伏せて聴かされたらどこのオーケストラか全然分からないだろう。

 そういえば,2012年にヤンソンスと来日してサントリーホールベートーヴェン交響曲全曲を演奏し,NHKが放送したのだが,そのときにゲストでベルリン・フィルティンパニストのライナー・ゼーガースが参加していた。その際のインタビュー記事を読んだのだが,確か,このオケに比べるとベルリン・フィルは音を長くとる傾向があるといったことを言っていた。ヤンソンスの解釈というだけでなく,オケ自体にそういう傾向があるということなのだろう。なので,とてもあっさりに聴こえるのだろう。音を短めに取るだけでなく,金管などは音を早く減衰させる傾向もあると思う。これだとやはりマーラーなどでは物足りないだけになってしまう。

 もっとも,その時のベートーヴェンの演奏は,ただ楽譜を音にしましたという感じで,ヤンソンスの何の主張も感じられないぬるい指揮と相まって全然面白くない演奏だった(評論家には絶賛されていたようだが)。

 ということで,2位という順位には全く賛同できないし,よほど好きな指揮者が振った場合でもない限りは積極的に聴こうとは思わない。

 

 【3位 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 最近はRCOレーベルなどいろいろ頑張ってるのは分かるが,昔からどうも今ひとつよく分からないオーケストラだった。評論家で1位に入れた人が1人もいないというのが特徴的。そう,1位にはなれないオーケストラなのだ。

 シャイーの時代に音ががらっと変わり,カラフルで随分上手いオケになったとは思っていたが,ヤンソンス時代はほんとによく分からない。

 ヤンソンスは,オスロ・フィル時代はよかったが,病気をした後はほんとに何がいいのか全然分からないのだ。最近ベルリン・フィルに客演してやったショスタコーヴィチの10番なんて,縦の線がズレまくったり,ベルリン・フィルをこんなに下手くそにできる指揮者はめったにいないと思わせるできだったし。聴いていられなくて途中で止めたくらい。評論家受けは非常にいいようだが,ほんとに何がいいのだ?

 そんな指揮者が率いていたのでしばらくご無沙汰していたが,ガッティに変わったのでどうなるか。いろいろ言われているが,オケとしてはハイティンクの頃に戻るのではなく,シャイー路線で行くということなのか。ガッティはそれほど期待はできないと思っているが,予想は外れてほしいものだ。

 

 【4位 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 かつてはベルリン・フィルと1位,2位を争うのが常だったが,このところの凋落ぶりは目に余る。悲しい。クラシック音楽を聴き始めた頃,オーケストラと言えばウィーン・フィルだったのだ。文句なしに一番好きなオーケストラだった。

 この凋落の期間,長くコンサートマスターを務めたライナー・キュッヒルが退任したので,いい方向に向かうだろうか。カラヤンが死に,バーンスタインが死に,ヘッツェルが死に,アバドレヴァインを追い出し,キュッヒルの天下となり,そしてキュッヒルがこれでもかというほどの悪口を浴びせていたショルティが死に,いつの間にかウィーン・フィルはどうでもよいオーケストラになっていた。

 世間ではキュッヒルといえばウィーン・フィルの顔で,絶大な信頼を得ていたと思う。しかし,いつもあのブスっとした顔で弾いている様子を見ると,聴いていてとても楽しい気分にはなれない。今年のニューイヤー・コンサートの中継の中で,演奏中の表情についてコメントしていたと思うが,聴く方も一緒に演奏する仲間も,楽しくないのではないか。それで大コンサートマスターと言えるだろうか。先日,あるコンサートで,指揮者もオケもノリノリで実に楽しそうに演奏しており,聞いているこちらにもその気分が移ってしまうという素晴らしい体験をしたが,キュッヒルコンマスをやってる演奏会でこのような体験ができるとは思えない。

 キュッヒルというと,演奏中の様子のほか,友人である中野雄氏の本(『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』文春文庫,『指揮者の役割』新潮選書)の中で,読んでいて気分が悪くなるほど何人かの有名指揮者を罵倒していたのがとても印象に残っている。特にショルティに対しては酷い。しかし,ショルティとの演奏会や録音は素晴らしいものばかりだった。最近は《指環》を除いて忘れられた指揮者になりつつあるが。オーケストラからは嫌われていたのかもしれないが,ああいう指揮者とも一緒に仕事をしていたからこそ演奏レベルが保たれていたのではないか。自分たちに都合のいい指揮者ばかり呼ぶから,今のようになったのではないかと思う。

 そんなキュッヒルだが,それでも演奏が素晴らしいならいいが,はっきり言って全然上手いとは思わない。ここでも一つのエピソードを思い出す。1993年にカルロス・クライバーがライヴ録音したR.シュトラウスの《英雄の生涯》がお蔵入りになってしまった。NHK FMで放送され,以前は海賊版でも手に入った伝説的演奏だ。ソニーが録音していて,CDになるはずだった。お蔵入りになった理由は,ソロを弾いていたキュッヒルが自分の演奏を気に入らず,それでごたごたが起き,結局クライバーがリリースの許可を撤回したためだという。これが本当なら,キュッヒルの罪は余りにも重いと思う。この経過は,ややこしくて分かりづらいのだが,『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下』(アレクサンダー・ヴェルナー著,喜多尾道冬・広瀬大介訳 音楽之友社)320ページ以下に記載がある。

 そんなウィーン・フィルのCDは,ここ数年はニューイヤーとシェーンブルン宮殿でのライブだけという状況だった。シェーンブルンのライブなんて,CDでも映像付きでも,とても鑑賞に耐えるレベルではない。ただのつまらないお祭り。しかし,ここにきていくらか新譜が出るようになり,ドゥダメルとの《展覧会の絵》のようにライヴでないものも出るようになってきた。ネルソンスとのベートーヴェン交響曲全集の話もある。だが,なぜよりによってネルソンスなのか?ネルソンスのベートーヴェンなんて聴きたい人がいるのか?あの呆けたような表情,ヤンソンスのまねにしか見えない指揮姿,器用なんだとは思うが,さっぱりいいとは思わない若手の筆頭・・・。

 それでも今後のウィーン・フィルには期待したい。頑張ってほしい。

 

(追記)

 このところ,マーラー交響曲第3番ばかり聴いていて,ウィーン・フィルではブーレーズ盤(グラモフォン UCCG-90453~4)とアバド盤(グラモフォン UCCG-4474~5)を聴いた。

 後からアバド盤を聴いた(久しぶりに)が,ブーレーズ盤とは同じオーケストラとは思えないほど素晴らしかった。1980年の録音で,コンマスはヘッツェル。どこからも得も言われぬ香りが立ち上り,うっとりさせられる。弦も管も,音の一つ一つに表情を付けていて,ただ音を出しているのでないのがよく分かる。特に高音が何とも美しく,女性的と言いたくなる大人のだが,エッジが立っているので弱々しくはない。弦と管の絡みもうまくて,歌劇場のオーケストラだなと思わせる。それと,楽器間の音の受け渡しがスムーズで,「自分のパートは吹いた.後は勝手にどうぞ」ではなく,きちんと引継ぎがされているのがよく分かる。まさに一緒に音楽をしている感じがする。この点,バイエルン放送交響楽団(特に金管)とは全く違う。こういうのは指揮者の腕よりもやはりオーケストラの実力なのだと思う。

 しかし,ブーレーズ盤(2001年録音)では,以上のような特徴はほとんどなくなり,ほかの「普通の」オーケストラと変わりのないものになっていた。楽器や奏法に違いはあるのかもしれないが,それだけ。これだけ聴けば立派な演奏なのだが,指揮者でなくオケに注意して聴くと,かなり分が悪い。

 

(追記2)

 レヴァインとのことについて。

 中野雄氏の『指揮者の役割』70ページ以降に記載がある。

 すなわち,「1990年代の初め頃だったと思うが」「ウィーン・フィルの臨時公演を,改築直前の旧コンツェルトハウスで聴いた」「ジェームズ・レヴァインの指揮。ソリストにはアルフレート・ブレンデル」で「曲目がモーツァルトの《ハ短調・ピアノ協奏曲》とストラヴィンスキーバレエ音楽春の祭典》であった。」「結果は香しくなかった。『甚だ』と形容したいような出来で」「《春の祭典》はやはり『シカゴ響かクリーヴランド管で聴いた方が面白いかも』と思い通しのうちに終わってしまった。」「何日かのち,オーケストラ首脳部との会食の席で」「『申し訳ないけれど,この間のコンサートは感心しませんでした』と正直に感想を述べたら,間髪を入れずにその人は,『ご安心ください。もう招(よ)ばないことに決めましたから』と,私の眼を真っ直ぐに見詰めながら答えた。」とのこと。

 ということで,中野氏の本を読むと,この演奏会がきっかけで,その後レヴァインとは共演しなくなったかのように思える。確かに,1990年代半ば以降,共演していないように思っていた。

 しかし,中野氏の記述には記憶違いがあるようだ。

 まず,件の演奏会は,1990年代の初め頃ではなく,1989年6月12日のウィーン芸術週間でのもので,最初にモーツァルト交響曲第23番も演奏されている。

 そして,NHK FMエアチェックしたものを聴いた方の感想によると,いい演奏だったらしい。少なくとも,空中分解するような演奏ではなかったのだろう。

http://otsusan.cocolog-nifty.com/genki/2007/10/vpo_5a94.html

 しかも,レヴァインウィーン・フィルは,翌年のザルツブルク音楽祭(8月11日)でも《春の祭典》を演奏している。前半はブラームス交響曲第2番。こちらはNHK FMからエアチェックしたものがあったので聴いてみた。はっきり言ってイマイチ。第1部は,ウィーン・フィルの演奏技術を考慮してか,遅めのテンポで進むのだが,金管がメタメタ。第2部は前半がゆったり怪しげな雰囲気なのでウィーン・フィルにもマッチ。後半になると,だいぶ乗ってきた感じで,打楽器が盛大に炸裂してなかなかの演奏になってきたが,最後の方ではかなり危うい場面も。

 いずれにせよ,1989年の演奏会で愛想をつかしたのに,翌年にまた同じ曲で共演するというのは考えにくい。レコード会社との契約があったわけでもなさそうだ(ブラームスは1995年10月にムジークフェラインでライヴ録音しており,《春の祭典》は1992年にメトロポリタン管弦楽団と録音している)。

 そして,レヴァインとは,この後1995年までは共演していたことが確認できた。確認できた中で最後の演奏会は,東京での11月9日のもの。このときの日本ツアーでは,11月3日の京都での演奏会がNHKのBSでも放送されていた。

 ということで,中野氏の記述は時期的なものは怪しい。しかし,レヴァインと共演しなくなったのは確かなので,ウィーン・フィルの首脳部がああいった発言をしたことはおそらく本当なのだろう。

 で,何が言いたいかというと,レヴァインアバドショルティらと共演しなくなった辺りから,変わってきたのではないかということだ。そして,私見では,この3人との演奏は,1990年代半ばまでの共演者の中では,やはり抜群によかったと思う。

 それに対して,ず~っと共演しているメータとは,延々とだらしない演奏を垂れ流しているのだが,なぜ彼はそんなにオケから好かれるのだろう?

 

(追記3)

 アバドについては,やはり中野雄氏の『指揮者の役割』14ページに記述がある。

 「彼がウィーン国立歌劇場の音楽監督を辞任し,カラヤンの後継者としてベルリン・フィルの音楽監督兼常任指揮者に就任してからしばらく経った頃のことである。私はウィーン・フィルに4人いたコンサート・マスターのうちのひとりに,『そういえば最近,アバドさんがウィーン・フィルの定期公演に登場しませんね』と尋ねた。すると,軽い話題として何気なく訊いただけであったのに,その人は私にキッと目を向けて,『

ええ,あの方はベルリン・フィルの音楽監督になられてから偉くなってしまって,勉強しなくなりました。ですから,うちのオーケストラの定期公演にはお招(よ)びしないことにしたんです』と言い放った。厳しいものである。」と。

 アバドウィーン・フィルを指揮したのは,1997年11月10日である。ムジークフェラインでの楽友協会コンサートで,曲は,シューベルト交響曲第5番ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》から前奏曲と愛の死,R.シュトラウスの《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》であった。

 確かに,この頃は,ベルリン・フィルともうまくいかず,苦しい時期だったように思う。頭でっかちで,覇気のない演奏が続いていたように思う。いろんな凝った企画をぶち上げるが,音楽がついてきていなかった。ピリオド奏法の勉強もかなりしていた時期だと思う。アバドベルリン・フィルの演奏が変わったのは,胃がんの手術をする直前,1999年頃。その頃から,何か,一皮剥けて,独特の不思議な音色・音質のする演奏をするようになった。

 なので,誰かは知らないが(想像はつくが),コンサート・マスターの「あの方は…勉強しなくなりました」という言葉はそのままは信じがたい。ウィーン流の皮肉ではないのかと思う。すなわち,本当は,「勉強ばかりして音楽がつまらなくなった」と言いたかったのではないか。もし本当に言葉通りの発言だとしたら,「勉強しないのはあなたたちでは?」と嫌みを言いたくなる。

 今となっては,ベルリン・フィルルツェルン祝祭管のイメージが強いアバドだが,一番相性が良くていい演奏をしていたのはウィーン・フィルとだったと思っている。なので,復帰を期待していたのだが,それがかなわないまま亡くなってしまった。ウィーン・フィルとの業績が無視されてしまっている(ように思える)状況は,何とも残念だ。

 

【5位 ドレスデン国立管弦楽団(シュターツカペレ)】

 ティーレマンはちっともいいと思わないので,違う指揮者でもっと聴いてみたい。

 ブロムシュテットの頃のいわゆるざっくりした弦の音はやはり素敵だと思う。

 

【6位 パリ管弦楽団

 昔からどうもよく分からないオーケストラ。

 

【7位 シカゴ交響楽団

 ムーティになってもっとCDが出るかと思ったら,そうでもなかったので,今の様子はあまりよく分からない。でも,Youtubeに出ていた第九は案外よかった。

 やはりショルティの頃は凄かった。管楽器が注目されがちだが,弦も超強力だった。ただし,アメリカ風のティンパニの音だけは苦手。

 バレンボイムが引き継いで凋落していったわけだが,シカゴでは非常に好かれていたと聞く。パリ管もそうだったが,なぜかショルティからバレンボイムが引き継ぐというパターンがあった。そういえば,マゼールからヤンソンスというのもあった(ピッツバーグ交響楽団バイエルン放送交響楽団)。どちらの場合も,前任者と後任者で音楽性が全然違うのが面白いが,どちらもオケのレベルは落ちてしまった。

 

【8位 ロンドン交響楽団

 ラトルが首席指揮者になるようだが,誰がなってもあまり変わらないように思う。

 

【9位 マーラー室内管弦楽団

【10位 ドイツ・カンマーフィルハーモニーブレーメン

 こういうところを入れておかないと,という時代の流れなんでしょうな。

 

【番外編】

 以上10位までの中で,1位に入れた人がいるのは,コンセルトヘボウを除く5位までだった。しかし,下位のオーケストラで,1人だけが1位を入れたのが2つあった。どちらも,その票だけ(つまり,合計10点)というのが面白い。

 それは,矢澤孝樹氏が1位にしたウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(WCM)と,平林直哉氏が1位にしたチャイコフスキー交響楽団である。どちらも,ほかに票を入れた人はいない。

 WCMは,ほかの何人が票を入れない理由を書いているが,要は,アーノンクールが死んだ後どうなるか分からない(解散するかもしれない)からということと,そもそも,こういう特定の指揮者とのつながりでできあがってきているピリオド・オーケストラへの疑問からである。それなのにあえて1位に入れてきた矢澤氏は,確信犯だと思うのだが,本企画の趣旨からはやはり外れているんだと思う。矢澤氏は,2016年10月の特集「人生の50枚 私のリピート・ディスク・リスト」でも,一人,クラシック以外の音楽を多数入れ,その理由についてぐだぐだ屁理屈を書いていた。はっきり言って,企画の趣旨に賛成できないなら,断るべきだ。好きなことを勝手に書きたいならブログにでも書けばいい。吉田秀和先生のお気に入りだったからといって,いい気になっているのではないか。既にこの世界で飯を食ってる人間ではないというところにも原因はあると思う。それはそれで面白いことが書けるバックグラウンドになってるのだろうが,編集部も甘やかしすぎだ。残念ながら,矢澤氏の文章は既にかなりマンネリになりつつある。刺激的なことを書かないとというプレッシャーがあるのだろうか。その結果がこのとおりだ。

 平林氏は,奇をてらったつもりなのだろうが,完全に滑ったと思う。確かに,1974年から40年以上もフェドセーエフとやっているというのはすごい。オーマンディフィラデルフィア管弦楽団の記録を抜いたと思う。しかし,世界で一番のオーケストラかと言って,賛成する人はいないだろう。実際,ほかに1点でも票を入れた人はいない。

 

自主避難者との間の深い溝

 今日の読売新聞に,原発事故による福島県からの自主避難者の記事が結構大きく出ていた。

 福島県民以外の方にはぴんと来ないかもしれないが,自主避難者(特に県外)とそれ以外の方との間には,深い溝ができてしまっている。

 残念ながら,自主避難者以外の福島県民の多くは,自主避難者のことを快く思っていないようだ。

 自主避難者は避難元の自治体は自分たちを見捨てたと思っているのだと思うが,自主避難者以外の方は自主避難者は避難元の自治体を捨てたと思っている。

 既に,公の場で自主避難者について述べることは,タブー化している。私もそのタブーを破るつもりはない。破ったところで何にもならないから。

 

 こういう問題の場合,敵を作って攻撃する,というやり方は得策ではないように思う。一部に熱狂的なファン(支援者)は現れるかもしれないが,どちらかというと敵を増やすだけで,結局は得られるものが少ないと思う。

 自主避難者の方は,攻める(責める)相手を間違っていると思う。内堀知事に合わせろと,貴重なお金と時間を費やして福島県庁に集まったりしているようだが,内堀知事に会ったところで何も変わらない。自主避難者の支援を福島県がやっていたのは,そう決められたからであって,本来は国か東電がやるべきことだからだ。国から金がもらえない限り,内堀知事は何もできない。無い袖は振れないのである。

 大坂の陣を終わらせたいからといって,真田信繁に会わせろと言ってもしょうがないのと同じである。

 できるだけ自主避難者以外の方を敵に回さず,国・東電と闘うことにエネルギーを使った方がいいと思う。自分たちの行動に正当性があるというのなら,尚更である。被災者同士で足を引っ張り合っていても,本当の敵を喜ばせるだけだ。

 

 

紅白で見えた 星野源 裏声と歌唱力の限界

 2016年のNHK紅白歌合戦星野源が「恋」を歌った。

 はっきり言って,声が出ておらず,特に裏声の部分はプロとしては恥ずかしすぎるくらい酷いものだった。23日のミュージックステーションスーパーライブのときよりもさらに酷くなっていた。声が全然出ていなかった。いくら何でもあれはないだろう。夜遊びしすぎたのか。

 そもそも,なぜこの人はすぐ裏声を使うんだろう。シンガーソングライターなのだから,自分の声の音域に合わせて曲を作ればいいのに。

 もちろん,裏声が全部ダメというわけではなく,感情表現の一つとして効果的に使うのならば分かる。しかし,「恋」の場合は声が出ないからしょうがなくて裏声で歌っているのは聴けば明らかだ。それが,裏声ですらまともに声が出ないのでは,プロ失格である。聴衆を嘗めているぞ。

 歌手の杏沙子がYouTubeで「恋」をカバーしているが,音を下げて裏声は使わないで歌っている。これだと,気味の悪い歌がだいぶまともに聞こえる。おそらく,音を下げても,裏声を使う方がプロとして許せないことだったのだろう。

 男性歌手が常人離れした輝かしい高音を轟かせるのは,歌を聴く楽しみの一つである。それを裏声で誤魔化すのは,プロとしては情けないやり方だ。高い音が出ないなら,出ないなりに歌ってほしい。そうでなければ,これからでもボイストレーニングして地声で高音を轟かせてほしい。

 星野源には,ぜひ,裏声を使わず,音も下げずに「恋」を歌ってもらいたい。それで名誉挽回してほしい。

 いずれにせよ,あの不名誉な歌が未来永劫残ってしまうことにはなってしまった。ただの歌番組ならともかく,天下の紅白である。どこで映像が使い回されるか分からない。それとも,再放送されるときには,こっそりと音源を差し替えたりするのだろうか。

 

 

 まさかと思うかもしれないが,クラシック音楽の世界だが,そういうことがあった。

 ここから先は星野源とは全く関係がない。

 1988年の最後のカラヤンの来日公演。5月4日の東京文化会館での演奏。グラモフォンから正規盤としてCDも出ている。この日のメインプログラムであるムソルグスキーの《展覧会の絵》で,冒頭のトランペットが思いっきり音を外したのだ。

 この日はFMで生中継があったので,エアチェックしていたのだが,その後,再放送の際にはミスなしのものに差し替えられていた。生中継をエアチェックしたテープに録音し直してしまったので記憶の中でしかないのだが,強烈に覚えているので間違いない。

 その後,20年ほどしてCD化されたときも,ミスなしのものだった。

 カラヤンの指示なのか,ベルリン・フィルの指示なのか分からないが,そういうことはあるのだ。

 なお,今はYouTubeなどで生放送のときのミスありの音も聴けるようだ。悪いことはできないということだ。

 

 さらに,同じくベルリン・フィルの1981年の来日公演の際,ラヴェルボレロトロンボーンのソロがやはり思いっきり音を外したということで有名なのだが,そのことがNHKのBSで以前放送していた「名曲探偵アマデウス」で紹介されていた。この曲の一番の難所ということで,N響の方が冷や汗を流しながら実演してくれていて,非常に面白いのだが,ベルリン・フィルの話の部分が,しばらく後の再放送ではカットされていたのだ。

 ベルリン・フィルからクレームがついたのだろうか。

 たまたま修正前と後の両方を録画していたので,意図的にカットされているのが確認できた。

 世の中こういうことがあるので面白い。初回放送は大事に取っておいた方がよいということである。

 

 

 ということで,紅白での星野源の歌も,完璧な裏声に差し替えて放送される可能性がある。生放送を録画していた方は,大事に保存していた方がよいですぞ。完璧な地声に差し替えられたりしたら,最高に面白いのだが。

 

 

 それより,NHKにはぜひ「名曲探偵アマデウス」の再放送と続編をお願いしたい。

 

(追記)

 星野源の新曲「Family Song」が8月16日に発売された。

 裏声頼りが相変わらずだったのは非常に残念。それ以上に,この曲は割ときれいなメロディーをゆったりと歌う曲なため,声の魅力のなさが際立っている

 ジャケットやPVの「おげんさん」もキモい。「おげんさんといっしょ」では,藤井隆高畑充希に完全に負けていたし。

 音楽活動としてはプロデューサーとして活動した方がいいと思うが,自分で歌わずにはいられないんだろうな,この人。

 

 で,今日8月18日は,ミュージックステーションに出演してFamili Songを歌っていた。またまた音を外したりして,歌唱力のなさを露呈していた。裏声も,生だと余計に目立つ。

 

 

星野源の「恋」

 今日が最終回の火曜ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の主題歌,星野源の「恋」。

 聴けば聴くほど,その珍妙な歌詞に頭が変になりそうだ。

 

 「営みの街」。いきなり出だしに来る言葉にしては妙だ。何のことだか分からないし。

 それが「暮れたら色め」くんだそうだ。「色めく」とはまた古風な。

 風「たち」は「運ぶわ」といきなり女言葉。そうか,女性が語っているという設定の歌なのか。

 そして,その後に風「たち」が運ぶのは「カラス」と「人々」の「群れ」。「カラス」はないでしょ。品がない。なさすぎる。女性じゃなかったのか,これ歌ってるの。

 

 そう,「意味なんかない」のさ。

 腹を空かせて「君」の元に帰るのは,女?男じゃないのか?

 

 それにしても,「物心」ついてからずっと,この世にいる誰もが「2人から」だなんて,随分ませてましたな。物心って何歳からつくんだ?

 

 「指の交ざり」。聞いたことないな。星野語か。ここが一番気になって仕方ない。

 

 「白鳥」は何を運ぶのだろう。当たり前を変えながら。どうやって変えるの?なんて言うのは野暮でしょ。

 

 

 面倒くさくなったのでここまで。あとは,繋げると意味のない言葉の羅列だ。

 

 

 思うに,この人の歌の作り方って,曲とタイトルが先にあって,それから連想される言葉を音楽に合わせて並べてるんだと思う。いわゆる「曲先」というやつだ。

 だから,この人の歌で,単語が不自然に切れて気持ち悪いということはあまりない。その代わり,全体として歌詞を読むと,ストーリーがなく,ほとんど意味不明。そして,辞書でも引きながら書いてるのか,聞き慣れない単語が突如としてポロッと出てくる。

 韻を踏みたがるのも特徴だ。踏まずにはいられないらしい。韻を踏まないのは歌じゃないと思ってるんだろう。だからやっぱり意味不明の言葉が羅列されることになる。

 その代わり,歌詞の意味を考えないで聴いたり歌ったりすると,気持ちいいんだろうと思う。

 

 歌詞の話じゃないが,やたら裏声を使いたがるのも気になる。はっきり言って気持ち悪い。

 YouTubeで杏沙子さんが星野源の歌を何曲かカバーしてるが,裏声を出さないので聴いててすごく気持ちがいい。それまで気持ち悪いなと思ってた曲でも,「結構いいじゃん」て思った。

 ハイトーンが出ないのにコンプレックスを持ってるのだろうか。

 確かに,星野源の歌唱力ってどうなんだろうって思う。作詞作曲ができて,楽器もたくさん弾けて,オールマイティな印象があるが,歌唱力がウィークポイントかも。

 

 

 「恋」については,MIKIKO先生の不思議な振付にも言いたいことがたくさんあるが,それはまたいずれ。

 

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